2005年2月26日

最後に、勝って本気で笑ったのは、多分この日だったと思う。狙っていた大学の学部に無事合格して、喜んだ。たった半年間のことだったが、曲がりなりにも一生懸命勉強してきた。学校があったおかげで、ストレスはそれほどたまらなかったけれども、それでも毎日毎日長時間机に向かっているのは辛かった。しかし、その努力が報われた瞬間から、その努力すら良い思い出になった。

それから、もう2年以上の年月が過ぎ、当時は念願だった大学で、勉強したかった学問を学んでいる。サークルには入っていないけれども、毎日読書もしているし、運動もそれなりにしている。大学の授業は退屈極まりないが、それでも大体出席し、問題にならない程度には単位も取れている。外から見れば素晴らしい人間ではないものの、別に世の中から卑下されるような人間ではないつもりだ。

でも、何も無い人生を送っていると思う。毎日が繰り返されているは思わないが、明日を楽しみには思えない。火曜日から土曜日まである大学のつまらない授業に出席して、夜は塾でバイト、暇な時間はなるべく教習所に行くようにしている。もちろん、友達と遊びたくなったら、時には大学の授業を捨ててでも遊びに行く。

とりあえず予定は埋まっている。全然余裕はないものの、暇で暇でどうしようもなく、することがなくて充実しないなんてことはない。





最後にボールに触ったのはいつだっただろうか。一時期はリフティングに凝って、暇な時間は一人か弟と一緒にボールを蹴っていたものだが、最近はそれすらしていない。飯田橋で暮らすようになって、シャワーを浴びられなくなったせいだ、などというのは言い訳で、ただ単に、リフティングを続ける意思がなかっただけのことだ。

それでも、サッカーは好きだ。高校のときは試合を観ているのはそれほど好きではなかったが、今では結構観ている。サッカーほどスピード感があって、興奮するような競技はないと、色眼鏡で見ている。もし、サッカーではなくて野球やバスケを中学のときに選んでいれば、それを好きになっただろうが。

サッカーをしているときの自分は、一生懸命だった。決して上手くはなかったし、どうしてもっと練習しなかったのかと今でも後悔することがある。あの時もっとフリーキックの練習をしていれば、ミドルシュートの練習をしておけば、もっと体力をつけていれば・・・それでも当時は一生懸命だったのだ。島田先生が厳しかったこともその一因ではあるが、部活でサッカーをすることが何よりも楽しかった。

スポーツ特有の燃えるような興奮を味わえるのは、何事にも変えがたい幸福だと思う。自分のプレーがチームに貢献できたときなんかはそれ以上にだ。例え練習中であっても、綺麗に敵からボールを奪ったり、ゴールを決めることが出来たときは、叫びたい衝動に駆られる。勝利からの笑顔だ。






そんな笑いを、もう2年以上経験してない。もちろん、友達といれば楽しいし、本でも映画でもネットでも、娯楽を探せばいくらでも楽しさからの笑いを得ることが出来る。でも、それは勝利からの笑顔じゃない。叫びたいほどの喜びや楽しみじゃない。

一生懸命やった者だけに許される勝利の笑い。やらされているだけでは決して得ることが出来ない。自ら勝利を求め、努力し、結果を得たときにだけ経験することが出来る。大舞台である必要はない、練習のミニゲームや基本練習、勉強ならば小テストや模試でも良い。とにかく望んだ努力が報われる瞬間だ。

自分は今、何も一生懸命にやっていない。ずっと勉強したかった日本史も、バイトも、運動も、教習所も、大学もだ。自分から望んだ努力じゃない。必要に迫られたからやっているだけだ。もっと財布に余裕があれば、バイトも減らすし、大学も出席を取らなかったら出るかどうかわからない。運動だって、理想的な体形をしていたり、全くの健康であったら、ジムでトレーニングなんかしないだろう。全て向こうからやってきた形の努力、だから自分から一生懸命にはなれない。

だから、喜びを味わえない。喜びを味わい、勝って笑えるチャンスは、そこら中に転がっているはずなのに、それを探そうとも、見つけても拾おうともしない。そうする気になれない。それで充実しないのだから、自業自得なのだ。誰の責任でもない、自分が全て悪い。他者をうらやむなんて、その資格すらない。






全てを捨てて逃げ出したい。そう思うことは多々ある。だが、そんなことは出来ない。仮に逃げ出したとしても、そこには何もない。今以上に悩むことになるだろう。どれほどつまらなくとも、今自分を支えているのは、大学であり、バイト先であり、勉強であり、運動なのだ。それを捨てて座り込んでも、立つ力がなくなるだけだ。

逃げることに意味はない。逃げずに闘わなくてはならない。自らの努力でなくても、続けていればいつか望んだ努力になるかもしれない。どんなものであっても、努力することを忘れてはならないのだと思う。充実しないとか、本当の自分探しとかいう下らない悩みにいつまでも甘えていないで、今、目の前にあることに努力する。それ以外の道はない。自転車で最北端に到達しても、何が見つかるわけでもないのだから。






というようなことを、ここ数日立て続けに読んでいる、あさのあつこの『バッテリー』を読んでいて思った。まぁ『バッテリー』にはそんなこと全然書いてないんですがw。




今、気がついた。これが五月病ってやつですね。。。病欠したいです。バルサミコス。