進学と不安と信念と。

日本トップレベルの社会科教員になる。これはこの先40年(時代の変化によっては45年)間の基本的な目標だ。あえてトップといわず、トップレベルといったのは教育の多様性を考慮したからであって、断じてトップを諦めたというわけではない。順位がつけられないだけのことだ。

そのためには何をしたら良いか。まずは勉強が第一である。それは間違いない。教える側の人間は教えるべき知識の10倍は知識として理解しておかないと正確な説明は出来ない。あるいはちょっと突っ込まれただけですぐ言葉に詰まってしまう。最悪の場合には、自分の勝手な妄想から事実と違うことを喋ってしまうこともある。正確な知識を持つこと、これなくしてトップレベルになどなれない。

時々、人格的な面ばかりプッシュして、教師であるにもかかわらず「勉強ばかりしていると人格が歪む」などと言い放つ者があるが、それは自分が勉強してこなかったことに対する正当化に過ぎない。教師としての人格と授業を切り離したとしても、生徒をひきつけることの出来る授業が理想的だ。普段から生徒と好ましい関係を築いていくことが理想的だが、それに頼って授業を進めるようではダメだ。逆に、生徒に嫌われていても「授業はわかりやすいよね」という方が−学問の面に限れば−良い。

そういった意味で、文学部の院進学は人生において必要不可欠な要素ではある。もちろん、そこで猛勉強することが大前提であるのだが・・・ただし、その実行は甚だ心許ない。そもそも猛勉強できるのであれば、学部時代からやっておくべきなのだ。そうすれば、普通に院に進むことで得られるだけの知識を、学部4年間で習得できたかもしれない。それをしなかったからこそ、院に進むということを自分は忘れてはならない。

勉強をこの2年で満足できるだけやり遂げたとしよう。他に必要なものはいわゆる「授業力」だ。教育実習に行くまでもなくわかってはいたことだが、知識があればわかりやすく楽しめる授業が出来るわけではない。それは大学のつまらない授業を見ればすぐにわかるはずだ。大学の教員は知識量、特に専門分野に限っては各人が日本トップクラスだろう。しかし、面白くないのは授業を展開する力が足りないからだ。

では、授業を展開する力はどうしたら身につくのか。こればかりは経験であるとしか言いようがない。どれほどサッカーの本を読もうとも、試合を生中継で観ようとも、ボールを触らずに上手くなるわけがないのだ。それと同じで、この点に関しては、教職に就いてから、あるいはバイトで経験値を地道にためていくほかはないと考える。

続かせよう・・・