これは遅刻フラグ・・・

レポートを3時までかかって仕上げ、床につき、起きたら既に時計は11時だった。そこからゆっくりと支度をして、さて顔洗って大学行くかと思ってパソコンをつけた。パソコンをつけたのはあくまでレポートを印刷するためで、別にネットのためじゃないです。

でもここがダメ人間の性で、無意識的に操作をして、知らないうちに開いていたのはYahooのトップページだった。「えええ・・・」と自分でも驚きながらも、「開いてしまったものは仕方ない」ということで、まだ時間があったから適当に見ていたら、「泣けるコピペ」というのを発見。

これが遅刻への第一歩だった。でも、ちょっと心が豊かになった気がする。特に感動したのは↓。ちょっと泣けた。

137 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/07/11(水) 11:23:48.67 id:FlNlr5WFO
小学生のとき、少し足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。
でも、絵が上手な子だった。
彼は、よく空の絵を描いた。
抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。

担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。
N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。
私はN先生が大嫌いだった。

クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、
全校集会で先生のお別れ会をやることになった。
生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。
お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。

私は、A君の言葉を忘れない。

「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」

A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。
水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。
N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした。

午前中から少し憂鬱で少し良い気分になりました。遅刻だけど。