30歳、40歳、50歳、60歳・・・いつまで続くか。

このところ、将来どうしようかとても悩む。働くという点で周りに取り残される不安はもうそろそろ不安ランキングの順位を下げてきて、今怖いのは、そろそろ本格的に将来設計をしなければならないということだ。そして、その想像がつかないということでもある。みんなその決断をして今に至っているのだと思うと本当に感心する。もちろん、流れで今の場所に居る人もたくさんいる、というか大半だとは思うが、それでもすごい。速く走れなくとも自分の足で立つということは、それだけで価値がある。

終身雇用制が前提であった日本で育ったせいか、そういう家庭に育ったせいか、自分にはこれまで「転職」という選択肢がなく、一度働き始めたら、その世界でずっと生きていくのだと思っていた。夢を追うのは就職するまでのことで、希望通りの就職ができれば夢が叶ったことになり、そうでなければあとはただ生活のために働き続けることになるのだろうと考えていた。これはそもそも自分が「変化」ということをあまり好まない性格であるせいでもある。封建世界に生まれていたらさぞ従順な一農民または町人として一生を終えていたと思う。生まれる時代を200年間違えた!

よくまだ20代前半であることを告げると、「色々出来て良いわねー」といわれて、あははなんて笑顔で返しながらも、内心では(んなわけねぇだろ!もう選択肢なんてあんまりないわ!)と思っていた。しかし、大学院に入って1年、人生にはいろいろな岐路があるということがおぼろげながらわかってきた。修士に進んだ自分にもまだまだたくさんの選択肢がある。博士に進むことも一つの有力な選択肢だ。一度働いてから博士に進んだって良い。留学しても良い。

働いたことのない人間が、そんなことをいうのは甘えかもしれないし、自分でもそう思う部分はある。そんな話をしていると、父にはよく「そんな人間は企業には必要ない」などと手厳しいことをいわれるが、働いている父がいうのだからそうなのだろう。そして、もし自分が企業のお偉いさんだったら、企業のために粉骨砕身で働いてくれる社員の方が良いと思うに決まっている。

それでも北海道に旅行にいったあたりからずっと「人生はたった一度しかない」ということと「自分の人生なんだ」ということを強く意識するようになった。そして時間の大切さを考えるようになった。これは学部時代の貴重な時間を無駄に過ごしてしまった反省から来ている。

これまではずっと誰かに見られることを意識して生きてきたと思う。親にはどう思われるか、先生にはどう見られるか、世間にはどう映っているのか・・・そんなことを考えて、なるべく認められるようにしたいと思ってきた。大学を中身のことなど何も考えずに偏差値表で上から受けていったのはその最たるもので、大学院に進むことを決めたときも、その方が箔がつくと思っていた部分もかなりあった。もちろん、教育実習で自分の実力不足を思い知らされたというのが一番の理由だけれども。

だが、そういう「どう思われるか」ということさえ、後ろの方に押しやってしまえば、世界はかなり広くなる。

24歳で初めて働き出す、同級生からは2年遅れている。一人だけ社会の常識を知らないで、好きなことばかりやっている。だから少しでも遅れないように、就職活動を頑張って、面接に通りやすいような努力をして、そして少しでも社会的地位の高い企業に入社する。そう考えて4月頃は頑張ろうと思っていた。しかし、インターンに大失敗し、それも挫折。ちょっとショック状態に陥ってしまい、その方向は諦めた。しかし、それが良かった。

人生はたった一度しかないし、体力も時間もあるのは人生で今しかない。将来教職に就きたい気持ちは恐らく、これから変わることはないだろう。だとするならば、色々な選択肢がある。教職というのが面白いのは、その人間性が大きく影響するところだ。だからこそ大変な仕事でもあるのだが、多様な理想像を描くことが出来る。専門教科を上手く教えることにも価値があるし、生徒との距離が近いことにも意味がある。逆に距離を置いて厳しく接することも大切だ。だから、「これだ!」という理想像を決めることは出来ない。人それぞれなのだ。

