走れお金!

「時は金なり」"time is money"と、学校では散々習ってきた。意味としては「時間は大切だ」ということであり、それほど深い意味はない(と思う)。わざわざ「金」"money"という言葉を使ったのは、「大切なもの」としてイメージしやすかったからだろう。確かに、時間ほどではないにしても、お金は大事しなくてはならない。

というのが普通の考え方だと思うが、バイトをしていると、このことわざの意味がよりストレートに感じられるようになってきた。「時間=金」という単純な等式を、バイトに当てはめてみるだけだ。ほとんどのバイトと言うのは、能力給ではないので、単純に長い時間働けば、それに見合っただけ給料を多くもらえるようになっている。これは別にバイトに限った話ではなく、少し違うかもしれないが、仕事でも同じことが言えると思う。残業すれば、それだけ残業代がもらえると言う点において。

だから、お金が欲しければ、それだけ働けば良い。時間を換金しているだけの話である。自由に使えるお金が増えた分だけ、自由に使える時間がなくなっただけであり、その逆もまた然りである。働く時間を減らして、かつ収入を増やすためには、バイトを変えるか、広義での賭け事(宝くじから資産運用まで)を行うかという選択を迫られることになるだろう。

しかし、そんな時代が変わりつつある。正直言ってほとんど理解していないが、ホワイトカラー・エグゼンプション(?)という制度が導入される可能性があるというニュースは、誰でも少なくとも聞いたことくらいはあるだろう。単純に言ってしまえば、「残業代が出ない」ということに集約されると思う。要するに、ホワイトカラー、事務系労働者はどれほど長い時間(あるいは短い時間)働いたとしても、給料は変わらない。「給料はあくまで能力給、成果主義」ということではないかと思っている。

まぁ、それが正しいかどうかは大切なことではないので、ここでは仮に上の定義が正しいということにしておく。つまるところ「能力給とか成果主義ってどうなの?」と言う話になってくるのだが、それもまた別の話。大切なのは才能・実力があれば時間をかけずして高給取りになれるという事実である。しかし、完全にすべての職業が成果主義化するわけではないという点において、そしてホワイトカラーがどうとかいう以前に成果主義自体がまだ浸透しきっていないという点において、微妙な問題といえば微妙だと思う。










「年収1000万以上!」

これは、自分を良く見せる外的要因としてかなり使える言葉だと思う。最初に言ったとおり、お金は大切だからだ。その人の人間性に多少目を瞑ってでも手に入れたい内容であるといっても過言ではないと思う。歴史的にも経済力のない支配集団が長続きするということがないように、人間が生きていくのには一定以上の経済力は必要不可欠だ。










「年収1000万以上!」

この言葉が、成果主義に基づいているならば、それは稼ぎ手本人にとって良いことだろう。才能や実力、努力によって他者よりも少ない労力で多い収入を得ることが出来るのだから、悪いことなど何もない。ここでいう労力は、時間を想定している。時間をかけずして収入を得る。

しかし、もし成果主義に基づいていなかったとしたら、どうだろうか。最初のバイトの理論と同じことで、長時間労働をこなすことでその収入を確保している場合のことだ。

極端な話、長期休暇で海外に行って豪遊することが出来るが、普段の生活は全く仕事に侵食されてしまっている。寝る時間も少なく、趣味の時間はほとんどない。会社と家の往復で・・・でも、夏にはヨーロッパの貸別荘、冬は北欧でオーロラ観賞。

その一方で、毎日ある程度の自由時間は確保することが出来るが、長期休暇はせいぜい箱根で温泉に行くのが精一杯。12時には眠れるし、読書を楽しむことが出来る。仕事の付き合い以外で飲みに行くことも出来る・・・でも、外車には乗れないし、家も狭い。

ここで分かれるのは、言うまでもなく、お金、あるいはその使い方に対するスタンスの違いだ。どちらも良いところがあり、悪いところがある。当然のことながら、その折衷案もあるだろう。それに、ここから発展させれば「仕事とは何か」という考えにも結びつくと思う。明日に続く!