公立と私立の学力差は授業料に起因するのか。

先日のyahooトップページで公立学校の学力低下が記事になっており、そこで我が母校の校長が「私立は授業料が高いのだから、成績に差があるのは仕方が無いことだ」というようなことを発言していたのですが、果たしてそれは真実なのでしょうか。授業料が高ければ本当に学力も高くなるのでしょうか。もちろん、校長も高ければ何でも良いといったわけではなく、「授業の質が良いからだ」といいたかったのだと思います。そういう意味で、学力差は授業料に関係するのでしょうか。

当然のことながら、質の高い授業を受けた方が成績は上がりやすいでしょう。それは言うまでもありません。栄養価の高い食べ物を食べていたほうが健康を維持しやすいように、ものの質は高いほうが良いに決まっています。やる気を失わせる授業などは言語道断、その科目の面白さを伝えることが教師の使命です。

しかし、恐らく授業の質の差=授業料の差は学力差の大きな原因ではないと考えます。先ほどの例で言えば、どれほど栄養価の高い食べ物を常に口にしていたとしても、運動を怠り、睡眠や食事の時間が不定期であったら健康を維持できるわけではないのです。つまり、健康を維持するためには、運動や規則正しい生活を心がけ、かつ実行する必要があるのです。健康を害するような食品など、教育で言えばやる気を失わせる授業は論外です。

マスコミの報道を見ていますと、あたかも公立学校はほとんどが崩壊の危機に瀕しているように思えます。生徒の生活は乱れ、教師は堕落しきっており、教育委員会は問題を先送りにしている・・・そう映るのは当然で、マスコミはネズミが猫を狩ったら大いに話題にしますが、猫がネズミを狩っても報道しないからです。例えば、ゆとり教育下での円周率の問題。これも「円周率は3で計算しなさい」というイメージが先行していますが、実際は3.14で計算しています。「ゆとり」という言葉のイメージが話題というか標的にされたといっても良いと思います。

話が逸れてしまいました。何が言いたいのかというと、公立学校の授業の質がどうしようもないほど低下しているというわけではないということです。都心に住んでいると「私立>>>(超えられない壁)>>>公立」というイメージを抱いている人も多いと思いますが、決してそうではない。もちろん、私立のトップ校は別問題です。開成等は神レベルです。

去年、我が母校は東大進学者が23名となり、進学実績が大躍進しました。マスコミからもかなり注目を浴びているようで、教育系の雑誌や新書でも名前をよく見かけます。6期生でこの数字は確かにすごいものだと思いますが、しかし、絶対的な数で考えてみれば2007年の都立日比谷に負けています。日比谷高校が都立のトップ校であることも配慮しなければなりませんが、東大に20人以上輩出するわけですから、レベルは相当高いのです。

ただ、この話は高校のことですから、小中学校のことを同じ目線で論じるには多少は無理があるかもしれません。高校は進学先を選べますが、小中学校はそうはできません。しかし、公立学校全てが堕落しているはずも無く、バイト先の塾に来る生徒の話を総合しますと、学校は正常に機能しているようです。見にいったわけではないので、大きなことは言えませんが・・・

仮に、私立小中学校に比べて、公立小中学校の授業の質が低いものであったとしても、絶対的な基準で見れば公立小中学校も正常なレベルです。最低限以上は保障されているといえます。だとすれば、果たして私立学校と公立学校の学力差は何に起因するのでしょうか。

それは単純に、勉強量であると考えます。中学受験が加熱していますから、そちらを例にとることにします。私立中学といってもピンきりです。なのでここでは偏差値が50〜55程度の学校を想定します。中学受験生の平均から平均よりも少し上くらいの成績が対象です。

それだけの偏差値(つまり50〜55)を得るためには、塾に通い4教科勉強しなければなりません。稀に才能だけで十分な偏差値を取っていく生徒も見かけますが、大抵は努力を要します。我が塾で言えば、6年生の場合、授業が4教科分で3日は授業があります。国語と算数が200分ずつ、理科社会が90分ずつです。少なくとも週に380分、面倒ですから360分として、週に6時間は何もしない子どもよりも勉強していることになります。当然のことながら、受験生は授業に出るだけではなく、予習復習宿題がありますので、もっと勉強しています。それらが一日1時間だとしても、週に7時間追加で、全部で13時間勉強することになります。

学校で出る宿題などにかける時間は同じようなものですから、差は出ません。となれば、学校の宿題だけをこなす子どもよりも、はるかに勉強時間は長いのです。しかも、勉強は常に同じレベルを繰り返すのではなく、だんだんとレベルを上げていくものですから、その差は加速度的に大きくなっていきます。これこそが公立中学「の生徒」と私立中学「の生徒」の学力差です。勉強すれば成績は上がるし、しなければ置いていかれる。それだけの話のはずです。