ということは、意味があると思われることだけでなく、色々な経験をすることが大切になってくる。ダメなのは、ただ何となくよかれと思うことをして過ごすことだ。例えば勉強も、私学適性検査や教員採用試験に向けて必死にすることも必要だろう。しっかりした授業をするためにはそれを裏打ちする知識が必要になる。だが、テストで捉えられる範囲で学問を終わらせてしまっては、その後の広がりは出てこない。

そりゃいってしまえば、史跡などを観に行かなくともテストで点は取れる。というよりも旅行にいっている時間を勉強に充てた方が点は伸びるだろう。しかし、それでは深みも厚みも出ない。これは大学院で日本史を専門にしている人はみんないう。整理された史料を読むだけでなく、実際に現場に足を運んで、その土地の雰囲気を感じてくることが大切だと。そして、専門とは関係のない授業が実は、思わぬところで役に立っていることなど。一点突破というと聞こえは良いが、裾野がしっかりしていなければ高い山にはならない。

大学院を3年かけて卒業するというのも一つの手だ。ただ、それだと直接の博士への進学は諦めることになる。3年かけて修士を出たとしたら、まず働くだろう。学校かもしれないし、企業かもしれない。とにかく働く、そしてある程度時間が経ったら、そこでまた考える。まだ研究でやりたいことがあると強く思うのであれば博士課程を受験すれば良いし、海外を観に行きたいと思うのであれば海外の大学院に留学したって良い。まだ働きたければ当然働き続ける。それらは決してマイナスにはならない。

今、一番の理想として考えているのが、大学院を3年で修了して、どこかで働く。3年から4年働いて、海外の大学院に留学する。2年で課程を終え、帰国して教員として学校で働く。一度は海外を見ておきたいという気持ちが強い。もちろんこれは理想であって、その間にもしかしたら結婚するかもしれない(考えがたいが)。そうしたら事情は全く異なる。それはそれでそのときの理想に向けて頑張るだけだ。

そのためだったら頑張れる。まだまだ自分は努力すれば可能性に満ちていることを意識して、停滞しないように努める。今ある環境に落ち着いてしまっては進歩はない。まだ学生なのだということを前向きに生かして、これからの修士生活を送りたい。



というわけで英語やらないとなあ・・・留学云々はおいておくこととしても、少なくとも日常会話くらいは出来るようになりたい!中学とか高校のオーストラリア研修みたいなところで流暢に会話出来るようになりたい!だから今から専門の日本史とともに英語も頑張ります。清水は今TOEIC対策を結構頑張っている。自分も何か頑張らないといけないけれども、そんなに英語ばかりやっているわけにもいかないので、5年後に話せることを目標にちびちび頑張ろう。ちょっとした積み重ねが案外大切なんですよ。多分ね。

まぁそろそろ真剣に考えないといけないのは、お金の問題ですね。金がなければ何も出来ん!というのは言い過ぎだけれど、選択肢が狭まるからな・・・

完敗したけれども・・・

半年以上前から、というのはかなり大げさな表現で、実際に頑張っていたのは最後の一ヶ月だけだったわけだけれども、少なくともその間は一生懸命頑張った結果としての試験に通過することはかなわなかった。努力が実らなかったという意味ではとても哀しく思うし、またほとんどが通過していたことを考えると、落ちた自分がとても情けなく思えてくる。いったい何が足りなかったのか、それは考えるまでもない。

しかし、1次試験には通過出来たことで(といっても大半が通過していたのだが)、心の負担はかなり軽くなった。1次試験で落とされてしまったらどうしよう、そのことばかり考えていて、試験の前日は胃が痛くて仕方なかった。よく眠れたけれども。だから1次試験対策は必死にやった。自信過剰といわれてしまえばそれまでだが、1次試験の専門の出来は、受験者の中でもトップクラスだったと思う。英語が特に出来たわけではなかったので、不合格の心配もあったが、大丈夫だろうと信じることが出来た。

そしてそれは現実になり、1次試験は無事通過。ただ、通過者の数がとても多い。そこで初めて1次試験は、大学受験でいうセンター試験的な役割を担っているにすぎないことに気がついた。本当に大切なのは2次試験だったのだ。1次試験通過に重きを置いていたので、2次試験対策はほとんどしていなかった。というか2次に立てるとは思っていなかった。

