少子化って意味が分からない。

日本の出生率は世界最低水準と言っても差し障りなく、半世紀もすれば労働人口は現在の66%ほどまで落ち込むそうです。年々子供の数は減っているし、このままでは日本も危ないですね。政府はもっと子育てを支援す(ry

というのが全く意味が分からない。自分の子供に限定されることが多いですが、子ども可愛いのに。すごく可愛いのに。まぁ塾講師をやって他人の子どもを預かっていると、憎たらしくなる毎日ですがね。そりゃイライラさせられっぱなしと言っても過言ではないです。でも楽しいんです。子どもがどう思ってるかはわからないけど。

血のつながった子どもは、とても可愛いと思います。いや、別につながってなくても、親子のような関係であれば、自然と心を注ぎ込んでしまうと思います。虐待のニュースとかが毎日飛び交っていますが、それがとても不思議です。大抵は連れ子を虐待するケースだと思いますが、時々実の親がやっているから恐ろしいです。高1のときに後藤さんから借りて読んだ「itと呼ばれた子」などは痛くなるほどでした。というかなんで借りたんだっけ・・・?








昨日、塾長の子どもが産まれました。だから冬期講習中にもかかわらず、代講を立てて昨日は休んでいました。それにしても無事生まれてきて良かった。。。医療技術が進歩しているとはいえ、やっぱり出産は大変なことなのだと思います。

今日の塾長はとても嬉しそうに見えました。もともと感情が表に見えやすい方ですが、今日は一層でした。やっぱり自分の子どもが誕生するというのは、人生で一、二を争う嬉しい出来事です。「名前どうしようかなぁ」なんて顔をほころばせながら悩んでいました。良い風景だと思います。

その後、講師たちで「塾長の子どもの名前を公募しよう!」と勝手に言い張って、名前を考えましたが、名づけというのはやはり難しく、面白いのならばいくらでも出てくるのですが、まともなのは全然出てきませんでした。恐らく一生変えることのない固有名詞が付けられるのです、慎重に過ぎることはありません。

塾で仕事をしていると、たくさんの子どもに出会います。しかも密接に関係するから、ほかのバイトとはその点が違います。

だからなんだ、というと、考えた名前と同じ名前の生徒を担当していることが往々にしてあるのです。そうすると、ちょっと名づけにくいのです。先に生徒のイメージが自分の中に植えついてしまっているから、ためらわれます。考えてみてください。自分に子どもができたときに、「哲朗」と名づけますか?あんな変態になったらどうしよう・・・というか、なりそうだからやめよう。

まぁこんな感じです。なるほどなぁ・・・という感じでした。








やっぱり幸せな光景だと思います。自分の子どもの名づけて悩むことが出来るという事は。自分が生むわけではないですが、自分の血を分けた子どもに名前を付けて、苦労しながらも育てていく。もちろん、そんなに楽しいことばかりではないと思います。だから事件が起こるのですから。

でも、それでも子どもは可愛いと思います。最初は泣くばかりで、昼夜なんてあったものじゃないでしょう。それがハイハイするようになり、座るようになり、ついには立って歩くようになります。そしてたどたどしい言葉を発し、自分のことを呼んでくれます。

そんなときにこそ、そんな幸せこそが、生きている意味を感じさせてくれるのではないでしょうか。何だかそんな気がしてなりません。

思い通りに行かないことばかりだと思います。小学生になれば親が疎まれる時期も来るでしょう。家族を嫌う時期もあるでしょう。でも、法律なんて関係なしに、親子という関係は切れないのです。







子どもがいると、自分の時間が取れなくなる。子どもがいると、お金がかかってどうしようもない。子どもがいると、騒がしくて仕方ない。子どもがいると・・・子どもがいると・・・子どもがいると・・・

だから何なのだろう。そんな下らない悩みなど忘れるくらいに、子どもが幸せを感じさせてくれるはずです。だからこそ、まさに今ここに自分が生きているのですから。最大限の心を注ぎ込んだ場合に限っての話ですが。人間は、誰かのためだけに生きていくことは出来ません。でも、自分のためだけに生きていくことも出来ません。子どもは、自分の存在意義でもあると思います。







こんなことは子育てを経験していない理想主義者の戯言かも知れません。自分の親に聞いただけでも、「そんなのはあんたの妄想よ」と言われるかもしれません。でも、やっぱり良いものだと思います。清水の「まぁ先に彼女作れよ」というツッコミは置いておくこととして、勉強へ戻りましょう。







やる気しねぇ。。。