殊更人文科学は難しい。

科学とはそもそも何なのか、それを語らずして本日の一人議題を語るわけにはいかない。というわけで、Yahoo辞書さんに活躍してもらい、丸々引用させてもらうこととする。以下がYahoo辞書による科学の定義である。

《science》一定の目的・方法のもとに種々の事象を研究する認識活動。また、その成果としての体系的知識。研究対象または研究方法のうえで、自然科学・社会科学・人文科学などに分類される。一般に、哲学・宗教・芸術などと区別して用いられ、広義には学・学問と同じ意味に、狭義では自然科学だけをさすことがある。サイエンス。

さて、この科学の定義の中だと歴史学は人文科学に分類される。つまり、私は大学において人文科学を学んでいることになるのだが、これは実に難しいのである。高校までの勉強だと「自然科学は難しい」「社会科学はまぁ難しい」「人文科学は覚えるだけ(難関国立受験者除く)」ということになりやすいのだが、大学においては決してそうではない。単純な暗記は学問の功績として評価されるわけでもなく、代わって、自然科学で言えば新しい発見に繋がる行為、社会科学で言えば新しい論理の構築、そして人文科学で言えば新しい解釈の創造、これらが概して評価に値する。もちろん、新しいことの発見・構築・創造のためには基本的な知識が求められることは言うまでもないと思うが。

「科学的」という言葉を聴いたとき、どのようなイメージが浮かぶであろうか。恐らく、化学実験室で白衣を着てマスクをした男がスポイトを持ってビーカー内の何らかの液体を吸い出しているようなものではないかと思う(想像には個人差があります)。具体的には何であれ、要するに理系のイメージを持つはず。そして理系のイメージとは、自然の中から一定の法則を見つけ出し、それを応用するというようなものではないだろうか。何事にも左右されない法則、完全なる客観性、体系的知識、これらが科学の産物といっても良い。

しかし、人文科学に関しては、実はそれほど単純な話ではないのだ。学問をする際に客観性が必要になることは、どの学問においても同様であるが、実はこの客観性というのが難敵なのである。私はある意味バカの一つ覚えのように「科学的=客観的」との公式を使ってきたので、ここへ来て壁にぶつかっている。抽象的な話をしても進まないので、具体的な話をしよう。

私は卒論で、アジア・太平洋戦争に参加した一般兵卒の心理を扱うことになるだろう。所属しているゼミ(的存在)が変わっていて、最終的に初期のテーマを維持できている人は少ないというが、出来る限りこのテーマは研究していきたいと思う。提出は今年の12月初頭で、大学院試験などがあるから、正直卒論にはほとんど手をつけていないけれど、関連する本を意識的に読むようにはしている。そして今日、丁度一冊読み終えることが出来た。

学徒兵の精神誌―「与えられた死」と「生」の探求

学徒兵の精神誌―「与えられた死」と「生」の探求

感想は別に書くとして、この本から気が付いたことをいくつか。まず、何よりも学徒兵の知的レベルに私が全く追いつくことが出来ないということ。これは重大な問題である。学徒兵の心理を研究しようというのに、レベルが違いすぎるというのでは話にならない。これによると第一高等学校出身者は岩波文庫を中心として通常1400冊以上本を読んだという。しかも詩・哲学・文学などジャンルが多岐にわたるのみならず、外国文学を原書で読みこなすなど、今からでは確実に間に合わないほどの差が開いている。これほどの差を抑えて、私は卒論が書けるだろうか。このままではきっと書けないであろう。学生として自分の無学が恥ずかしく思えてきた。

現在の私と学徒兵との知的レベルの大差は研究に重大な影を落とすだろう。私は純粋に学徒兵の知的レベルに敬服する。彼らの純粋な学問への探究心に敬意を払う。しかし、もしかしたら私は彼ら学徒兵を本来の姿以上に神格化しているといえるかもしれない。私は私が理解することの出来ない思考の深淵に対する研究を想像と後世の研究に頼るほかないのであるが、そこで学徒兵の神格化が起こってしまっては困るのだ。

具体例を挙げるとすれば「彼らの思考は一本の筋が通っているものであったに違いない」と考えること。これは学徒兵の真理とかけ離れている可能性が十分に考えられる。純粋に学問を追及してきた学徒兵が現実の世界とのはざまに悩まなかったことなどはありえないのだ。どれほど哲学・人文学を修めようとも、実地訓練が十分とは言いがたい(つまり社会に出るということ)学徒兵が瞬時に広い社会に適応できるとは限らない。ましてや社会を一段階飛ばして、特殊階級社会である軍隊に入営することとなったのだ。そのギャップに対し、常に一本道で進むことが出来た人間は一握り、それどころか一つまみでしかなかったであろう。

学徒兵の多くは理想主義者であったようだが、神経をすり減らし、個を抹殺するような軍隊社会では、理想は理想として存続させ、新たに現実に対応する何かを誕生させたのではないか。思考上は理想を捨てたわけではなく、理想と現実の一種のダブルスタンダードを容認すること。これは決して不可能なことではない、というよりも自然であるといえる。行動の上では、理想か現実のどちらかに付くしかなかっただろうが、思考は自由なのである。