敗因はそこにあった。論文の出来も最悪だった。やはり信念を持って、「これを研究するんだ!」という熱意を持った人に敗れたのだと思う。少なくとも学部時代の自分にはそれだけの熱意がなかったし、だからこそ大学院で研究テーマを変更しようと思った。ただ、論文を書き直すことはしなかったので、そのまま提出してしまった。そこには慢心もあったろう。

何度も言うが、試験に落ちて気分が良いわけがない。もちろん通過していて欲しかった。今頃小躍りしながら引っ越しの準備をしていたであろうことを思えば、まだ心の疼くが、しかし思ったよりもショックではない。反動でもあるが、今とてもやる気に満ちている。自分の直すべきところ、本当にやりたい研究、どのようにして研究を進めていくべきかなど、考えたことがたくさんある。これはただのうのうと正月を過ごしていたら得られなかったことだ。

今回の勝負は完敗だった。しかし、復興の芽はもう出ている。ダメならダメなりにどうすれば良いのかよく考えて、貴重な学生生活を有意義なものにしたい。とりあえず急いで準備しなければならないのは、修士論文、私学適性検査対策の二つだ。これは堅実に進めなければならない。ゼミの課題も重要だ。その他にやりたいこととして、簿記と英語、経済の勉強をしたい。本もたくさん読む。旅行にも行く。

今更「もし通過していたら」などと考えていても詮無いことだ。前向きに生きていこう。もし、修士論文の提出を再来年とするならば、あと2年学生生活がある。その間に何をしたら良いのか。やりたいことと、しなければならないことを上手く組み合わせて、充実した時間にしたい。もう一度、大学院生活のコンセプトである「大学時代の失った時間を取り戻す」をテーマに、毎日楽しく生きることを目指してみたい。頑張るぞ!

ところで久々にこう長い文章を書くと、ひどいことひどいこと。主語述語が一致しない部分とかがたくさんある。まぁそれも徐々に直していきましょう。

緊縮

ここのところ結構サボり気味だった。それは間違いない。何だかんだとイベントが続いて、つまり休みが続いたので、生活のリズムが上手く取れないことを言い訳にしてサボってきた。今日改めて見直してみると、そんなに甘くないことに気づき、かなり焦った。幸いにして、前期分の蓄積があるので、まだ間に合わないということはないだろうが、真剣に挑み続けてようやく届くかどうかというところだ。総合的な学力を身につけるために何をすべきか、改めてまとめてみたいと思う。

近現代史は、去年の院試でも勉強したように、それなりに知識が身に付いてきたように思う。ただ、期間が空いてしまうと忘れてしまうところもあるので、抜けの無いように継続して勉強することが大切だ。古代から近世にかけては、大学受験のとき以来あまり勉強していないので、さすがに講談社を使うわけにはいかないが、概説書を利用して、知識を詰め直す必要があるだろう。古代史は古代史の基礎知識を使うこととして、中世と近世をどうするか相談しなければならない。

修論を書くにあたって必要になってくるのが史料の読解能力だが、この先近現代に限らず日本史を時代の枠にとらわれずに網羅したいと考えているので、古代からの史料を最低限読めるようにする必要がある。くずし字はもちろんそうだが、漢文をしっかりと読みこなせるようになることが大切だ。家には日本史史料があるので、しばらくはこれを使用して、古代から近世までの史料読解の基礎を学びたい。

重要なことは、やはり史料の読解力だ。通史の方はそれほど時間を割く必要はないようだ。あくまで基礎知識の蓄積に努める。大学受験時代の知識があれば、十分だと思う。それに対して、史料読解はこれまで経験が無い。ゼロから始めなければならないのだが、独学では限界がある。出来れば全時代の三者協にでも参加したいところだが、授業やバイトとかぶっていて、かろうじて古代史のに参加出来るくらいだ。仕方が無いので、次善の策として日本史学専修室で勉強するというのも検討したい。

少し甘えていた。この辺りで兜の緒を引き締めていこう。時間は十分あるわけではない。もし2年で卒業するとしたら尚更だ。今しっかりやっておくことで、将来効果は必ず出る。今しかない、最後のチャンスだ。そのことを忘れずに、一日一日を大切に過ごしていきたい。やりたいことはたくさんあるけれども、それは後からでも出来る。負けるわけにはいかない。

