30歳、40歳、50歳、60歳・・・いつまで続くか。

このところ、将来どうしようかとても悩む。働くという点で周りに取り残される不安はもうそろそろ不安ランキングの順位を下げてきて、今怖いのは、そろそろ本格的に将来設計をしなければならないということだ。そして、その想像がつかないということでもある。みんなその決断をして今に至っているのだと思うと本当に感心する。もちろん、流れで今の場所に居る人もたくさんいる、というか大半だとは思うが、それでもすごい。速く走れなくとも自分の足で立つということは、それだけで価値がある。

終身雇用制が前提であった日本で育ったせいか、そういう家庭に育ったせいか、自分にはこれまで「転職」という選択肢がなく、一度働き始めたら、その世界でずっと生きていくのだと思っていた。夢を追うのは就職するまでのことで、希望通りの就職ができれば夢が叶ったことになり、そうでなければあとはただ生活のために働き続けることになるのだろうと考えていた。これはそもそも自分が「変化」ということをあまり好まない性格であるせいでもある。封建世界に生まれていたらさぞ従順な一農民または町人として一生を終えていたと思う。生まれる時代を200年間違えた!

よくまだ20代前半であることを告げると、「色々出来て良いわねー」といわれて、あははなんて笑顔で返しながらも、内心では(んなわけねぇだろ!もう選択肢なんてあんまりないわ!)と思っていた。しかし、大学院に入って1年、人生にはいろいろな岐路があるということがおぼろげながらわかってきた。修士に進んだ自分にもまだまだたくさんの選択肢がある。博士に進むことも一つの有力な選択肢だ。一度働いてから博士に進んだって良い。留学しても良い。

働いたことのない人間が、そんなことをいうのは甘えかもしれないし、自分でもそう思う部分はある。そんな話をしていると、父にはよく「そんな人間は企業には必要ない」などと手厳しいことをいわれるが、働いている父がいうのだからそうなのだろう。そして、もし自分が企業のお偉いさんだったら、企業のために粉骨砕身で働いてくれる社員の方が良いと思うに決まっている。

それでも北海道に旅行にいったあたりからずっと「人生はたった一度しかない」ということと「自分の人生なんだ」ということを強く意識するようになった。そして時間の大切さを考えるようになった。これは学部時代の貴重な時間を無駄に過ごしてしまった反省から来ている。

これまではずっと誰かに見られることを意識して生きてきたと思う。親にはどう思われるか、先生にはどう見られるか、世間にはどう映っているのか・・・そんなことを考えて、なるべく認められるようにしたいと思ってきた。大学を中身のことなど何も考えずに偏差値表で上から受けていったのはその最たるもので、大学院に進むことを決めたときも、その方が箔がつくと思っていた部分もかなりあった。もちろん、教育実習で自分の実力不足を思い知らされたというのが一番の理由だけれども。

だが、そういう「どう思われるか」ということさえ、後ろの方に押しやってしまえば、世界はかなり広くなる。

24歳で初めて働き出す、同級生からは2年遅れている。一人だけ社会の常識を知らないで、好きなことばかりやっている。だから少しでも遅れないように、就職活動を頑張って、面接に通りやすいような努力をして、そして少しでも社会的地位の高い企業に入社する。そう考えて4月頃は頑張ろうと思っていた。しかし、インターンに大失敗し、それも挫折。ちょっとショック状態に陥ってしまい、その方向は諦めた。しかし、それが良かった。

人生はたった一度しかないし、体力も時間もあるのは人生で今しかない。将来教職に就きたい気持ちは恐らく、これから変わることはないだろう。だとするならば、色々な選択肢がある。教職というのが面白いのは、その人間性が大きく影響するところだ。だからこそ大変な仕事でもあるのだが、多様な理想像を描くことが出来る。専門教科を上手く教えることにも価値があるし、生徒との距離が近いことにも意味がある。逆に距離を置いて厳しく接することも大切だ。だから、「これだ!」という理想像を決めることは出来ない。人それぞれなのだ。

ということは、意味があると思われることだけでなく、色々な経験をすることが大切になってくる。ダメなのは、ただ何となくよかれと思うことをして過ごすことだ。例えば勉強も、私学適性検査や教員採用試験に向けて必死にすることも必要だろう。しっかりした授業をするためにはそれを裏打ちする知識が必要になる。だが、テストで捉えられる範囲で学問を終わらせてしまっては、その後の広がりは出てこない。

そりゃいってしまえば、史跡などを観に行かなくともテストで点は取れる。というよりも旅行にいっている時間を勉強に充てた方が点は伸びるだろう。しかし、それでは深みも厚みも出ない。これは大学院で日本史を専門にしている人はみんないう。整理された史料を読むだけでなく、実際に現場に足を運んで、その土地の雰囲気を感じてくることが大切だと。そして、専門とは関係のない授業が実は、思わぬところで役に立っていることなど。一点突破というと聞こえは良いが、裾野がしっかりしていなければ高い山にはならない。

大学院を3年かけて卒業するというのも一つの手だ。ただ、それだと直接の博士への進学は諦めることになる。3年かけて修士を出たとしたら、まず働くだろう。学校かもしれないし、企業かもしれない。とにかく働く、そしてある程度時間が経ったら、そこでまた考える。まだ研究でやりたいことがあると強く思うのであれば博士課程を受験すれば良いし、海外を観に行きたいと思うのであれば海外の大学院に留学したって良い。まだ働きたければ当然働き続ける。それらは決してマイナスにはならない。

今、一番の理想として考えているのが、大学院を3年で修了して、どこかで働く。3年から4年働いて、海外の大学院に留学する。2年で課程を終え、帰国して教員として学校で働く。一度は海外を見ておきたいという気持ちが強い。もちろんこれは理想であって、その間にもしかしたら結婚するかもしれない(考えがたいが)。そうしたら事情は全く異なる。それはそれでそのときの理想に向けて頑張るだけだ。

そのためだったら頑張れる。まだまだ自分は努力すれば可能性に満ちていることを意識して、停滞しないように努める。今ある環境に落ち着いてしまっては進歩はない。まだ学生なのだということを前向きに生かして、これからの修士生活を送りたい。



というわけで英語やらないとなあ・・・留学云々はおいておくこととしても、少なくとも日常会話くらいは出来るようになりたい!中学とか高校のオーストラリア研修みたいなところで流暢に会話出来るようになりたい!だから今から専門の日本史とともに英語も頑張ります。清水は今TOEIC対策を結構頑張っている。自分も何か頑張らないといけないけれども、そんなに英語ばかりやっているわけにもいかないので、5年後に話せることを目標にちびちび頑張ろう。ちょっとした積み重ねが案外大切なんですよ。多分ね。

まぁそろそろ真剣に考えないといけないのは、お金の問題ですね。金がなければ何も出来ん!というのは言い過ぎだけれど、選択肢が狭まるからな・・・