努力とはやらされるものじゃない。

というようなセリフが確かメジャーかなんかのマンガにあったような気がする。確かメジャーだ。きっとそうだ。まぁメジャーであろうとおお振りであろうと何でも良いのだが、最近、久々に、具体的に言えば3年2ヶ月ぶりに頑張っている。何を頑張っているかといえば、まさかの勉強である。

まぁ確かに自分から頑張っているなんて言っているうちはまだまだ余裕ある証拠と言えなくはないが、ここ1週間の英語勉強量が大学に入学してからの勉強量とほぼ同じであると推定されることからも、比較的頑張っていると思う。願わくば「頑張った自分へのご褒美(笑)」というのをしてみたいものだが、いかんせん金がなく、どうしようもないものだ。この調子であと10ヶ月くらい頑張ろう。

将来の選択がだんだんと具体化してくると同時に狭くなってきている。それはごく当たり前のことなのだが、こういう何でもない時間が貴重な時間へと変わっていくのだろう。自分はまだあと2年半は学生を続けるつもりだが、院に入ればきっと学校で講師をやるだろうし(口があれば)、今みたいなことは出来ない。大人がそろって学生時代に戻りたいというのは、青春がどうだとかいうのもそうだろうが、時間的な余裕を懐かしんでいるのかもしれない。

世間ではどうやら自分はニコ厨であるとの風評が広まっているようだが、このところはそうでもない。確かに一時期は暇さえあればニコニコニコニコニコニコニコニコしていたものだが、昨日は10分くらいしか見てないし、土日は全く見てないし、今日もあまり見てない。何をしているのかといえば、最初の勉強と運動である。案外充実した生活を送っているのである。まぁリア充とは一線を画されてしまうような充実の仕方ではあるが。一人じゃリア充にはなれないのだ。

とりあえず大学院は旧帝に行こうと思う。そういうある意味わけのわからない理由で大学院を選定しているのは、それほどまでに研究したいというテーマがないことと、学歴コンプレックスの克服が原因だ。そういう意味では東大に行きたくてどうしようもない。途方もなく、口に出すのも恐れ多いことではあるが、大学受験で妥協した分を取り戻すために頑張らなくてはならない。

でも、それらとは違った理由で田舎の大学院も良いかなと思っている。大学院では何かひとつのテーマを集中的に学問するというのではなく、どちらかといえば世の中の知らないことを色々経験しておきたいと思う。もちろん、将来的に教職に就くことを考えれば、総合的な知識の確立が最たる目標にはなるのだが、東京には無いものを経験してみたい。地方の学校がどうなっているのかということから、自然環境まで色々だ。

大学院は人生の勉強の時間にしたい。だから今こそ頑張らなくてはいけない。そういう意識がようやく芽生えてきた。早く4年生になって院試の勉強に集中したい。もう演習クラスの無駄っぷりには嫌気が差す。かくいう自分も他の学生にとって有益な発表を行っているわけではないが、少なくともwikipediaから引用してくるのはいい加減勘弁してほしい。

明日も早起きして運動してから勉強だ。本気でやれば何でも楽しいものだ。いい加減な気持ちでやるからこそ、嫌になるのであって、どんなことであっても能動的に目的意識を持って行えば、楽しめると思う。この気持ちが10ヶ月続いたら、きっと院試も上手くいくだろう。でも現実はそう甘くもないだろう。だから、ニコニコ等に妥協しつつ、少しずつでも毎日前進していくことが肝心なのだ。

スケッチブック欲しいな・・・