言葉を知りたい。

この前、後期の授業で菊池寛を扱うといわれたので本屋で菊池寛の短編集を買ってみた。あまり短編集というのは好きではないのだが、菊池寛自体があまり長編小説を書いていないようなので仕方なく購入した。本当は夏休み中に欲しかったのだが、地元の小さな本屋では菊池寛自体が置いていなかったので、これまで伸びてしまった。どうやら全集などを除くと、岩波と新潮から短編集が出ているくらいのようだ。

そんなわけで一昨日あたりから読み始めて、今朝読み終わった。だいたい10話くらい入っていたように思う。印象深い作品が多かった。確か『恩讐の彼方に』という作品の中にあった言葉だったと思うが、「亡羊の嘆」という言葉が強く心に残った。この作品は、文庫のタイトルになっているくらいに菊池寛の代表作なのだが、内容は正直に言って他の作品に比べて圧倒的に優れているようには思えなかった。誤解を招かぬように書いておくが、他の作品が素晴らしいので、突出していたようには思えなかったということである。

さて、「亡羊の嘆」だが、iPhone大辞林によると「学問の道が多方面に分かれていて、容易に心理を得がたいことのたとえ。また、思い迷って途方にくれたり、どうしてよいかわからず考えあぐねること」となっている。少し前の小説を読んでいるとわからない言葉がたくさん出てくるので、常に辞書を片手に読み進めているのだが、これも例に漏れず辞書を引いてみて初めて知った言葉だった。そういう点ではiPhone大辞林はとても便利である。

その意味を知ったとき、ここ数年の悩みを一言で言い表されたような気がして驚きを禁じ得なかった。自分はまだ学生なので、これから人生の進路を決定することになる。だいたいの方向性は定まっているものの、それもまた細かくわかれていて、どこに進めば良いのかはっきりと決められなかった。どこに進むのかを決めなければならないのに、何を基準にして決めたら良いのかわからず、結局何もしないまま大学生活の後半は終わったように思う。

やりたいことはたくさんある。旅行にもまだまだ行きたいし、博物館や映画にもたくさん行きたい。そういった娯楽への欲求は尽きることが無い。それ以外でも、勉強したいことも山ほどある。とりあえずやってみたいと思うのは経済だ。歴史を学ぶ上で経済は欠かすことの出来ない要素であるのは否定しようがない。そして、経済を深く学ぶためにはある程度、少なくとも高校卒業程度は数学が出来なければならない。かといって、本業の歴史学が学歴(大学のランクという意味ではなく)に見合うほど十分に身に付いているかと言えば、とても自信が無い。だから、歴史自体をもっと深く知りたいと思う。

ただ、足りないのは時間だ。恐らく、どんなに時間を無駄にせずにきたとしても時間がないと思うのだろうが、ある程度無駄にしてしまったという後悔があると余計にその感情は強くなる。ただ、諦めも早くなる。今何が必要なのかを考えなければならない。

これから数年、どのような道を辿ることになろうとも、将来的に教員を目指したい気持ちは今のところは揺るがない。だから、早ければ1年半後、遅ければ11年後の自分を描いて準備をしたい。1年半後というのは、少々早すぎる。要するに院を卒業した後に教員として就職するということになるが、それまでに十分な学力が身に付くだろうか。今はとても心許ない。逆に11年後というのは遠すぎて目標が立てにくい。こちらはいったん一般企業に就職してから教員免許の期限が切れる時期に転職するというパターンだが、そもそもどこの企業で何をして働いているのか、その間勉強するだけの時間を確保することが出来るのかが現時点では全く見えない。

卒業後はあとで考えることとして、学生で居られる時間をどう過ごすかというのが現在最も重要な問題になる。ストレートで院を卒業すれば残り1年半、1年余計に居たとすると2年半あることになる。もちろん2年半の方が都合が良いのだが、その分就職が遅れるわけで両親ともその点は話し合わなければならない。自分一人の問題ではない。

