凡人たる所以・・・

凡人が凡人である理由は、状況が平易なときに努力できない点にあるのではないかと思う今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。別にそれほど気になっているわけでもないのですが・・・最近ちょっと投げやり気味です。

教育実習が終わって早2週間近く、普段の大学生活に戻り、生活にハリがなくなってきました。朝はそれなりの時間に起きられるようになったけれども、やはり実習中のような充実感には欠けています。燃え尽き症候群というのはこれがひどくなった状態を言うのでしょう。いや、むしろ真っ白な灰になってしまった気がします。思い出すのは楽しかった過去のことばかり、だからダメなのでしょう。

それでも、将来に対する希望は見えてきたので、月曜日には妻鹿と一緒に市ヶ谷で私学教員適性検査の説明会に行ってきました。大勢いるような、思っていたよりもはるかに少ないような感じで、実に中途半端な人数しかいませんでした。しかも内容もたいしたことはなく、私学協会のホームページで事足りることばかりでした。時間返せるんですか!とのセリフが脳裏に浮かびます。

私学適性検査を今年受検するべきか否か、そして講師の口があったら大学院に通いながらやるべきかどうか。随分と迷いましたし、今でも少し迷っています。実習を同じくした妻鹿は今年から講師を見つけるそうで、自分よりも最低1年は早く現場に出ることになるかもしれません。自分は恐らくマスター2年から講師をやる(声がかかればの話だけれど・・・)ので、その1年がどう影響を及ぼしてしまうのか、それが不安でなりません。

もちろん、今の自分には全く力が足りないので、血反吐を吐くまで勉強しなければなりませんし、その時間が必要です。中途半端な形で、というよりも不完全な形で現場に出るのは、生徒に迷惑をかけるので嫌なのですが、それでも時間が過ぎるのが怖い。一方で、実習で力不足を実感しているのに、その春からもう普通の「先生」として現場に立つことも十分怖いのですが・・・

周りは就活が決まった人が増えてきました。彼らは来年度から社会に出て、立派に給与をもらってきます。自分の力で生きていくことになります(少なくとも経済的には)。それに対して大学院に進学すると(しかも学者になるわけでもないのに)、2年〜3年はその段階に至らない。講師で生活するのはかなり厳しいでしょうから、専任になるまでの間下積み生活です。それもそれでプレッシャーです。就活しなかった分、これまで心理的に余裕を持って暮らすことが出来ていたのですが、これからは逆になります。大学院に進めなければ、留年しか方法は無い。もう退路は絶たれています。

私学適性検査の申し込みは7月の頭の2日間。気持ちも焦ります。どうすることが自分にとって一番良いのか、それが見えてこない。時間がただ過ぎるばかりです。進路で不安になったのは久しぶりです。中学受験以来かも。しかし今回と中学受験で決定的に違うのは、決して失敗が許されないということ。

時間の無さと、焦り、実力不足・・・本来人に相談することは好きではないのですが(重要な話は特に)、やはりここは先人の知恵を借りるべしということで、藤田先生に相談に行きました。大学は違うけれども、文学部出身で日本史専攻、修士号取得(自分は予定)、結構境遇が似ています。これで聞きに行かない手はないし、そうしないでいる余裕も無いのです。

相談に行った結果、私学適性検査を受検するはするのですが、M1から講師をするのはやめることにしました。つまり受検の雰囲気を味わうだけにして、結果は気にしないし、奇跡的に声がかかっても応じない。妻鹿に後れを取ることは、結構真剣に怖いですが、自分には自分の道とやり方があると信じて、耐え忍ぶしかありません。相談してよかったと久々に思いました。

もう一つの問題が、大学院をどうするかということ。教育学研究科にするのか文学研究科にするのか。ちなみに藤田先生は文学研究科。自分は教育学研究科に進もうと考えていたのですが、藤田先生と話しているうちに文学研究科のほうが良いかもしれないと思うようになりました。こういうところの意志薄弱さ、というか考えが足りていない部分は自分のダメなところです。こっちも時間が無いというのに・・・