長かったようで一瞬、しかし寂しい訳ではないのが残念。

今日、卒業判定および教員免許判定、成績発表が行われた。西洋史学発達史の再試験を受けなかったので、教員免許は結構厳しいかと思っていたが、なんと全部取得できたようだ。教員を目指しているのだったら、それくらいしっかりやれとお叱りを受けそうなのだが、結果として取得できたので良いとしよう。

成績は、別に可もなく不可もなく、と言った感じだった。ただ4年間で一度もフル単を達成できなかったのが心残りだ。今年はあと一つだったのに、しかし、卒業できたのだから良いとしよう。結果よければ全て良し。有終の美。これはちょっと違うか。

宗教学がA+だったのは嬉しかった。まじめに授業を聴いて、結構勉強したのだから当然とも思うが、やはり努力が報われれば嬉しい。周りの席の連中がテストを早々に切り上げて、次々と席を立っていく中で一人時間ギリギリまで奮闘していたのだ。まぁ先生が良かった。早稲田にいてあの授業を受けないのはもったいない。

あとは教育実習演習がA+だったのも良かった。教育実習はこれまでの人生の中で一番頑張った事かもしれない。今思えば、目的が少しずれていたかなという気もしないでもないが、頑張ったことは事実だ。別に演習自体を頑張った訳ではないが、これも嬉しい。

逆に、ダメだったのが卒論演習だ。まさかのC。まぁ出席が半分を割っていることを考えれば、単位が来ただけ良しとしなければならないが、もうちょっと恩師に報いるという意味で頑張るべきだったかもしれない。
ただ・・・他人の発表を、しかも学生の、いい加減な(もちろんそこに自分自身も含まれるのだが)発表を聞くことに何の意味があるのか分からなかった。だからといって出席しなくて良いわけではないが。

いやー大学生活は一瞬だった。もっといろんなことを出来ただろうと考えると、後悔ばかりだが、それほど悪いものではなかった。サークルに入らなかったし、友達も数えるくらいしかいなかったけれども、あの屑のような時間も、心機一転切り替えた時間も、全て何らかの意味があったと思う。

世間的に充実はしていなくとも、自分としては満足できる大学生活であった。本もたくさん読むことが出来たし、いろいろな経験が出来た。自由に使うことの出来る時間があるというのはすばらしい。そういった意味で、大学には意味があると思う。社会に出る為の準備期間としてしかとらえないのはもったいない。

これは、終わったからこそ、満足した感想になるのであろう。終わらなかったら、それはそれは恐ろしい結果になる。4月から働く人が多いのには胃が痛むが、自分は自分の道を信じていくしかない。もう戻れないという意味でも。これからだ。まだまだ行ける。はず。

良くある例え話に、人生を一日に例えたものがある。人間の人生を70年だか80年だかとして、それを一日にするならば、我々の世代はまだ朝の8時くらいだ。これから一日が始まるのだ。ここまでで何かが決まるわけではない。これからなのだ。まだ頑張れる。

今日も一日、頑張っていこう。あとマック格好良いな・・・買おう。