今、最もやりたいと思うのは、現実性のあるなしを考えなければ、日本や世界を見て回ることだ。これは単なる旅行欲ではなく、学校で社会科を教えるときに、その内容を自分の目で見たことがあるかどうかというのは重要な問題だと考えるからでもある。去年教養科目で取っていた宗教学の教授は、キリスト教の歴史を熱っぽく語っていたが、ギリシャ修道院まで実際に行って、その様子を詳しく語ってくれた。その説明は、これまで受けたどの授業よりも説得力と迫力があり、何よりも面白かった。そういう授業をなるべく出来るようになりたい。

そういうわけで今年は北海道を回ってみたわけだが、小学生の地理の授業はこれまでよりも格段に説得力を増して出来るようになったと思う。例えば「サロマ湖ではホタテの養殖が盛ん」ということを教えるときに、今回の経験を生かして「道ばたになぜかホタテの貝殻が30センチごとに落っこちている」ということを詳しく話してあげれば、ただ教科書をなぞるだけよりもはるかに興味を持ちやすいだろう。

ただ、日本全国を見て回るだけでも、長い期間が必要なのに、もう最後の夏休みが終わってしまった。来年の夏休みは修論に追われることになるので忙しい。採用試験の対策もしなければならない。春休みは就職活動だ。4年間何もせずに過ごしてきた自分の愚かさを呪うしか無いが、この点はどうにかしたい。働き始めてからではとても出来ることではないのだから。

勉強は短い時間でも出来る。今が一番学問に向いている時期だから、一生懸命やる。とりあえずくずし字を読めるようにして、もう一度近現代史を復習する。英語もやる必要がある。休みを得るためにも、普段頑張っておく必要がある。モチベーションがあがらずにいられようか。

バイトの時間ももったいないのだが、辞めるわけにはいかない。責任もあるし、給料も必要だ。何よりも、子どもに教えるという行為を続けていたい。今年は、といっても半分が終わったが、授業内容の改善に真剣に努めたい。誰よりも楽しい授業に、誰よりも伸びる授業にしたい。5年目を迎えて、少しダレてしまっていたが、修正する。

久々にフルで観た試合

北海道から帰ってきたら、弟がCity vs Unitedを録画したのを観ようというので、観ることにした。早稲田の家にはスカパーはおろか、アナログ放送すら映らないので、サッカーの試合を観るなんて本当に久しぶりだ。まともに観たのは昨シーズンのCL以来だと思う。今期はレアルに話題を完全にかっさわられているけれども、Cityも相当の補強をしてきている。まぁ金力にものをいわせるやり方は面白くないけど、選手に罪は無いということにしておいて、観るのを楽しみたいと思う。

観た感想としては、Cityは今期は優勝争いに絡むことはないだろうということだ。個人個人が良いプレーをして、Unitedから3点ももぎ取ったのはなかなか見事だった。しかし、果たしてこれがチームとして機能しているのかというと、全然そんな感じがしない。中盤でボールを支配することが出来ず、後半は特に完全なカウンター狙い。アウェーでUnited相手だったら仕方ないことかもしれないけれど、2−2で時間が15分もあれば、失点するのは目に見えていた。そして結果3点目を取られた。

当然そこからはCItyは失うものは無いので、前線にどんどん出てくる。しかし、攻撃が単発なので、特に脅威になるようなものではなかった。たまたまファーディナンドが意味の分からないパスを出すから点を取れたものの(ファーディナンドはこういうミスが多いと思う)、本来だったら守りきれたはずだ。そもそもUnitedの最初の失点だって、キーパーが素直に弾いていれば別に脅威ではなかったはずだ。決めたのは素晴らしかったけれども。テヴェスも頑張ったのは間違いないけれども。

ギブンもやはり良かった。安定していて、あの失点は仕方ない。キーパーの責任ではない。特に最後の4点目などは、完全にギグスが上手すぎたのであって、キーパーに責任を求めるのはひどすぎる。あの試合はギグスが輝いていた。オーウェンへのパスも、どこに目が付いているのか、といいたくなるような絶妙さだったし、その前にもベルバトフにアウトに引っ掛けた見事なクロスをあげていた。

なんか思いつくままにつらつらと書いていたらまとまりのない文章になってしまった。とりあえずCityには簡単に監督を解任したりせずに、チームとして機能するようにしてほしい。今シーズン優勝するのはあまりにきつすぎる。来シーズンのCL出場圏内狙いくらいにとどめておいて、基礎をしっかりと造って欲しいと思う。そうしたらきっとアーセナルとためを張れるくらいにはなれるだろう。アーセナル・・・

