出来ることとやりたいこと

大学の課題に追われているものの、少しの時間を見つけて思ったことをまとめたい。やはり文章にしてまとめるということは、私の生活に必要不可欠なことのようで、3000字レポートは苦痛であるのに、5000字の日記を書くことは造作も無いことだ。そして何よりも、心の平穏のために必要だ。

私は大学で日本史を専攻している。とはいえ、専攻などと偉そうに書けるほどの勉強はしておらず、高校の勉強に毛が生えた程度のことしかしていない。それは決して大学が悪いというわけではなく、全ての責任は向学心の無い私自身に帰せられるものだ。本気で勉強しようと思えば、ありふれる時間を使って、かなりの研究を進めることが出来たであろう。単にそれを私が望まず、従って行いもしなかったということになる。

私が、人生において直接的に必要であるとは思われない日本史を大学で専攻しようと思ったのは、いつからだろうか。もう思い出すことも出来ないが、それは中学受験の勉強で、歴史を学び始めた頃までさかのぼると思う。歴史に対する興味は深いものであり、休み時間も資料集を読んでいることが楽しかった。中学でも高校でも歴史の授業だけは学年で誰よりも真面目に聞いていたつもりだが、そこには成績を上げたいという意図はほとんど介在せず、単に面白いから一生懸命だった。

しかし、なぜ私は歴史が好きなのだろうか。前もこの問題には突き当たったのだが、やはりもともとはテストで点が取れるからこそ好きだったのではないかと思う。そしてそれは、現在にも根を深く下ろしているようだ。中学受験のとき、社会科の偏差値は60を切ることはほとんど無かった。暗記することは決して苦手ではなかったし、世の中の様子を知ることは楽しかった。だから勉強も楽しかったのだが、四谷大塚の成績上位者一覧表に、社会が良かったことで載ることもあり、それは必ずしも賢い子どもではなかった私にとって、大いに自信を与えてくれるものであった。

現在、歴史が面白いと感じられるのであれば、そのきっかけがテストで点が取りやすいことであったとしても、何ら問題ではない。我々は現在を生きているのであって、本質的に今が良ければそれで良いのだ。しかし、私は一方で、安易に歴史方面に、そしてそこから広がって教職に進んだ、あるいは進もうとしていることを後悔しているような気がしてならない。それを認めたくはないし、また認めることが恐ろしくもある。ともすれば、水が布に染み込むように、段々と迫り来る後悔に心が染まりきってしまうのではないか。それが恐い。

引き返すことの出来る今だからこそ、その恐怖は計り知れないものである。現実的には大学を退学して、どこかに入学しなおすことなど出来ようはずも無いのだが、理屈の上では可能である。まだ道が数本残されている状態で、半信半疑の恐怖に屈してしまって良いのか、それともその恐怖は単なる幻あるいは妄想であって、現在歩もうとしている道が正しいのか。それは恐らく、他の道がなくなるまで分からないであろう。

私は、宇宙が好きだ。場合によっては歴史よりもはるかに好きといえるかもしれない。しかし、私は典型的な文系人間で、理科が途轍もなく出来ない人間であった。中学受験で言えば、平均偏差値が40前後で、いつも足を引っ張る科目であった。だから、私は自然と理科を避けるようになり、「わかるわけがないから」という便利な逃げ口上を使って生きてきた。センター試験では地学を受験したが、結局は理科を全く使わない私立文系の大学に進んだ。

そしてその大学選びも適当であった。かなりの権威主義者である私は、大学の現実を調べることなど考えもせず、偏差値表だけが正義であった。偏差値がより高い大学こそが良い大学であり、なるべく偏差値の高い大学、あるいはネームバリューのある大学に進むことだけを考えた。実に浅はかな考えであったとしか言いようがないが、それでもその権威主義的な捉え方は全てが間違っているとは今でも思っていない。むしろ、なぜ最高学府たる東大・京大を目指さなかったのかと後悔しているくらいである。

もちろん、東大・京大に仮に入学することが出来たとしても、私は挫折していたであろう。挫折といえるほどの挫折ではないだろうが、満足できる大学生活を送っていたとは思わない。サークルという組織の大半が、肌に合わない性質であることを考えれば、どこの大学であろうともこのように鬱々たる生活(結構気に入っているが)を送ることになるはずだ。

話が逸れた。つまり私は、進みやすく、現在の自分に出来る範囲でしか将来を捉えてこなかったのだ。やりたいかやりたくないかという観点ではなく、今の自分に出来るか出来ないかで全てを決めていた。そんな判断基準が正しいはずも無く、だから私は今嘘か本当か分からない恐怖に襲われている。

それはこれから自分が進もうと考えている職、教職の性質のためでもあるかもしれない。教職は実に特殊な職業であって、他の職業では望むべくも無いやりがいに満ち溢れている一方で、どこか寂しさや虚しさを抱えるものでもある。それはいくつかの文学作品にも描かれているものである。今その本が手元に無いので、正確な描写は出来ないが、確か安倍公房の『砂の女』の中の一説に、

「教師は川の下の石のようだ」

というものがあった。生徒は川の流れであって、自分たちの上をいつも通り過ぎていく。自分たち教師はその流れに乗ることもできず、学校と言う川底にいつまでもへばりついているしかない。水の流れに大きな影響を与える位置に居るのであるが、自分たちは動くことが出来ない。そこが教職の虚しさである。

あるいはマンガ『ハチミツとクローバー』の庄田教授(だったかな?森田さんの先生)が花本先生に対して、これまた正確な表現ではないのだが

「教師は学校の亡霊のようなものだ」

といっていたのが印象深い。どれほど生徒を可愛がろうとも、生徒は学校から巣立っていってしまう。そして自分は学校に残る。そこには一抹の、あるいはかなりの寂しさが残るばかりだ。