「でもうちは塾に通わせる余裕が無いし・・・」というご家庭も数多くあることと思います。受験というもの、特に中学受験ではテクニックがその成績を大きく左右するといっても過言ではありません。公式の意味を理解していなくとも、パターン分けによって問題を見分けることが出来れば解けなくはないのです。そしてそういったテクニックは塾で教えることになる。学校、特に公立学校は正義感が強いのかテクニックを否定しがちですから(私も大嫌いですが)、塾以外でテクニックを学ぶのは難しいかもしれません。

しかし、別に受験するわけではないので、テクニックは必要ないとも言えます。もっと根本的な部分での学力を問題にしているのですから、塾に行かなくても大丈夫です。というか、正直に言って、塾でバイトしていますと、「これをわざわざ塾でやる必要があるのか?」と問いたくなる内容が半分以上です。特に、非受験クラスではその75%程度が存在意義が疑わしい。現に、受験クラスの生徒に非受験クラスのテストを解かせると、倍以上のスピードで解き終え、かつ正答率もはるかに高い。さすがに4年目ともなると、色々と不必要な部分が見えてくるものです。

現在の親や政府が求めている学力に到達するためには、単純に自分で勉強すれば十分なのです。学校の教科書をしっかりと復習して、勉強の絶対量を増やせば自然と成績は上がるものです。特に小学生であれば、親が子の質問に答えることはかなりの範囲で出来ることでしょうし(理社は難しいかもしれません)、親でわからなければ学校の先生に聞くことも出来るはずです。家庭学習といいますか、あるいは自習といいますか、とにかく学校外での勉強量を増やすことなく、成績の上昇を願うだなんておこがましいにも程があります。

受験生たちは日々、非受験生(特に勉強しないせいで成績が上がらない生徒)が楽しくゲームしている時間を使って勉強しているのです。そこで差があらわれないはずがない。さらに言えば、受験生の中でも主体的に取り組む生徒とやらされている生徒では著しく成績が違ってきます。勉強には、姿勢も重要です。

この点を考慮せずに学力差を論じることなど出来るはずがありません。私立の生徒と公立の生徒が同じだけ勉強していて、その態度も変わらないという条件下で学力差が出てしまうのなら、授業の質の改善が急務といえるでしょう。授業の質は高いほうが良いに決まっているのですが、その前に自らがやらなければならないことがあるということを自覚して欲しいと思います。

最近は、大手塾のテキストや教育学者による教育方法を扱った本などがしきりに出版されているのですから、まずは自身で情報を収集し判断すること。これが親に求められることであり、成績向上を願うのであれば、義務でもあると考えます。それを放棄して「学校が公立だから」とか「先生がダメだから」と文句を言っているだけでは何も変わりません。現状を変えたいのであれば、まずは自分が動くことです。

そしてこれは決して学校側の責任放棄とは結びつかないことを忘れてはなりません。生徒側が生徒自身で成績向上に力を注ぐ一方で、学校側は自らの教育の質を絶え間なく向上させなければなりません。お互いがお互いでやることをやりさえすれば、何も問題は無いはずです。少なくとも成績に関しては・・・ですが。

どうも近頃は専門化が進んだせいか、何もかもを丸投げしてしまう傾向が強いように思います。成績のことは教育の専門家集団の学校や塾に任せよう、お金のことは銀行に全部任せよう、運動のことはスポーツジムに任せよう、掃除はダスキンに・・・それはおかしいのです。学校も銀行もスポーツジムも、はたまたダスキンも、自分の生活の支援者に過ぎないのです。自分自身の行動がまずあって、その質を高めるためにサポートは存在するのです。

「子どもの成績が上がらない、どうしてくれるんですか!」「同じ塾に通っているはずなのに、○○ちゃんとは全然成績が違うなんておかしいじゃないですか!」「塾に通わせているのに成績が上がらないなんておかしい!」・・・お前の頭がおかしいわ!と言いたくなる事は多々あります。成績を上げたいならば勉強の絶対量を増やすこと、テクニックは二の次です。どんなにアミノ酸を飲んでも、運動しなければ痩せないのです。それは理解できるのに、どうして教育の話になると理解できないのか、それこそ理解に苦しみます。

かつてビスマルクはこう述べたそうです。

「青年に勧めたいことは、ただ三語に尽きる。すなわち働け、もっと働け、あくまで働け」

成績に関して言えば、

「成績を上げたい人間に勧めたいことは、ただ三語に尽きる。すなわち勉強しろ、もっと勉強しろ、あくまで勉強しろ」

とでもなりましょうか。勉強すれば、成績は上がります。しなければ置いていかれます。置いていかれたくなければ、勉強してください。ただ、それだけが願いです。