完敗したけれども・・・

半年以上前から、というのはかなり大げさな表現で、実際に頑張っていたのは最後の一ヶ月だけだったわけだけれども、少なくともその間は一生懸命頑張った結果としての試験に通過することはかなわなかった。努力が実らなかったという意味ではとても哀しく思うし、またほとんどが通過していたことを考えると、落ちた自分がとても情けなく思えてくる。いったい何が足りなかったのか、それは考えるまでもない。

しかし、1次試験には通過出来たことで(といっても大半が通過していたのだが)、心の負担はかなり軽くなった。1次試験で落とされてしまったらどうしよう、そのことばかり考えていて、試験の前日は胃が痛くて仕方なかった。よく眠れたけれども。だから1次試験対策は必死にやった。自信過剰といわれてしまえばそれまでだが、1次試験の専門の出来は、受験者の中でもトップクラスだったと思う。英語が特に出来たわけではなかったので、不合格の心配もあったが、大丈夫だろうと信じることが出来た。

そしてそれは現実になり、1次試験は無事通過。ただ、通過者の数がとても多い。そこで初めて1次試験は、大学受験でいうセンター試験的な役割を担っているにすぎないことに気がついた。本当に大切なのは2次試験だったのだ。1次試験通過に重きを置いていたので、2次試験対策はほとんどしていなかった。というか2次に立てるとは思っていなかった。

敗因はそこにあった。論文の出来も最悪だった。やはり信念を持って、「これを研究するんだ!」という熱意を持った人に敗れたのだと思う。少なくとも学部時代の自分にはそれだけの熱意がなかったし、だからこそ大学院で研究テーマを変更しようと思った。ただ、論文を書き直すことはしなかったので、そのまま提出してしまった。そこには慢心もあったろう。

何度も言うが、試験に落ちて気分が良いわけがない。もちろん通過していて欲しかった。今頃小躍りしながら引っ越しの準備をしていたであろうことを思えば、まだ心の疼くが、しかし思ったよりもショックではない。反動でもあるが、今とてもやる気に満ちている。自分の直すべきところ、本当にやりたい研究、どのようにして研究を進めていくべきかなど、考えたことがたくさんある。これはただのうのうと正月を過ごしていたら得られなかったことだ。

今回の勝負は完敗だった。しかし、復興の芽はもう出ている。ダメならダメなりにどうすれば良いのかよく考えて、貴重な学生生活を有意義なものにしたい。とりあえず急いで準備しなければならないのは、修士論文、私学適性検査対策の二つだ。これは堅実に進めなければならない。ゼミの課題も重要だ。その他にやりたいこととして、簿記と英語、経済の勉強をしたい。本もたくさん読む。旅行にも行く。

今更「もし通過していたら」などと考えていても詮無いことだ。前向きに生きていこう。もし、修士論文の提出を再来年とするならば、あと2年学生生活がある。その間に何をしたら良いのか。やりたいことと、しなければならないことを上手く組み合わせて、充実した時間にしたい。もう一度、大学院生活のコンセプトである「大学時代の失った時間を取り戻す」をテーマに、毎日楽しく生きることを目指してみたい。頑張るぞ!

ところで久々にこう長い文章を書くと、ひどいことひどいこと。主語述語が一致しない部分とかがたくさんある。まぁそれも徐々に直していきましょう。