対義語の妙

塾で小学生に国語を教えていると、類義語・対義語を必ず扱うことになる。それを予習していく中で時々勉強になることがあるのだが、中学入試のときに徹底して覚えた知識は今でも生きていることを実感することが多い。難しい類義語・対義語はたくさんあるが、年を重ねてからその意味を改めて考えて初めて理解するといったことも結構ある。

「形式」の対義語は「内容」なのだ。これを小学生のときは理解することが出来ず、母に「とにかく覚えなさい!」といわれたことを覚えている。しかし、今考えれば、確かに形式の反対は内容になる。納得できる気がするのだ。

形式とは型であって、人間で言えば見た目であったり話し方であったり学歴であったりする。内容とは中身であって、これは人間性そのものを指すのであろう。我々はこの二つの性質を取り揃えなければならない。しかし、内容の基準は主観的で曖昧であるから、そろえようとしてもそろうものではないし、その確認も出来ない。

だからなのだろうか、就活シーズンになると形式をそろえようと忙しくしている学生を見かけることがある。就活対策の本などもそうだ。ドレスコードのチェックであったり、敬語の基本であったり、あるいは面接のコツであったり・・・どうも見ていて馬鹿らしく感じてしまうものがある。本がそうあることは問題ではないが、就活対策としてそういった本を当てにして「努力」している人には首をひねってしまう。

ただし、それは決して悪いことではない。むしろ最低限の義務なのだ。この間、神奈川県の公立高校で見た目で合格者を決定していたことが問題になったが、入試当日にそれなりの常識をわきまえた(本人の常識ではなく、社会的常識)格好をしていくのは当然のことで、それをしなかった人間が不合格になることは必ずしも間違っているわけではないと思う。

言ってみれば、形式というのは大学入試でいう出願書類の提出のようなものなのだ。最低限をクリアしていれば何ら問題は無い。ただし、不備があればそれで受験資格を失うこともある。だから、決して形式を自分の感性に当てはめて「下らない」などというべきではない。もし、「形式などどうでも良い」と主張したいならば、社会から受け入れられない「罰」を受け入れる義務がある。

その一方で、形式に詳しい人間が偉そうにしているのは実に不愉快だ。最近、「マナー検定」などと称して、重箱の隅をつつくようなマナーを持ち出し、それがないとマナー違反、形式違反だといわんばかりの傾向がある。慇懃無礼に感じられるほど丁寧な講師が出てきて、「こういうときはこうするんですよ」と解説してくれる。それを庶民がいつ使うというのか。

日本料理の食べ方はこうだ、名刺の渡し方はこうだ、酒の飲み方はこうだ・・・そこにばかりこだわって、形式をそろえた上でどのような内容を作り上げるかという事に無頓着な人間は厄介だ。あたかも形式こそが内容であるかのように考えているのだ。

中学入試のときに、第一志望校の受験番号1番を取るために徹夜して学校前に並ぶ親がいると聞く。げんかつぎの一種なのだろうが、形式にこだわりすぎるというのは、この場合「受験番号1番を取ったのだから、熱意を買って合格させてくれるだろう」と手前勝手に決め付けているのと同じようなものだ。実際に大切なのは学力だというのに、受験番号1番で喜んでいるというのは病的だ。

別に受験番号を早く取ることを批判したいわけではない。これはあくまでたとえ話だ。大学入試の出願書類をきっちりと提出した。そしてその次に入試がやってくるのだ。大切なのは入試に合格すること(もちろん、目的あって大学に入るのが大切だが)、出願書類の文字を綺麗に書くことではない。読めないほど汚いというのは論外だが。

日本人は二択が好きなようだ。よくあるのが、人生をロウソクか何かに例えて「細く長く生きるよりも、太く短く生きたい」というパターン。そこには既に「太く長く生きる」という選択肢は無い。そしてその気概も無い。また、明治維新期にも同じようなことがあった。新時代になって「学校での教科は漢学か洋学か」ともめたのである。そこに苦言を呈したのが福沢諭吉で、「どうして両方学ぼうとしないのか」と述べた。なるほど、その通りである。

我々は社会に適合したいと考える限り、形式も内容も押さえなければならない。形式に過度にこだわる必要はないが、最低限は習得しなければならない。そして形式が整っていないことはマイナスにはなるが、必要以上に整っていることは別に大きなプラスにはならない。形式はマイナスにならない程度に身に着けるべきである。その上で、中身で勝負を挑んでいくべきだ。

そういったことをバイト先の3年生の対照的な二人を見ていて思った。形式ばかり追いかける人と、中身重視を主張して形式でマイナスを出してしまう人。人間はどちらかに偏りがちだが、自分は果たしてどうなのだろうか。最後適当。