いいえ、素敵です。

ブルジョワジーになることを夢見て早数年。私の財布事情は刻一刻と悪化しています。今日も銀行に行かなかったら、財布の中身はほぼゼロ円。実家の箪笥貯金を切り崩すときが来たようです。清水に電気代とか払わないといけないので・・・なんといっても固定支出が多い。家賃の3万だけでも一年で36万円にもなるのだ。その分自由に使える金が増えると考えれば、本来私は豊かな生活を送ることが出来るのではないだろうか。

とはいえ、これはこれで自分の選んだ結果なのだから誰を恨むわけにもいかない。極端な話、この生活をやめれば贅沢をする夢も叶うのだが、そんな無責任なことは出来ないし、したいとも思わない。大学まで20分で到着する立地条件は限りなく理想に近いものだし、ここで生活することで学ぶことが多いのも事実だ(まぁ大概は家族の有難味なのだが)。

それでも、せめて買いたい本を自由に買える位にはお金を持っていたいと思う。借りるという選択肢はレポートなど以外ではほぼ最初から設定されていないし、また、本棚が自分の読んだ本で埋まっていくのは何ともいえない快感がある。だから私はこれから先に本を売ることは無いだろう(くだらない本を除いて)。もしかすると、本棚を本で満たすことに快感を覚えるのは、知的なコンプレックスを抱えている証拠なのかもしれないが、それはそれとして置いておくことにしよう。

生協は普通の本屋よりもはるかに安く本を買うことが出来るのが嬉しい。それでも岩波などは高くて手が出ない。復刻版のハードカバーなどになるともうどうしようもないのだ。しかし、そういう本こそ読んでみたいと思う。岩波の選書は素晴らしいものがある。著作権を延長するというのなら、それだけ読者に利益が還元されてしかるべきではないのか。本の値段を下げて欲しい。

本を買って読みたいというのは贅沢だろうか。そりゃ金銭的に見ればブックオフで買ったほうが安いわけだから、新品で買ってしかも読み返さないくせに売らないという私の方針は贅沢以外の何物でもないかもしれない。

しかし、本を買って貧乏なのと毎日スタバでコーヒーとビーフシチューパイ(←これはマジで美味い)を食べていて貧乏なのは価値が同じだろうか。いや、そんなことはないだろう。文学的で学問的な世界が全て高尚だというつもりは微塵も無いが(そういう意識はあるかもしれない)、自己の向上のために金を使うことは贅沢ではない。そしてぎりぎり生活しているのだからむしろ良いことだと思う。

自己の向上のために金をケチることは正しいことではない。どれほど客観的に見て無駄に思えても、自分が正しいと思えばそれは正しい。受験のときに信心から無駄に参考書をそろえてしまったとしても、それをある程度使えば正しい投資なのだ。そういう意味では、一日を素晴らしく過ごすために毎日スタバに通っているというのであれば、それは正しい行いといえる。






まぁ、なんと理屈をつけようとも、現在金が無いのは事実である。金、金、金、金・・・と言っていると心が貧しくなるとは思う。金があるから心が広くなるわけではないが、少なくとも私の場合は金が無ければ心も狭くなるようである。将来の夢は何ですか?と尋ねられれば、小学校の卒業アルバムに公務員と書いた私でも、今は「ヒモになりたい」と書くだろう。私は生まれ変わったら、ヒモになりたい。あるいは交差点でおばあさんの荷物を持ってあげたら大富豪だったというパターンでも良い。パトロンがどこからともなく現れて、意味もなく支援してくれることはないだろうか。きっとないだろう。

とりあえず、本代には困らない生活を最大目標として、これからの人生設計を立てようと思います。そういえば、昨日懸案だった授業の発表が終わったので、意味もなく清水と新宿に行ってみた。何も買わずに紀伊国屋に行って、清水はトレーニングだとか解剖学だとかの本を見ていた。私はそちらの方面の本にそれほど興味を抱かなかったので、近くにあった天文などの科学系雑誌を手にとって見ていた。

今月の(?)別冊ニュートンは宇宙や星座の特集だった。中学受験であれほど必死に覚えた知識も今は昔、オリオン座くらいしかわからない。バイトからの帰りに夜空を見上げて、とりあえずオリオン座を見つける。その近くにいくつか明るい星があるけれど、それらの名前はわからない。もっと天体に対する知識があれば良い。そう思って、買おうか迷ったが、如何せん2300円と高額なので、買えなかった。この冬のうちに買おうと思う。

同じく別冊ニュートンに異次元に関する特集のものがあった。そちらも非常に興味深かったので、手にとってしばらく読んでみた。が、さっぱり理解できない。三次元の説明までは良くわかる。四次元からきわどくなり始め、五次元になるとさっぱり理解できない。最終的には十次元まであるそうだが、時間の次は何なのか。そもそも時間の概念とは何なのだろう。ちょっと前に時間をテーマにした新書があったと思うが、それすら難しくて買うのを諦めた。

世界は面白いことで満ち溢れている。過去現在未来、東西南北、上下左右、どこを見ても何かしら面白いものは転がっている。それらについて詳しく知りたい、研究してみたいと思うが、そうはいかないのが人間だ。だから、我々は本を読む。誰かが残した功績を、完成品として眺めることが出来る。深い知識にたどり着くことは出来ないかもしれないが、ある程度の満足は出来る。それだけでも十分読書の価値はあるものだ。

もし、子どもがいたら、どんな本であれ、欲しいといってくれたら買ってあげたいと思う。本は実に良いものだ。