9冊目、色々な意味で重かった。

この本は生協で何と50%引きになっていたので、(歴史学、特に戦争を扱う学生が買わないわけにはいくまい…)という妙な使命感で買った一冊です。それでも1300円もするという代物です。さすがは岩波書店、値段がえげつない。この本に先立つ一冊として『ねじまげられた桜』という本があって、ずっと生協で気になっていたのですが、これなんかは4600円です。本当に恐ろしや・・・というわけで感想を。

学徒兵の精神誌―「与えられた死」と「生」の探求

学徒兵の精神誌―「与えられた死」と「生」の探求

卒論に関することは前日の日記にまとめたとおりなので、書かないとして、純粋な感想文をここには書く。思いっきり私情を挟んで書こう。そうなると、この本を読んで感じた気持ちで一番強かったのは「嫉妬」だ。

この「嫉妬」に関しては、昨日も書いたのだが、学徒兵と自分の知性・知識の格差に関するものだ。彼らが20前に考えていたこと、理解していたこと、実現していたことを私は大学卒業を前にして(といってもあと1年あるが)全く出来ていないのである。

ドイツ文学を原書のまま読むなどは夢のまた夢で、「時代の違いだな」と思って諦めることが出来なくはないが、彼らが私たちと同じ日本語で交わしている言葉の理解すら覚束ないのは、私を言いようのない落ち込んだ気分にさせる。同年代や先輩で社会を経験している人に対して、私が経験知的に追いつかないのは悔しくはない。それは私が社会に出ていないからこそ起こりうる格差であって、まだ未開の分野だからだ。

しかし、学徒兵は学問において私を比べるまでもなく凌駕している。そしてその知性が溢れるように文章に表れているのだ。なぜ彼らはこれほどまでに強い信念を持って学問に当たることが出来たのであろうか。

その答えのヒントとなる一文を本書の中に見つけることが出来た。私の学問に対する立場・姿勢と彼らのそれとは何が違い、どのような結果をもたらしたのか。結果に関しては圧倒的な知的格差に既に現れているので、特に言葉を要すことはないと思うが、理由に関しては触れなければなるまい。その一文とは以下のものである。

ニコ厨しね(仮)

と。