知らぬが仏

「知る」ということは面白い。新しい知識を得るということは、人生の中でも最大級の喜びであろう。しかし、知ってしまったがゆえに後悔が心を襲うこともままある。人生は選択の連続であるが、過去に戻ることなど出来ない。そして、その重大な選択の時期がまさに今なのである。

先日、古賀から就活について話を聞いてきた。はっきり言って、話が大きすぎて自分がそれを達成できるなどとは到底思えなかった。ご存知の通り、自分は自信家、あるいは過信家であるが、そこまで自分の能力を過大評価してはいないつもりである。これからの一年の過ごし方次第では、難関といわれる企業に入ることも決して不可能ではないだろうし、将来的に年収の面で「勝ち組」(実に嫌な言葉だ)になることも夢ではあるまい。

ただし、やはり壁はあるだろう。それは才能の壁ではなく、これまでの人生の壁だ。例えば、大学受験で自分は最大限の努力をしなかった。受験期に限らず、中学生活、高校生活において勉学の重要性を認識することが出来ず、結果として受験に繋げることができなかった。受験などは勉学の意義に比べれば吹いて飛ぶほどの価値でしかないが、実際に現代ではそれが重要視されている以上、その点をぬかったことは認めなければならない。

将来の夢に向かって、幼い頃から一貫して努力してきた人間はごく少数であろう。しかし、その戦場に立っている人間に限った話とすれば、それは決して珍しいわけではないと思う。大多数の人間がただなんとなく生きているとして、そこより努力したとしても、その戦場では何の意味もない。

大きな世界で働くべきだ。それは間違いない。教職に就くにあたって、そして社会科教師として、教科書をなぞるだけでなく、肌で感じたことを伝えるとすれば、大きな世界で広い視野を養った方が良い。だが、それは果てしなく難しいようだ。

自分の人生で、成功と思われるパターンは大きくわけて二つある。ひとつは物質的に満たされることであり、もうひとつは精神的に満たされることだ。望ましいのはその両立であるが、自らの才能とこれまでの人生を考慮するならば、両立はひどく困難である。中途半端に両方を満たそうとすれば、両隣の芝が青く見えることだろう。

現代で、物質的に満たされるには金銭を稼ぎ出さなければならない。投資家だとかそういった方面に進むための努力をしなかった自分には、短期間で莫大な資金を稼ぎ出すことは不可能である。それはそもそも諦めるとして、例えば、年収1500万円を物質的に満たされるための条件としよう。そのためにはどうしたら良いか。

まずは、一流企業に入社することである。五大商社なり、三大メガバンクなり、三大証券会社なりに入れば、出来ないことはないはずだ。そして、入社することも、とてつもなく厳しいとはいえ不可能ではない。ただ、話を聞く限りでは、これらの職業は働き詰めらしい。自分の時間を得られない一方で、物質的に人生を満たす力を手に入れることが出来る。

それはちょっと遠慮したい。そもそも呼ばれてもいないのだから遠慮するも何もないのだが、自分の時間がないのでは何のために生きているのかわからない。だから、仮に運良くそういった物質的に満たされる状況にたどり着けたとしても、それを生涯の職業とすることはないだろう。

ああ、そろそろ面倒になってきた。長い日記というのは途中で飽きるから困る。まぁ良いとしよう。