世の不思議

人間というのは不思議なもので、状況に追い込まれてしまうと、普段は絶対といって良いほどに気をかけていないものに気をかけようとするものです。普段やらないことを気にすることによって、きっとその追い込まれた状況から一時的に逃げようとしているのでしょう。テスト前の掃除なんかはまさにその典型で、恐らく日本人の99%が経験したことがあると思います。掃除はやらなければならないもの、しかし普段は面倒なのでやっていない。テスト勉強に集中するには綺麗な部屋の方が効率が格段に良いに決まっている。そういう論理が混ざって人をして掃除せしめるのでしょう。

自分も掃除をよくした方ですが、大学に入ってからはそこまで追い込まれることもないので、掃除もテスト勉強もそこそこに済ませています。それなりに綺麗な部屋にそれなりに良い成績。それで良いじゃないかと思ってしまうのです。もちろん、面白い科目とか尊敬する先生の科目は頑張りますし、さすがに汚れすぎたなと思ったら掃除します。

そんな感じで、今回もテスト・レポート週間なのですが、色々な事柄が重なって、部屋の掃除の代わりに心の掃除をするようになっています。要するに、自分がどんな人間で、何がしたいのか、これから実現可能な未来を考えたときに何が最善なのか・・・それらを考えることも「必要なこと」です。だから逃げているのです。乗り切れると信じて。まぁもう半分終わったので、何とかなるでしょう。特に通年の科目が多いから、前期は余裕でしょう。

この本を読んでみると、自分の好きなタイプの人間と、苦手なタイプの人間がわかる気がする。そもそも小説には特定のキャラの役割を担った登場人物が登場するが、これから社会に出る人間として、こういう人が上司だったら良いなとか部下にはこういう人がいると良いなどと考える。

ちなみに、自分が苦手で避けたいタイプは、「権威なき権力者」。

そんな今日は、授業中に↓を読みました。

ハゲタカ2(上) (講談社文庫)

ハゲタカ2(上) (講談社文庫)

やっぱり面白いです。現実でありながら、決して自分には届かない世界。だからこそ面白いのだけれど、やはりそこには一握の哀しみが存在する。でもやる気は出てくる。自分に出来ることくらいは頑張ろうという気分にはなる。さすがに後悔するだけの愚かしい時期は過ぎたかもしれない。

この本には、当然のことではあるが、様々な性格の登場人物が存在する。もちろん、小説である以上、全ての登場人物がそれなりのキャラクターを持っているのだが、現代の社会を描いた小説であり、さらに自分たちがもうすぐ社会人になるという状況だけに、他の分野よりも人物評価に身が入ってしまう。

こういう人が上司だったら良いとか、部下には彼のような人が良いとか、あんな人が取引先だったらどうしようとか・・・そんな感じで、違った意味でも小説を楽しめる。やっぱり自分の中でも好きな登場人物と嫌いな登場人物はわかれるし、目標にしたい登場人物もいる。

ちなみに自分が嫌いな登場人物は「権威無き権力者」のパターン。実力は十二分に備えているが、それに肩書きや実績が伴っていない。しかし、部下などからの信頼は抜群で、あまり能力の無い上司の顔を立てるわけでもなく実質所内を管轄している。そういう人間は苦手だ。

不景気の煽りを受けて、世間には実力主義成果主義が導入されるに至った。それ自体は非常に好ましいことだと思う。能力のある人間が、普通の人と同じというのは明らかにおかしい。真に有能な人間こそが上に立つ資格があるとは思う。それでこそ、これからの競争に勝ち残ることが出来るのだろう。

しかし、まだまだ実力主義などは浸透していないのだと思う。年功序列で昇進した人もまだその階級に残っていることだろう。極端に言えば、無能な上司に有能な部下、そういう関係になる。そうしたときに、どうあるべきかということを考える。