時間というよりはやる気の問題か?

長い文章はその日のうちに終わらせとかないと、翌日は絶対に書けません。むしろ結論を導いてから書かないと、果てしなく時間がかかるし、内容が二転三転してしまってどうも収まりがつかなくなる。そう、このままじゃおさまりがつかないのです。ということで、半端な文章はやめておこう。

最近、特攻系の本にはまっています。卒論が旧軍系なので、勉強の一環として読んでいるわけですが、新しい発見が多いです。近いうちに知覧の特攻記念館(というのかな?)も訪れたいと思います。知っておかなければならないことがあります。もっと先の戦争に深い見識を持たなければ。

特攻に関する詳細な考察はいつかまとめ上げたいと思います。直接見聞きしないで、誰かの記述から考察するというのはあまり好みではないので、せめて『きけわだつみのこえ』だけは読んでから書こうと思います。書くと考えがまとまって、少し考えが進化するように思います。一部の左翼・右翼に流されているような今の世間での歴史学に身を任せるのではなく、自ら歴史・戦争・国家というものを位置付けなければなりません。

それはそれとして、特攻機が突っ込むときに、あるいは遺書を書くときに、最後にあらわれる言葉で多いものは「お母さん」だそうです。もちろん、恋人の名を叫ぶ人もいたでしょうし、天皇陛下万歳といった人もいたでしょう、「死にたくない」といった人もいたかもしれません。しかし、多くが母親の存在を想うというのは、その存在の大きさを示すものなのでしょう。

親の存在というものは、あまりに当たり前すぎて、その存在を疑うこともなければ、意識しなければ感謝することもありません。「親孝行したいときに親はなし」とは本当によく言ったものだと思います。今は親のありがたさというものが身にしみてわかりますが、しかしそれが果たして本当に理解できているのかどうかは疑わしいものです。

例えば、自分を育てるために朝から会社に行って、夜は残業してくる父親。もし、自分がいなければ、きっとそんなに働く必要もなかったでしょう。もし、自分がいなければ、きっと自分のためにもっと時間とお金を使えたでしょう。それを選択したのは親自身で、その苦労を負う義務は確かにあるのですが、しかしそれはそれこれはこれ。自分が今ここにいるのは、父が身を削って働いてくれたから。だから、父のありがたみはよくわかります。

母は専業主婦なので、実際にお金を稼いでくるわけではありません。そのために日本では父親が母親よりも高い地位にあることが多いのでしょう。まぁ歴史的な男尊女卑思想も深く根を残していると考えられますが、男尊女卑がかなり薄れてきた(と考えられる)現代においては、金銭的な問題がその主要因なのではないでしょうか。しかし、自分が健康でいることが出来たのは、母のおかげです。栄養のバランスを考えて、毎日毎日料理を作り、そして洗濯をしてくれたからこそ、今の健康があります。だから、母のありがたみもよくわかります。

しかし、それらのありがたみというのは果たして親の存在に感謝しているのでしょうか。もしかして、ただ単にお金を稼いでくれて、衣食住を提供してくれる存在に対してパトロンのような存在として感謝しているだけなのではないでしょうか。親の存在というのは、決してそんなものではないはずです。死の直前に思い出すのが、母親なのはその証拠でしょう。

本当の親の存在への感謝を知るヒントは、特攻隊員が父親ではなく、母親のことを呼んだということに隠されているような気がします。親の存在がその職業性にあるのだとすれば、母親の方が多いというのは理屈に合いません。だから職業性は存在の本質ではないはずです。戦前において、父と母は何がどう違ったのでしょうか。

戦前の父親には家父長としての責任があったという点において、戦後との大きな違いがあります。今に比べれば、遥かに厳父というに相応しい存在だったのだと思います。父親は厳しいもの、それは固定観念ではあるでしょうが、あながち間違ったものでもないでしょう。父親が外で働いてくるという点、これは戦前戦後共通した事実ではあります(もちろん現代は違いますが)。

恐らく、父親という存在に求められたのは、「こうなればよい」という見本ではないでしょうか。各家庭によって多少の差異はあったでしょうが、父親というのは見本であり、男の子からすれば憧れであったでしょう。「父の背中の大きさ」というのは少年にとってはそれこそ大きな存在であったと思います。これはそのまま、現在の自分の父親に対する見識と同様です。

それに対して、母親というのはいつも家にいて自分を受け止めてくれる存在ではないかと思います。これは父親にも言えることですが、大人になってからは親のあり方などを否定的に捉えることもあるでしょう。しかし、重要なのは幼い頃にどう思っていたかということ。特攻隊員の多くは20代前半、若くしては17歳でした。まだまだこれから色々なことを知っていく時期です。逆に言えば、幼いころの考えが強く影響を与える時期でしょう。

父親は子どもが後を追いかけていく存在であるのに対し、それを後ろから追ってきてくれるのが母親の存在。転んでしまったときに、優しい言葉をかけてくれるのは母親なのです。その優しさというものが幼い心に強く刻まれるのではないかと。あるいは父親が働いて稼いでくるのが無機質な「金」であるのに対し、料理や洗濯といった母親の仕事はより生活に密接しているという点もある程度影響を与えているのかもしれません。

父親が自分の前にいるのに対して、母親は自分の後ろにいる。父親は見本・憧れとしているのに対して、母親は安心・優しさとしているのでしょう。特攻という強制された死(というと右側から異論が出てきそうですが)、宣告された理不尽な死というこれ以上ない恐怖を、最後に支えてくれるのは国に刷り込まれた国への忠誠でもなく、自らの精神力でもなく、ただ単に後ろにいる母親の存在なのでしょう。

現代においては、父親や母親の存在というのは大きく変わりました。その存在が逆転することもありますし、両方が前を歩くこともあります。それはそれで良いでしょう。しかし、父が外で働き、母が家で働いた家庭で育った自分にはそれ以外のあり方を理解することは出来ません。親の自己実現というものを蚊帳の外に置いて、子どものことだけを考えたとすれば、前に父親後ろに母親というのが最も良いように思います。

人間は社会的な動物ですが、本能があることは他の動物と変わりありません。その点では、自分を産んでくれたのが母親であるということも忘れてはならない点でしょう。もしかしたら、本能的に母親という存在を求めるのかもしれません。そういうことはきっとあると思います。

母親の存在というのは、存在自体にその価値を認めることが出来るのだと思います。大抵人間も存在しているだけで何らかの、あるいは誰かの価値になっているということからすれば、ここには語弊があるのですが・・・何かをしてくれるからありがたい存在なのではなく、いつも自分の後ろにいてくれるというそれだけのことがありがたいのではないかと思います。それが根本にあり、そこから派生して役割としての母親に感謝することもあるのでしょう。存在は役割に先んじます。




よく「尊敬する人は誰ですか」という質問があるが、これにはいつも何を書くべきか迷っていました。しかし、少し考えてみれば、自分にとって最も尊敬すべきは、そして実際に尊敬しているのは両親であったということがわかりました。まだ役割としての両親を尊敬しているに過ぎないように思いますが・・・役割としての親であれば、自分の両親は圧倒的に優秀だとはいえないと思いますが、そんなことは問題にならない。

自分は果たして、両親のように子どもから尊敬されるような立派な存在になることが出来るでしょうか。そこはかなり不安です・・・