驕れる者は久しからず・・・

教育実習が終わって、普通の大学生活に戻ってきた。行く前は「三週間も行くのか・・・」と後ろ向きだったのが、終わってみれば三週間しかないことが恨めしく、一週間長い妻鹿がうらやましいと思うくらいだった。それは今でも変わらず、月曜日・火曜日と高校に行ったのだが、やはり部外者・卒業生でしかなく、実習は終わったのだと哀しくなるだけだった。それでも迎えてくれる生徒が居ることは嬉しい。

実習は幸田先生と藤田先生の下で行った。幸田先生は担当学級の指導教官として、藤田先生は教科の指導教官としてお世話になった。藤田先生は自分たちが高3の時に赴任された先生だったので、4期生はあまり馴染みが無い先生なのだが、卒業後個人的に高校に色々と相談したときに藤田先生には何度かお世話になっていた。教育学部ではなく、文学部史学科出身の先生なので、かなりマニアックな一面をもつ方だ。それに美声。

実習の一週間目は授業見学が主な内容だった。基本的に教科の指導教官について回るのだが、空いた時間は好きに見学して良かった。だから、藤田先生以外にも、上田先生や一真先生など実際に習った先生から、在学中にいらっしゃったけれども習ったことの無かった真仁田先生や川村先生の授業も見学したし、講師の先生方の授業も見学させていただいた。

その中でも、特に際立った授業をしていたのが、藤田先生、上田先生、真仁田先生だった。上田先生は相変わらずで、結構な先入観がある授業ではあるものの、中学生の心を上手くつかみ、作業も主体的積極的に行わせていた。真仁田先生は演劇を鑑賞しているような授業をする。表情豊かで感情溢れる授業、だから生徒もついてくる。授業を受けていて圧倒される思いがする一方で、積極的に参加したくなる授業だった。

その二人に比べると、藤田先生はオーソドックスといえる授業をしていたかもしれない。上田先生が授業を上手くコントロールすること、真仁田先生が授業を演じていることをそれぞれ特徴とするならば、藤田先生は授業の設計が上手い先生だった。社会科の教員の中でも圧倒的に体系化された知識を持ち、それを中学・高校レベルに合わせて授業をする高い能力を持っていた。だから、真面目に授業を聞いていたとすれば、藤田先生の授業が最も意味を持つ授業になったことだろう。

我々が実際に授業を受けた社会科の先生の中で最も近いのは、山田先生かもしれない。豊富な知識に肝心なところを押さえた授業、論理的でわかりやすい説明など、共通点は多いように思える。ただ、山田先生よりも藤田先生の方が、学力を強く意識しているかもしれない。藤田先生は「つまらないこと」といいながらも、受験を意識して中学校から体系的に教えようとしている。山田先生は、少なくとも当時はそういった意識で授業を捉えてはいなかっただろう。もちろん、受験が学習の目的ではないことを考えれば、本当に「つまらないこと」ではあるのだが、生徒にとっては死活問題であるともいえる。意識しないわけにもいかない。

中3の歴史は、5クラスを4人の先生が担当している。藤田先生が2クラス、あとは一真先生、真仁田先生、そして講師の千葉先生が1クラスずつ。中心となっているのは、2クラスを担当するだけあって藤田先生だ。藤田先生が中心となって、年間・学期の計画を立て、他の先生はそれを軸として授業を作っていく。その中で藤田先生が強調していたのは、歴史を「理解する」ということだった。

従来、社会科は暗記科目であると考えられることが多かった。実際、大学受験の勉強を始める前までの自分は、社会科は暗記が中心となるものだと捉えていた。それは私立大学の問題を見れば顕著である。私立大学の問題を見れば、社会科は暗記科目だといわれるのも肯ける。しかし、受験が学習の目的ではないし、受験だとしても東大や一橋の問題を解いてみれば単なる暗記科目ではないことがわかると思う。

そして、生徒も暗記科目として社会科を捉えていることが多い。「何年にどこで誰と誰との間で何々の戦いが行われた」、その事実のみを強調する授業が行われることが多かったからだ。我々の時代の渋渋もそうだったと記憶している。だから、授業をするほうも楽だし、勉強するほうも楽だった。何も考える必要が無いからだ。だからこそ自分は社会で点が取れたのだろう。