Unitedは今年は優勝は厳しいかもしれない。核となるのはルーニーだけれども、彼一人でチェルシーのディフェンスを突破するのは無理だろう。今年はチェルシーが頭三つ分くらい抜きん出ている。大きな流出も無いし、何よりもあの完璧なゾーンディフェンス。去年のCL準決勝で、バルサをあれだけ手こずらせたのは引いていたからではない。ディフェンスが完全に機能していたからあそこまで接戦になったのだ。

モウリーニョサッカーからの脱却を果たしたチェルシーは強い。強固なディフェンスと技術ある遅攻。遅攻が出来るチームは強い。速攻は攻撃の基本だけれど、相手に引かれてしまうと突破するのが極端に難しくなる。それを強引にこじ開けるだけの遅攻力が必要だ。トップチームならなおさらだ。リヴァプールは戦力的に長いシーズンを戦い抜くのが厳しいし、アーセナルはいうまでもなくケガ人続出と戦力流出の影響が大きすぎる。

18日間

こんばんは、そしてお久しぶりです。本当に久々にパソコンの前に座っています。右上に閉じるボタンがあるのはちょっと気になりますが、まぁたいしたことではありません。こうして文章が打てるなら、全然問題ではないのです。

これまで何をしていたのかというと、北海道を一人で回っていました。自転車で、です。行こうと思ったきっかけはたいしたことではなく、単純に学生らしいことをしてみたいということでした。愚かにも、学部時代には長い休みの貴重さがわからず、バイトに明け暮れていました。それで九月にちょっと旅行に行く。それも長くて3泊くらいです。

去年、自分は大学院に進学することを決め、同居人を始めとする近しい友達は就職活動をしていました。このときになって初めて、自分はもうすぐ働くのだということを明確に意識しました。あまり会ってはいませんが、高校の同級生はほとんど働いています。彼らはもう退職するまで1ヶ月も2ヶ月も休みをもらえることなどないのだと、ようやくわかったのです。

そんな中で、自分の学部時代の休みを改めて見直すと、10年20年後、あるいは50年後になって自分の大学時代を振り返ったときに、何も思い返すことがないのではないかと不安になりました。「大学のときにはこれをやったんだ」というはっきりとした思い出がなく、ただ単に社会に出るまでのモラトリアムとして時間が過ぎるままにすごしていたことになってしまう。それではあまりに悲しすぎると思いました。

だから、思い出になることならば何でも良かったのです。そこでぱっと思いついたのが自転車での長距離旅行でした。1ヶ月くらい普段自分が関わっていることからまるっきり離れて、自分のことを誰も知らないところで過ごしたらどうだろうか、そう思ったのです。就職するための準備期間としてただ忙しくすごすのだけは嫌でした。もし、これで就職に苦労することになったとしても、それは仕方のないことです。今しかできないことをやりたかった。

本当は勉強をしなければなりませんでした。大学院に入って、自分が如何に勉強が出来ないかを痛感していたので、夏休みは必死になって勉強して、後期からの授業に少しでも食らいついていけるようにならなければならなかったはずです。院生の夏休みは勉強するためにこそあるのですから。自分の研究も進める必要がありました。

それでも、後悔しないためにはそれも諦めなければなりませんでした。学生の本分から外れていることはわかっています。もしかしたら親に迷惑をかけて修士3年目を迎えることになるやもしれません。それも覚悟の上です。

そんなわけで、人生単位で今を考えたときに、決して後悔することの無いようにしようと思って過ごしたのが今年の9月でした。だから、決して安易な気持ちで出かけたわけではないのです。その責任を全て一人で引き受ける覚悟をして過ごしたのです。そうして今、ほとんどの旅の日程を終えてホテルの机に向かっています。今日は北海道を旅行をしていて感じたことと大体の日程をまとめておきたいと思います。まずは日程から。

北海道に入ったのは9月8日の朝でした。前日夜に八戸をフェリーで出発し、朝8時に苫小牧に着いたのです。そこから毎日どこに泊まったのかということと走行距離を一気にまとめます。

