復古主義

久々に大金が手に入ったので、思うままに本を買おうと思い、新宿の紀伊国屋に行ってきた。やっぱり本は新品に限る!高いけど、中古だと読む気にならないので逆にコストパフォーマンスが悪くなってしまう。というわけで、4冊くらい買ったうちの、昨日↓を読み終わった。

経営心得帖

経営心得帖

松下電器を創設した松下幸之助氏の直々の言葉だ。企業を紹介した本ならばたくさんあるけれど、やっぱり本人がどう考えていたのかを知ることのほうが先決だし大切だと思う。現在の日本の繁栄を築いた時代の偉人達が一体どのように経営というものを考え、実行したのか。そしてその根幹には何があったのか。不信の現代だからこそ、彼らに学ぶことは大いにあると思う。

現代の社長姿の代表格と言えば、もう落ちるところまで落ちてしまったが、ホリエモンライブドアにあると思う。彼らは虚偽報告によって自業自得の裁きを受けたが、それが発覚する前の姿のほうだ。あるいはこれまた逮捕されたが、村上社長もそうだろう。

ライブドア村上ファンドが目指したものはどこにあったのか。一概に言うことは出来ないかもしれないが、結局は自らの利益に固執しすぎていたと思う。もちろん、それ自体は悪ではないし、企業として当たり前の姿と言えば当たり前の姿なのだ。ただ、あまりに「自分が〜」「自分の〜」という部分を前面に出しすぎている。ライブドア時価総額世界一を目指すために、えげつないともいえる買収劇を繰り広げたし、村上ファンドもそれに加担した。特にテレビ局のM&Aにおいては、明らかに社員の反対色があるにも関わらず、完全にそれを無視していた。弱肉強食の世界、それも法学的には悪ではないだろう。

しかし、テレビ局などの報道機関というものは、普通の企業に比べて公共性が遥かに高い。自分はあまり報道というもの自体を信用していないが、テレビで報道されていることは真実だと考えている人もまだまだ多いと思う。そのような立場にあるテレビ局を、一企業が、「ネットとテレビの結合」という名目上の大義を掲げていたとは言え、自分の利益向上のために買収しようとするのは、正直言って好ましいものではないだろう。

まずは自分の企業の利益を考える。それはいつの時代でも当然だ。そして上に見られるように現代の特徴としては、「自分の利益しか考えない」と言ってもいいほどのものがある。この飽食の時代、そして個人主義の時代には、そのような傾向が出てくるのは、ある意味で自然なことなのかもしれない。

しかし、松下幸之助氏の時代は、そうではなかった。高度経済成長を支えた一流企業には、戦後間もない時期の、壊滅的な日本経済を経験しているものが多い。そして彼らは、日本の復興のために、そして人々の生活を向上させるために、という使命感を持って努力した。

「社会のために」という労働目的が、自分のための労働と同等に近い位置にある。そのような意識がひしひしと感じられてくるのだ。税金というものは、いつの時代でも企業と人々を悩ませているものであるが、松下氏はその税金ですら、日本の発展の礎になるので、出来る限り払わなくてはならない。それは企業の積極的義務であると述べている。

社会貢献の意識、それが現在超一流企業と呼ばれる企業にはかつて強烈に存在していた。ただ、残念なことに現在では三菱自動車リコール隠しなどのように、その意識が薄れてきてしまっているものも少なくはない。

自分の利益に固執しすぎるものに、人々は卑しさを感じる。守銭奴と言う言葉が遥か昔から存在するように。長い目で見れば、短期的な利益が必ずしも長期的な繁栄に繋がるとは限らない。社会の繁栄こそが、市場の開拓や拡大につながり、最終的に自分の下へと返ってくるものだ。そうすれば、社会が繁栄することで人々は幸せな生活を享受することが出来、そして企業はそこから利益を得て繁栄することができる。

何度でも言うが、自分の利益を求めること自体は自然な姿である。しかしそれも一旦過剰に陥ってしまえば、人心は離れていき、結局は損害に繋がる。発行から既に30年が経過した本ではあるが、今でもその輝きは全く失われていない。最新のものには最新の良さがあるが、古くても現在まで生き残っているものには、まだまだ学ぶことが多いものだ。個人主義的な現代だからこそ、自分達は社会全体のためのことも考えるようにしなくてはならないのではないだろうか。