その「社会科=暗記科目」という先入観を打破するために、藤田先生は心を砕いている。限られた授業時間で何を伝えたいのか、そこに焦点を絞り、理論を教え込む。もちろん基礎知識を暗記することは、理解のために必要だから、最低限は暗記させるような形で教える。しかし、それを超えた単純暗記は生徒の個人的な学習に任せているのだ。授業でやることだけが全てではなく、個人的に勉強して不足の部分を補っていかなければならない。ただ、授業で強い幹の部分を作り上げていくので、生徒にとっては役に立つ授業になっている。

専門的なことを勉強したことのある人が、高校までの教科書を見返すと、その内容の薄さに驚くことだろう。日本史もそうだ。事実の羅列になってしまっている部分も多く、その背景や理論などが説明されていない。日本史ひとつとっても、世界史的な視点、地理的な視点、政治学や経済学といった公民的な視点が必要になるにも関わらず、そういったことは記述されない。それを教えるのが教師の仕事なのだ。見方を変えれば、理解も進む。様々な視点から物事に切り込んでいかなければならない。

藤田先生のそういった考え方に、自分は感銘を受けた。そして実際にそれを実行している藤田先生を心の底から尊敬した。自分はこの人のようになりたいと本気で思える人に初めて出会えた気がする。職業上での極めて近い、具体的な目標、そして理想。藤田先生は勉強を怠らない。怠ってしまえば自分の理想の授業が出来ないからだ。そういったところも本当に尊敬できる。藤田先生に実習中に教えていただけた自分はこの上ない幸運であった。

ただ、ひとつ心配な点があるとすれば、その役に立つ授業が生徒の負担になる可能性があるということだ。高校生ならばそれほど気にすることではないのだが、中学生にとっては深刻な問題でもある。様々な視点から切り込んでいく授業というのは、基礎知識が定着していることが前提で進められる授業だ。例えば、今回実習の最終局面での中3の授業は「恐慌史」が3回で計画されていた。第一次世界大戦後の戦後恐慌から世界恐慌・昭和恐慌までの経済分野の内容だ。

中3はこれまで公民を学習していないので経済の理論というものを上手く理解できていないものが多い。「円高=輸入に有利、円安=輸出に有利」といった超単純な基礎的な考え方もわかっていない生徒も結構いたはずだ。それを理解する前に、「恐慌」の理論を教え込むことはとても難しい。何が原因で恐慌が起こり、それがどういった政策を導いたのか。それを説明するのは、高校生に対してでも骨が折れることだろう。それを中学生に、時間がかなり限られた中で教えるのだ。

教える側はそれでも良い。噛み砕いて説明することも不可能ではないからだ。しかし、生徒はどうだろうか。どれほどの生徒が理解できるだろうか。しかも一回限りで理解できなかったというのであれば良いのだが、理論は前後で繋がっている。藤田先生の授業設計は前後を理論でつなげることを意識しているから、途中で脱落してしまうとそのあとの授業についていくのが大変なのだ。自分は余程努力しないと不可能だとすら思えた。

それを危惧していたのが一真先生だ。どうも藤田先生とは折り合いが悪いらしく、一真先生は一真先生で、言ってみれば「暗記」路線を進んでいた。本当は面倒なだけではないのかと心の端っこで疑ってはいるものの(実習生のほったらかし具合を見るとそんな気も…)、一真先生の危惧することも理解できる。中3にあれほどの内容を教える必要があるのか、あるいは彼らにそれを理解する能力があるのか。それは難しい問題だ。

そこは藤田先生のマニアックな面が悪く作用しているように思えた。藤田先生なりにわかりやすい授業を心がけていることはよくわかったのだが、生徒に合わせるといった意識はそれほど強くは無い。「学問的なレベルは下げたくない」というのが藤田先生の持論だが、それは諸刃の剣となるかもしれない。その点に関しては大いに考える必要がある。

時間だー続く。「教育実習生」であったということについて。忘れないようにメモ。