苫小牧
 ↓ 70キロ
札 幌(ホテル)
 ↓ 140キロ
留 萌(キャンプ)
 ↓ 90キロ
遠別町(民家)
 ↓ 90キロ
稚 内(ホテル)
 ↓ 120キロ
枝 幸(キャンプ)
 ↓ 130キロ
上湧別(キャンプ)
 ↓ 80キロ
網 走(キャンプ)
 ↓ 110キロ
尾岱沼(キャンプ)
 ↓ 115キロ
根 室(ライダーハウス)
 ↓ 125キロ
釧 路(ホテル)
 ↓ 0キロ
釧路泊(ホテル)
 ↓ 125キロ
忠 類(キャンプ)
 ↓ 165キロ
静 内(キャンプ)
 ↓ 110キロ
千 歳(ライダーハウス)
 ↓ 80キロ
小 樽(ライダーハウス)
 ↓ 110キロ
洞爺湖(キャンプ)
 ↓ 110キロ
 森 (キャンプ)
 ↓ 110キロ
函 館(ホテル)

といった感じです。積丹半島の方と室蘭の方には残念ながら行っていないのですが、ほぼ北海道一周です。だいたい2000キロくらいでしょうか。本州を走っていた分を含めると、走行距離は全部で2700キロになります。さっき調べたら、高速道路を使った場合、稚内から鹿児島まで到着できる距離です。この点に関しては、我ながらがんばったと思います。

ちなみに宿泊に関してですが、遠別町の「民家」となっているのは、銭湯で出会った見ず知らずの方の家に好意で泊まらせていただいたということです。まさか本当にこんなことがあるなんて思っていなかったので、驚きの体験でした。あとは普通です。ライダーハウスというのは北海道に入ってから知ったのですが、大体どこでも1000円くらいで泊まれるライダーのための宿泊施設で、大部屋にみんなで寝るといったタイプのものです。

よく、自転車での旅行は「自分探し」などといわれますが、そんなことは正直出来ないと思います。毎日必死です。ペダルをこいでいるだけで精一杯です。自分探しをするならば徒歩旅をするか、徒歩と何らかの移動手段を組み合わせたほうが良いでしょう。思ったよりもはるかに考える時間はありませんでした。

それでも、何となくですが、いくつか大切なことに触れられたような気がします。まだ上手く文字に出来るほどにまとまっていないのですが、書いているうちにまとめることが出来るかもしれません。思いつくままに、書くことにします。

一番大きかったのは、人の好意(厚意?)に恵まれたことです。これは本当に恵まれたと思います。先ほど少し書いたように、旅の途中で会った方の家に泊めていただいたのを始めとして、いろいろなところで優しい言葉をかけていただいたり、本当に何かをいただいてしまったりしました。

遠別町でその方に出会ったのはほんの偶然でした。その日は海岸線を走っていたのですが、たまたま強い向かい風で、本来ならば120キロ進んで手塩町に入るところが、全然進まずに30キロ手前の遠別町になってしまったのです。遠別町は小さな町で、キャンプ場が二つもあるのに、コインランドリーは無く、温泉どころか銭湯も無くて、地域の老人福祉センターで風呂のサービスがあるだけでした。

向かい風に身も心も疲れ果ててしまい、テントを張ってしばらく休んでから福祉センターの風呂に向かいました。本当に小さな湯船で大人が4人も入れば狭くなってしまうくらいでしたが、風呂に入れるだけで十分ありがたく、いつもよりもゆっくりと湯船に使っていました。先客は2人いて、特に何も話すことなく先に上がられました。

その後に入ってきたのが泊めていただくことになるその人です。そのとき僕はたまたま近いのに福祉センターまで自転車で行っていました。それを見てわかったのでしょう、「兄ちゃん、自転車かい?」と声をかけられました。これまで一週間ほど自転車で走ってきましたが、それまではずっとホテルに泊まっていたので、知らない方とまともに話をするのはこれが初めてでした。

とても気さくな方で、知らない人との会話が苦手な僕もよく喋りました。そこでその方が50年前の早稲田出身の方であること(エチオピアを知っていました!)、大倉山(実家の隣の駅です)に息子さんが住んでいることなどをお聞きして、お互い驚きました。その日は夜になっても風が強かったので、「今日はキャンプです」と話すと、とても心配してくれて、「うちに泊まりに来い」と言ってくださいました。

