いじめ

最近は少し落ち着いてきたのだろうか、いじめ自殺のニュースをそれほど聴かなくなった。それは単純にニュースをあまり見なくなったせいかも知れないが、これでもかというほどに連日いじめ自殺の報道が相次いだ時期があった。多くの人は「またか・・・」と思い、他人事ではあっても快くは思わなかったはずだ。そして加害者やそれを防げなかった教育現場に憤りを感じた人も少なくなかっただろう。

ただ、そのように思いながらも、意識的に、あるいは無意識的に、「いじめられる側にも責任はあったんじゃないだろうか」「いじめくらいで自殺なんて、弱い人だったのかもしれない」と感じたのではないかと思う。現に自分も、加害者側の圧倒的な悪を認めながらも、いじめ自殺には被害者側の弱さのようなものがあるのだと思った。

しかし、そんな考え方は間違っている。被害者は決して弱い人間ではなく、自殺するほどのいじめには被害者の責任などは存在しないのだ。自殺を招くようないじめの責任は全て加害者が負っているのであり、被害者はそのいじめと必死に戦っているだけだ。

今日は時間がないので、この事実だけを書き記すことにする。その詳細についてはまた後日、まとめて行こうと思う。