風俗嬢が嫌です。。。

私は温室に育ってきました。両親が引いてくれたレールにしばらく乗せられて生きてきました。今だからこそ、自分の温室育ちに気付くことができるようになりました。両親はとてもありがたいことに、家族のことを第一に考えてくれていたようで、私はほとんどさみしい思いをしたことがありません。三人兄弟で、兄弟仲も良好だから両親が出かけていても楽しく過ごせました。祖母も両親が居ないときはよく私たちの面倒を見に来てくれました。当時はそれを過保護と感じて厄介に思っていましたが、思い返せば、嬉しかったのだと思います。

小学五年生のとき、私は病気で2週間ほど入院しました。右上腕骨に腫瘍が出来、しばらく通院で様子見をしていたのですが病気の進行具合から主治医の先生が入院を勧めてくれました。その年の冬にガメラ2を見ていた私は(小型レギオンが北大で解体されるシーン)、手術するのはどれほど恐ろしいものなのだろうと恐怖でいっぱいでした。入院の前日、欲しかったゲームボーイポケットポケモングリーンを買ってもらいました。

手術は入院の翌日でした。怖くて怖くてどうしようもありませんでした。移動式のベッドに乗せられて手術室に向かっていたときは、生きた心地がしませんでした。全身麻酔の手術でしたので、もしかしたら二度と目が覚めないかもしれないとも脅されました(と当時は感じたのです)。死がどういうものなのかは全く理解できませんでしたが、怖いものだということだけはわかりました。しかし、麻酔を足に打たれてからすぐに意識を失い、再び気付いたときには全身を固定されて管をところどころに差し込まれて病室に戻るところでした。目を開けて最初に見たのは看護婦さんと心配そうな母の顔でした。意識が朦朧としていたので何もいえませんでしたが、(終わったんだ・・・)と思いました。

その後は術後の熱にうなされたり、抜糸で痛い思いをしたり、一人でトイレに行けなかったりしました。それでも手術自体は非常な成功を収め、予定通り2週間で退院できました。これは高校を卒業してから聞いた話なのですが、私が入院したとき、父は「代わってやりたくて仕方がない・・・どうして・・・」としきりに母に漏らしていたそうです。父は普段厳しいのですが、やはり優しい人なのだなぁと改めて感じました。

中学受験をさせられたときは、「どうしてみんな遊んでいるのに俺は勉強しないといけないんだ!」と不満に思いました。私は元来出来が良くない人間なのか、必死に勉強していたのに入学できた学校(要するに母校ですが)の偏差値は50と少し。他の私立には合格しませんでした。勉強量の割りに決して賢い子どもではありませんでした。それでも合格したときは嬉しかった、自分の努力がはじめて報われた気がして本当に嬉しかった。両親も自分のことのように喜んでくれました。祖母も弟妹も喜んでくれました。合格の日は駅から自宅までタクシーで帰り、出前寿司を頼んでくれました。この日のことは決して忘れることはありません。

中学と高校では良い仲間に恵まれました。部活は私の中高生活をハリのあるものにしてくれました。中学最後の公式戦で、支部大会に出場できたことは幸いでした、多分あの試合の決勝点はオフサイドでしたが。グラウンドがなかったせいで、部活としての環境は野球部と共に悪いものでした。登戸まで行くのは大変だし、登戸のグラウンドもお世辞にも良いとは言えません。しかし、そこでのサッカーは充実していました。部活以外にも友達は出来、学校に行きたくないと思ったのは宿題を忘れたときくらいです(仮病が一度)。もちろん、当時の彼女の存在も忘れてはならないのですが、まぁここでは省略で。

大学にも無事に入学できました。受験勉強は半年しかしなかったけれど、本気で勉強しました。あの夏ほど本気になる夏は恐らくもう来ないでしょう。とにかく必死に勉強しました。受験当日はどこの大学でも緊張しませんでした。自分の勉強量を恐れ多くも信じきっていました。たとえ早慶であろうとも落ちるわけがない、そう信じていました。模試の結果はC判定が限界だったのに。

合格発表の日、緊張しました。一番初めの合格発表は立教大学文学部のセンター利用。ここはすべり止めだし、センターも8割5分くらいだし、きっと受かってると思う反面、落ちていたらどうしよう・・・と不安になりました。逸る気持ちを抑えながら、携帯で合格発表を耳にすることを決意しました。その日は早稲田の教育学部の受験日、本命に近い学部ですから、もし立教に落ちていたら精神面での悪影響は計り知れないものだったはずです。(受かっていてくれ!)と必死に祈りながら、番号を押しました。しばらくの沈黙の後、「おめでとうございます、合格です・・・」嬉しくてそのあとは頭に入ってきませんでした。その日の試験も大はりきりで受けることが出来ました。

何だかんだ言っても大学受験で最初の合格発表です。すべり止めでもこれほどの安心を味わえるとは思いもしませんでした。両親もほっとした様子で、あとは本命に向けて頑張るだけだと言ってくれました。大学受験では両親は自分の出る幕はないと思ったのか、志望校選択から勉強法まで何も口出しをしませんでした。自分勝手な勉強スケジュールを立てる私に対して、家族で夕飯の時間をずらしてくれたり、テレビを控えてくれたりと、さりげない部分で協力してくれました。

本命の早稲田一文の合格発表の日、少し寝坊しました。最後の受験となった筑波大学前期試験も無事終了し、あとは合格発表を待つだけでしたから、ゆっくりとすることが出来ました。ネットでの合格発表よりも、電話での発表のほうが2時間ほど早かったので、電話で確認することにしました。緊張します。普段は単身赴任している父も帰宅してくれ、弟妹もリビングに集まったことで、我が家の全員が(ペットも含めて)リビングに集合して私の合格発表を待ちました。

