刑事ドラマ→よし刑事になろう!の流れ

基本的に自分は、映画だろうと小説だろうとマンガだろうと、はたまた現実の人間であろうと、影響されやすい。『プラネテス』を大学2年くらいに読んだときは、「どうして宇宙工学へ進まなかったんだ・・・というかあと5年早く出会っていれば・・・」と思ったものだ。ちなみに『プラネテス』ではロックスミスや九太郎みたいな技術的ポジションが好きです。

今、清水の就活を前にして、揺れている。何だかんだいって、清水の経歴はすごい。ジムのインストラクターで、人気があって(一部アンチありだが)、大イベントに参加して、売り上げが全国クラスだった。一種類の出来事ではあるが、インパクトは間違いなく強い。少なくとも「サークルで幹事やってました」とか「バイトを頑張っていました」というよりははるかに魅力的な経歴だろう。人事の人の見方は知らないが。

それに比べて・・・結局それが問題なのだ。自分には何があるのか。サークルもやっていないし、大学の成績だって良くない。人より力を入れて頑張ってきたことといえば、読書と塾講師のバイトしかない。そして、文系の院進学という危険な賭け。間違ったことをしたとは全く思っていない。仮に面接で「趣味は読書です」というのが受けが悪かったとしても、別にそのために読書をしてきたわけではないので、「むしろこちらからお断りだ」といった気分ですらある。

かといって、就活で全部失敗する勇気があるのかといわれたら、そんな強さは全く無い上に、そこまで自分に自信があるわけではない。しかも相手は年上の面接官だ。確実に向こうの方が人生で重要な場数を踏んできているし、人間も出来ていることだろう。そういった人が求める人間、とはいえもちろん企業にとって必要な人間であってその人が好きな人間ではないだろうが、その理想像に合わなければ、自分は何か間違っているのかもしれない。

自分が面接官で、あと採用残り1枠のところで、自分と清水が面接にやってきたら、間違いなく清水を採る。自分で自分を面接したとしても、そう思うのだから、より客観性が強くなればなおさらその傾向は強くなるだろう。では、自分は一体何を武器にして戦うべきか。

自分の第一志望は教職であり、その点は変わらない。あくまで教員就職の保険、あるいは人生経験・社会経験を積むための就活及び就職である。仮に一般企業に就職したとしても、その企業で一生働く気はない。いつか教職の世界に行きたい。だから、時間のある今やるべきことは就活のための努力ではなく、あくまで教職のための努力なのだ。そこを忘れてはならない。まず勉強だ。その上で、残った時間で自分の武器を見つけ出す。

そのためには就活の実態を調べなければならない。清水が古賀に話を聞きにいったが、ああいったブルジョアの言うことは基本的に参考にならないので、もっと、そう、古賀流にいえば「リアル」な就活体験を聞きたい。こういうときに友達が少なくと困る。数少ない大学の友達は留年と院進学だ。



「そんなんじゃ企業に採ってもらえないよ?」


これは就活に関して嫌いな言葉一位かもしれない。先日の日記にも憤慨して書いてしまったが、久々にあった大学の友達(?)にいわれた言葉だ。就職するために大学に来たのか?そう聞き返したくなる。就職するために生きているわけではないし、働くために生きているわけではない。より良い生活を送り、より豊かな人生にするために、あるいは生きるために仕事をするのであって、その逆ではない。手段と目的が入れ替わってしまっては、いつかどこかで間違いを起こす。

そういいながらも、生きるための手段が今は無い。親に生かしてもらっておきながら、贅沢を言うことは許されない。少なくとも大学院を出た後は自分の足だけで立つ必要がある。その頃には理想も信念も無く、いわゆる「社会」と妥協するべき責任が発生する。それが嫌ならば、そうならない努力をしなければならない。

そういった不安に駆られると、妄想に走りたくなる。ああ、自分に作家の才能があったなら・・・岸部露伴のように若くして人々を魅了させられるだけの能力があったとしたら・・・三島由紀夫のように美しく圧倒的な表現力があったなら・・・その人たちの努力を考えもせず、ただただうらやむだけ。だからダメなのだと思う。きっと、可能性はあまりに低いとは思うが、自分が必死に作家になる努力をしていたら、少しくらいは才能の光が見えたかもしれない。それをしなかったのだから、妄想に終わるのは当然だ。誰もが苦労して生きている。

わからない。だから不安になる。そして考える。考えることは人生最大の幸福であると思うが、考えているだけではそれは何の役にも立たない。昨日読んだ『ファウスト 第一部』の一節にこんな文章があった。

「申しておきますが、思索などやるやつは、悪霊に引きまわされて枯野原のなかを、ぐるぐる空回りしている家畜みたいなもんです。その外側には立派な緑の牧場があるというのに」

これは悪魔メフィストのセリフであるが、実に悪魔らしく、それでいて適確なことを述べている。