良いものとは何だろう。

売れているものが良いものだとしたら、世界一美味しいラーメンはカップラーメンになってしまう。という言葉を聞いたときに、なるほど!と思った。厳密に言えば、ラーメンとカップ麺は違うだろうということになるかもしれないが、それは言葉尻を捉えているだけだろう。比喩というのはわかりやすいことが大切なのだ。それはさておき。

塾の人事異動が5月にあった。変な時期だと思ったが、うちの塾では毎回そうらしい。そういうわけで社員の入れ替わりがあった。それまでの室長はよく言えば豪放磊落な感じで、悪く言えば仕事に対していい加減な面があった。それでもアルバイトとの仲は比較的良好で、不満を持ちながらも基本的には支持されていたと思う。年の割に子供っぽいというか、アルバイト目線で捉えてくれるので、助かった。自分も一度生徒の親の理不尽なクレームから守ってもらったことがあった。

その室長が栄転(?)で教室を去り、新しい社員の方が来たわけだが、これが典型的な「官僚」タイプだった。ここで一言断っておくが、自分としては官僚は尊敬に値する人々だと思っている、ここではお役所仕事に縛られているという意味で用いる。仕事はきっちりこなすのだが、その仕事が本当に意味のあることなのか考えていない節がある。

例えば、中学生くらいのときに宿題として書かされた記憶のある週間学習スケジュール。本年度から「新商品」として導入したらしい。個別授業の話なので、集団しか持っていない自分には関わりのない話だが、個別担当のアルバイトは苦労しているようだ。週間スケジュールとは、一日を1時間単位で示した予定表に、学校、部活、勉強、遊びなどの時間を書き込んで一週間分を完成させる予定表である。

確かに、やる気のある生徒にとっては体系的に勉強ができ、客観的に自分の学習スケジュールを見ることが出来るという点で効果を発揮するだろう。受験生時代は自分もこれを自主的にやっていた。しかし、やる気の無い生徒にとってはどうか。講師から「提出しなさい」と言われ続ければ提出するだろうが、果たしてその通りに勉強するだろうか(反語)。やる気を出させることも仕事のうちだが、ならば塾は会社全体としてやる気を出させるプログラムを開発するべきだ、それが功を奏すとは思わないが。

決まり文句として、「こういう空いている時間に自習室とか書けば良いんだよ」というのがあったが、提出が最優先なのだ。なぜならそれは「商品」だからだ。目線は生徒にあるのではない、あくまで「商品」を鑑定するのは親だからだ。とりあえず学習スケジュールを「一緒に」考え、親に見せれば塾としての努力=優秀な「商品」を見せることが出来る。「商品」が優秀なのは理想を書いているのだから当たり前だ。しかし、それは決して実現しない。

このような「事務」的な「商品」で業績が上がれば苦労しない。結局はハンコを押す回数が増えるだけで、中身は何も改善されていない。むしろ士気の低下という点からすれば本来の「商品」であるアルバイトの授業に対するやる気が低下しかねない。その一方で見栄えばかり良くなっていく。そのギャップが拡大していけば、どのような結果を招くかは誰でも少し考えればわかるだろう。目先の利益だけを追っていては、問題はいつか大きくなって帰ってくる。

何もしないよりはましだと思うかもしれないが、それならば本来の「商品」である授業の力を磨くべきだ。今のようにアルバイトの学生の自主的な努力に頼っていたのでは、成長など到底期待出来ない。というかそもそもそんなことに期待すること自体が間違っているのだ。経験的に伸びる部分だけでなく、教育によって授業の質を上げていくべきだ。研修がたった6時間で終わるようではたかが知れている。「研修にそんなに時間と費用をかけていられない」というのなら、それは塾としてのビジネスモデルとして破綻しているといえる。

あくまで授業で勝負するべきだ。成績を伸ばすには生徒のやる気を引き出す授業こそが必要だ。それなくして、内容の伴わない形式だけを追求していても最終的な利益にはつながらない。損失を将来にまわしているだけではないか。あくまで勉強するのは生徒だ、親ではない。必要なことは考えることだ。言われたことをやっているだけではプラスにはならない。そして何より、そういった見かけ倒しにだまされている親があまりに多いことに驚きを禁じ得ない。