さらに、軍隊社会の中でも、特攻隊員となった学徒兵は一層の特殊事情に置かれたことになる。特攻隊という死を強要されるあまりに特殊に過ぎ、残酷に過ぎる状況。誰しもが日本の敗戦を理解しながら、予定調和のように死に向かっていく状態。死を避けることはもう出来ないのだ。死を受け入れるほかに手段は無い。出撃すれば死、抵抗すればこれまた死。行くも地獄、退くも地獄が特攻隊だ。

特攻隊の学徒兵は、理想(=生に対する執念・執着)と現実(=大儀に基づく死の容認)の間で揺れたであろう。生命に対する意欲は決して消えることはないが、その一方で自分の命を差し出すことで悠久の大儀に生きることが出来る、または愛する誰かを敵から守ることが出来るという心理も消えることはない。自らの死に対して、この二つの考えのどちらかに完全に傾くということはないと考える。死の意味を必死で見出しながらも、納得しきれない部分が存在するのだ。

この理想と現実の割合を百分率で表すことは可能であろうか。そもそも人間の心理を百分率で表すことなど不可能であろうが、これはあくまで例えである。つまり、理想が70の時には現実が30となり、理想が40の時には現実が60になるのだろうか。人間心理はあくまで100に固定されていて、総量が変わることはないのかということだ。人間は物事の総量を決めることが好きだが(特に私は)、総量を決めることが出来ないものなど山ほど存在するはずだ(特に人間の心理はそうだろう)。

理想に生きようとする気持ちが100%である一方で、現実を受け入れようとする気持ちが100%であったとしても、そこには矛盾は存在しないのではないか。ひとつの人格の下にはひとつの心理しか存在しないなどということはありえない。我々の日常生活においてすら、理性と本能の戦いに苦悩しているというのに、死をめぐる想像を超える緊迫した状況下で、理想と現実がそれぞれ存在することが不自然であるはずがない。むしろ、総量を決定してそれらを捉えるほうが余程不自然ではないかと考える。

話が大分長くなった。私はどうも理想化した人間の行動は一貫性があると考えがちである。これは誰しも少なからずある勘違いではないだろうか。警察官や教師が犯罪を犯すと、職業倫理とは別に矛盾した気持ちを抱えることがあると思う。それと似た感覚だ。彼らも人間である以上、一貫した思考、ひとつの完成された人格などはありえない。それを私は知的レベルの圧倒的格差から、無意識に乗り越えてしまいそうなのだ。ある日の日記に、「大儀のために死を覚悟した」とあり、その翌日に「やはりもっと生きていたい」とあったとしても、それを未練として捉えるべきではないのだ。

この点に関しては、不安を拭い去れることは出来ない。学徒兵の理想化は非常に主観的な問題であるので、科学・学問するためには徹底的に排除しなければならない。このような日記ではなく、研究である以上は、責任をもって活動に当たらなければならず、その責任こそが客観性の確保だと信じる。





しかし、その客観性の確保こそが今回の問題だということは、最初に触れたとおりだ。私の性格的に客観性が絶対に必要となることもそれは事実であるが、人間の一貫しない心理を果たして客観的に捉え、法則を見出すことが可能なのか。そこが問題である。

科学の目的が法則(論理や解釈も)を見出すことにあるとすれば、今回の研究でも何らかの新しい知見を発表しなければならない。人間の心理は複雑であり、法則を見出すことは不可能であるというのであれば、学徒兵に関しては『きけ わだつみのこえ』を読むだけで十分なのだ。むしろそれ以上の研究をすべきではないかもしれない。しかし、それではいけないのだ。研究する意義は必ずある。

学徒兵個人個人の心理を分析して、何を見出すというのか。せいぜい我々が学校で習う特攻隊の『悲劇』像を打ち破り、真実を伝えることが出来るくらいであろう(もちろんそれは何よりも重要なことではあるのだが)。あるいは大日本帝国の軍国イデオロギーを新しく解釈することになるのだろうか。どのみち、原点に、そして原典に戻らなければならない。仮に日本の軍国イデオロギーを分析するとしよう。それはそれで困難な道である。学徒兵はイデオロギーに敏感な反応を示すが、一般兵が同様の反応を示すかといえばそれは疑問である。恐らく、文書ではわからないであろう。

すると、彼らの行動から何かを見出すほかあるまいということになる。私の仮説は日本の軍国イデオロギーと実際の軍の体質は一致していなかったというものである。これを証明するために、様々な資料を当たることになるが、個人個人を法則で縛ることが出来ないとすれば、何が見えてくるのか。それが全くわからない。殊更付和雷同的な日本人のことはわからないだろう。

客観的であるべきではあるが、法則的であってはならない。これは大いなる矛盾ではないだろうか。法則を見出すために物事を客観視しているはずなのに。一人の人間の考察ならば、それも可能であろう。しかし、私のやろうとしている軍全体の考察はそうはいかない。この問題をどう解決していくか、それが卒論を書く上で最も困難な問題であるといえるかもしれない。