平日>>>(越えられない壁)>>>休日(スタバ的な意味で)

今日は昭和の日です。みどりの日ではありません。そんなことは日常生活においてはどうでもいいことなのだが、平日が休日となる国民の祝日には困った点がある。普通の人ならば、普通は平日たるべき一日が休日となったことは喜ぶものであろう。仕事が無い(無職的な意味ではなく)、授業が無い、バイトが無い、そういった様々な特典が得られるのが休日である。

しかし、そんなことは一部の人にはほとんど関係が無い。むしろ迷惑ですらある。孤立した休日など無くて良い!そう叫びたくもなるのだ。

というのは、まず第一に、大学生は仕事をしているわけではないので、別に平日でも十分に休む時間は存在している。これは休日全般に言えるし、また理想論的過ぎるので今回はあまり関係ないかもしれない。次に、バイトが無いかといえばそんなことはない。普通の会社の社員ならば休みになるかもしれないが、そんなことはバイトには関係がないのだ。日本中のバイトが休んだら休日の意味がなくなる。そして何よりも、授業が無いというのが、実はそれほど重要ではないということが大きい。

怠惰な大学生は授業があろうと無かろうとそんなことはお構いなしに休日を設定することが出来る。恐らく、日本で高齢者・幼児に次いで自由な身分だと思われる怠惰な大学生。彼らにとっては、毎日が休日候補。有給が365日あるわけだ。すると、改めて休日といわれたところで、別にありがたくも何でもないのである。もちろん、5連休といったようにまとまった休みがあるのならば、心理的にも自由になるのだが、たった1日の孤立した休日では何も出来ない。

そのことを今日は少し小説風に書いてみようと思う。特に意味は無い、一度やってみたかっただけだ。突然文章が始まるような不自然さがあるのは、途中からそれなりに書き換えたからである。

勤勉な彼は、健気にもスタバに行って勉強しようとしていた。彼は普段は普通の人間ほどに怠惰なのであるが、そういう点に関しては律儀である。そんな自由人かつ勤勉な彼に休日などという鎖は必要ないのだ。

とはいえ、やはり大義名分を以て休めるというのは心地良いもので、彼は良い気分のまま午前中を過ごし、午後になって少し遅れた昼食を済ませた。その後は、バイトの時間まで2時間半ほど余裕があったので、近所のスタバにて勉強する気分になった。そのスタバには彼の同居人とともにもはやいくらつぎ込んだかわからないくらいに通い詰めていた。いつもと同じように、ただし今日は一人だったが、スーツでスタバへと向かっていった。

良い気分で(読書という名の)勉強が出来るだろうと上機嫌に歩いていた。日は燦々と輝き、4月とは思えないほどの陽気であったのだが、それにも関わらず彼はスーツの上着すら脱がずに歩いていた。スタバの中も決して涼しくはないであろうことを彼は十二分に予測していたのであるが、彼はスーツの上着を脱ごうとしなかった。上着を脱ぐ手間を嫌ったわけでもなく、寒かったわけでもなく、上着を脱ぐことで気分が緩んでしまうことを嫌ったのである。スタバはもう目前だったので、わざわざ脱ぐことも無かった。

東京メトロの出口を曲がったところで、彼は愕然とした。外に客が大勢いたのである。これはいつもの火曜日の午後2時半には考えられないことであった。いつもならば午後2時を回った時点で、大半の客は自らのオフィスへと引き上げていく。飯田橋にあるだけあって、ビジネスマンの利用が多く、一般客の利用は多くない。そんな午後のゆったりとした時間を、彼は一人で読書をするか、またはその同居人と下らない議論に明け暮れるかしていたのである。それが、今日に限って満席であった。

どういうわけなのだろう、と彼は考えをめぐらせた。午後2時半にここが混んでいるはずが無いのだ。そこで彼は普通ならば最初に思いつくべき理由へとようやく至ることができた。休日だったのである。休日であれば午後2時半に飯田橋(あるいは神楽坂)のカフェが混んでいたとして何の不思議があろう。

彼に選択肢はいくつかあった。スタバの店内で注文を済ませ、根気良く席が空くのを待つ。あるいは近くの上島珈琲店で我慢する。そして完全に諦めてバイト先へ向かう。さらにはどこか全く違う場所へと向かう。これらの選択肢が頭に浮かんだ。どうしようかと迷う。

しかし、その決断を下す前に、彼の心は穏やかならざる思いに染まっていた。なぜ今日に限って混んでいるのだ、明らかにカップの中のコーヒーが無くなっているというのになぜ追加注文もせず席も空けないのか。休日ということに気付いていながらも、理不尽な怒りがふつふつと湧き起こってきた。彼自身もその怒りが全く理に適っていないことはわかっていたのだが、それまでの彼の気分が快適なものであっただけに余計に怒りは増幅された。かといって、強引に席を奪うことなどが小心者の彼に出来ようはずも無い。

彼は休日であることを憎んだ。まことに自分勝手なことではあるが、今日が休日であることを呪った。たった数時間前には大学の面倒な授業が休みになり、素晴らしい午前中を楽しむことが出来たにも関わらずである。しかし、彼の怒りにも全く同上の余地が無いわけでもなかった。彼は大学を休むことも可能だったのだし、これまでも幾度と無くそうしてきたのである。彼の回りの人間はそんな彼を嘲笑したり、あきれたりすることがあったが、彼はそんなことを意に止めなかった。留年しない限りにおいて、彼が大学を休むことで、誰に迷惑をかけているというのか。親への申し訳の無い気持ちの一方で、彼はそう考えていた。

つまり、彼は休日の恩恵を、ちょっとした心理的な余裕以外で何も受け取っていなかった。むしろ、スタバでの集中した勉強の時間を無残にも休日に奪われたことで、彼は損をしていたといえるのだ。休日の恩恵に与ることが出来るのは、真面目な大学生であって、怠惰な大学生ではない。怠惰な大学生は、休日によって損をする。

彼は、その日、孤立した休日の憎らしさというものを、生まれて初めて知覚したのだった。

終わり・・・