それでも最初の立教ほどの緊張感はありませんでした。明治の史学科で特待をもらっていたので、それだけ楽になれたのかもしれません。私の半年の受験勉強の集大成がこの電話に掛かっている。中学受験はやらされていただけだけれど、大学受験は自分で選んだ道です。結果を知るのがそれだけ恐ろしくもありました。立教のとき同様に、恐る恐る番号を押しました。

「・・・おめでとうござ」

やった!合格だ!!!と叫ぶかと思いきや、意外と私は冷静でした。電話を切り、家族に向かって「受かった」と静かに告げました。その瞬間、鼓膜が破れるのではないかというほどの声で母が「いやったー!!!」と叫びました。父はこぼれんばかりの笑顔で「おめでとう」といって手を差し出してくれました。弟はニヤっと笑って、「やったな・・・」といいました、私もにやけました。妹は「すごいじゃん!」と何故か上から目線で祝ってくれました。祖母は電話で涙声になっていました。祖母は戦争のせいで教育をあまり受けられなかった分、私の大学進学を自分のことのように喜んでくれたのでしょう。その日は横浜にみんなで夕食を食べに行きました。

思えばこの頃が頂点だったかもしれません。今は「この人誰の話?」といいたくなるような生活を送っています。それでも、家族は相変わらず仲良くしていますし、正月、クリスマス、それぞれの誕生日などはみんなで祝います。家族が会ってこその私なんだと、飯田橋で暮らすようになってから強く感じるようになりました。



ここまで自分史を書いてしまったわけですが、それも今回の話と無関係ではないのです。私にとって家族とは、特に両親とは何事にも変えられない存在であるということが、今の私を規定しています。温室に育った私がどうしてその対極にあるような風俗を語ることが出来るか、とも思うのですが、温室から見えてくることもあると信じています。

私が風俗嬢を毛嫌いするのは、ひとつは道徳的に罪を犯しているということ。身体を売るということは、その心も換金したことであり、心を失ってはもはや人間と呼ぶに足らないと思うからです。世の中には心を捨てざるを得なかった環境に置かれた人もたくさんいることでしょうが、彼らに関しては全くの別問題です。風俗嬢で肝心なのは、自ら心を換金したということ。自分の意志がそこに存在していたからこそ、私は風俗嬢を認めない。

それ以上に、両親をはじめとする身近な人々にどれほどの迷惑をかけているかを理解していないことが許せないのです。もちろん、世の中には「親」と認められないような親もいることでしょうが、今回の件に関してはそうではないようです。風俗で働いて、身体を売ったとしても、身近な誰かが病気にかかるわけでもないし、別に誰に迷惑をかけているわけでもない。これは「援助交際」、売春をする女子高生の言い分です。しかし、そんな勝手な理屈がまかり通るほど人のつながりは軽いものではないのです。

毎日を希望に溢れさせて生きている人が世の中にどれだけいるでしょうか。仕事が楽しくて楽しくて、お金がもらえるのはおまけで良いと思える人は全体の何%でしょうか。恐らく、多くの人は働きたい仕事でやりたい内容だけをやっているのではない。多かれ少なかれ不満と絶望を抱えながら生きているはずです。それでも毎日働きに出る、ご飯を作る、選択をする、満員電車に揺られる・・・自分が生きていくためには仕方のないこと、そういう人も多いでしょう。そしてこのままでは私は自分が生きるためだけに働く人間になってしまいます。しかし、そうではない人もいる。

家族のために働いている人もいます。望みもしない仕事をして、遅くまで働いて身体を壊してまで働いて。そういう人もたくさんいます。うちの父がそうでした。自分の身を削って働きました。何のために?家族のためです。妻のためです。子どものためです。朝早く起きてご飯の準備をしてくれる人がいます。その人も同じことです。

自分を大切にしてくれる人がたくさんいます。しかもそれはその人の時間を削ってまで無償で大切にしてくれます。誰でもそういう人はひとりはいます。その大切にすべき人を、裏切ってはならない人を、守らなければならない人を、裏切る行為が、身体を売ることです。しかも、単純に遊ぶ金が欲しかったというだけの理由で。「遊ぶ」というのは言葉のあやで、それが独立のための資金稼ぎであっても、引越しのための貯金であっても、もちろんブランド品を手に入れる金であっても、愚かな理由にすぎません。

自分を大切にしてくれる人を平気で裏切る心、そしてそれをバレなければ良いと思う心、そういった非人間的な心があるからこそ許せません。どんな形であれ、自分を生んで育ててくれた両親、仲の良い兄弟、心配してくれる友人、彼らを捨ててまで手に入れるべき金などは絶対に存在しない。絶対にです。

もし、それでも「そんなのは私の勝手だ!」というのであれば、私は決してその人と関わりたくない。教職からすれば、そういうことを言ってはならないのですが、偽らざるところはそういうことになります。好きにしたら良いと思いますが、いつか後悔して欲しい。後悔しても何にもなりませんが、とにかく後悔して欲しい。自分が人間としての心を捨ててしまったこと、そして大切な人々を傷つけたことに気付いて欲しい。他人は風俗で働いていることを知らないのだから傷ついているはずがない、というのであれば、その人を長年だましてきたことを悔やんで欲しい。取り返しの付かないことをしてしまったことをわかって欲しい。

人間は、自分の過ちをその場で気付くことが苦手です。認めることはもっと苦手です。私も自分自身の認めたくない点は山ほどあるし、認められるほどに完成された人格を持っているわけではありません。だから、今わからないことがあることは認めます。将来、自らの過ちに気がついたのであれば、そのときにその人との係わり合いを考えたいと思います。

そういうわけで、私は、人として大切なことに気付いていない風俗嬢が、大嫌いです。