自然科学の功罪

自然科学は人類を快適な生活に導いてきたけれど、それは必ずしも良いことばかりではないのは当然だ。結局科学を使うのは人間であるということを忘れてしまっては、全ては無どころか害悪となる。包丁も料理に使えば便利な道具だが、人に向ければ凶器に過ぎない。原子力発電は資源不足を救うかもしれないけれど、原爆は多数の命を無残に奪う。

そして、このところの理系信仰(といえるほどではないかもしれないが)にも功罪がある。それは特に教育の分野に大きな影響を与えている。教育はまだまだ未開の分野であるから、何が正しいのかなどということは一概に言い切ることは出来ないし、これから先もそういうべきではないだろう。それでも「競争原理」に代表される理系の教育論はその力を刻一刻と増しているといえる。

というようなことを冬休み中にまとめたいと思う。そろそろ将来を見据えて、はっきりとした理念を持たなくてはならない。経済学はすごく面白いと思うけれど、万能ではないこと、全ての出来事に応用できるわけではないということを意識しなくてはいけないのではないか。新しく確立された行動経済学が心理学的であるように、経済学は必ずしも主体ではないこともある。教育学的な面が強く、経済学は側面的なモノの見方があっても良いのではないか。

だから、もっと勉強しないといけない。時間は生み出すしかない。