最初は迷惑ではないかと遠慮していたのですが、最終的にお邪魔することにしました。正直、風が強く真っ暗なキャンプ場で一人で過ごすのは心細かったのです。それに東京を出て以来、あまり人と喋っていなかったので、人恋しくもありました。近くで商店を営んでいらっしゃって、これまでになんと100人くらいの旅の学生を泊めたことがあるそうです。

奥さんも大変喜んで歓迎してくださって、夕飯をご馳走になってしまいました。肉に魚に野菜にと、北海道の幸のオンパレードでした。あまりの豪華さに恐縮してしまいましたが、「疲れているんだろうからどんどん食べなさい」といって、食べきれないほど用意してくださいました。そのときに食べたカボチャの美味しさはこれまで経験したことの無いものでした。

会話も弾み、遠別町での生活がどのようなものなのか、今の早稲田周辺はどうなっているのか、大学院で何を研究しているのか、息子さんたちは何をしているのか・・・いろいろなことを話しました。年齢は50年も離れていて、その日会ったばかりなのにこれほど自然に、親しく話せるとは思ってもみませんでした。

その日は22時には寝てしまい、翌日は6時半くらいに起きて布団をたたんで階下に向かうと、朝ごはんの用意をしてくださいました。朝から豪勢です。正直に驚いていると、「これが普通の朝ごはんだ」と笑っていっていました。ごはん、焼き魚、魚の味噌汁、漬物、玉子焼き、トマトにヨーグルトをかけたもの。ずうずうしい話ですが、ごはんを2杯もおかわりしてしまいました。

奥さんが何か準備をしているので、どうしたのかなと思っていたら、お弁当を用意してくださっていました。それも半端な量ではありません。おにぎり3個に玉子焼き。普通ならこれで十分昼ごはんになります。それだけでなく、お稲荷さんを8個、さらにトマトを5個に、バナナを持たせていただきました。

あまりの優しさに恐縮してしまい、何度もお礼を言うと「そんなに頭を下げなくて良いから」と笑っていました。しかし、頭など何度下げても感謝の気持ちを表すには足りません。無事東京に帰ったら必ずお礼の手紙を出そうと、別れ際に住所をいただきました。見ず知らずの他人に、ここまでしてくださる方がいるということを初めて知りました。

こんな経験は、東京に居たら絶対に出来ません。知らない人に優しくすることなど自分も全然無いのですから。他人は自分の人生に関わりの無い存在で、優しくする意味が無い。それくらいに考えていたかも知れません。でも、そんなことは無かった。その日たまたま会った50歳年下の学生に、ここまで優しくしてくださる方が居たのです。

ほかにも、たくさんの方の親切に支えられて進んできました。道の駅で会って、ポットのコーヒーをご馳走してくださったご夫婦、トマトやバナナを「美味しいからこれ食べて頑張りな!」と下さった道の駅のおばちゃん、「内緒だよ」とキャンプ代をまけてくれただけでなく敷物まで用意してくれたキャンプ場の管理人さん、道で「頑張ってー!」と手を振ってくれた小学生の男の子。その度に走って疲れて眉間に皺がよっていた自分は、自然と笑顔になりました。

世界の真理だとか、自分の生きる道だとかを見つけられたわけではありません。しかし、人から優しくされるという一見当たり前の経験が、一番印象に残り、少し自分を変えてくれたと思います。もっと人を信じても良いんだと思うようになりました。人にとって大切なことは、ビジネスの世界で才覚を発揮して存分に活躍することだけではなく、もっと身近にもたくさんあるのだとわかりました。

わかったことはとてもシンプルです。決して難しいことではない。しかし、これまでそのシンプルなことが自分には出来ていなかったのも確かです。狭い自分の世界に閉じこもって、自分の利害に関わりの無い世界に無関心でいたと思います。それでは人間の良さがわからない。少しでも良いから優しくなろうと決めました。

そんな感じです。やはり上手く言葉には出来ません。直接の経験そのものが大切だからなのだと思います。今日は疲れたのでここまで。また今度、東京に帰ったら振り返ってみたいと思います。