父は監督か。

この前のボクシング世界戦はどうやらひどい試合だったらしい。自分はテレビがなかったので見ることが出来なかったが、身近な反応を見ても、マスコミの反応を見てもそれはよくわかる。結局疑惑の判定だったわけだ。

でも、それはどのスポーツにおいてもあることだ。もうだいぶ忘れ去られていると思うが、2002年サッカーワールドカップにおける韓国のベスト4のときもそうだった。イタリアもスペインも明らかに勝っているにも関わらず、また明らかなファウルがあったにも関わらず、地元判定で負けていった。今回のドイツワールドカップでもドイツ対アルゼンチン戦で怪しい判定があった。ホームアドバンテージというものは、意識的に、そして無意識的に判定に大きな影響を与える。

だから、今回の件に関しても、やむを得ない点があるのも認めざるを得ないと思う。そして何よりも、世界王者になってしまったという事実は、もう変えることは出来ないのだ。そこをいくら議論しても意味がないといえば意味がない。

それよりも気になるのが、彼の父親の行動だ。選手本人が直接対戦相手を挑発したりすることは、自分はモラルに反するので嫌いだが、それも戦術の一つでもある。マスコミを通じた間接的な挑発は、味方へのパフォーマンスの意味もあるので、それを利用することもあるだろう。

ただ、試合が始まってしまえば、半分部外者となる人間が相手を挑発したりするのは良いのか悪いのか。昨日の朝番組でその件についてもめていたようだが、それを考えてみようと思う。

自分は、ボクシングに関しては『あしたのジョー」を読んだことがあるくらいのど素人である。だからセコンドが選手にとってどのような存在であるかはわからない。そこで、ここではセコンド、つまり父の立場をサッカーで言う監督に置き換えて考えてみることにしようと思う。まぁ全然違うかもしれないけれど。

彼の父と比べるサッカー監督は、プレミアリーグで圧勝街道驀進中のチェルシー監督、ジョゼ・モウリーニョだ。モウリーニョ監督は、挑発的コメントを繰り返し、それでいて結果を残す監督として良くも悪くも有名である。ちなみにかなり格好良い(と思う)。

この人↓↓↓

モウリーニョ語録という本が出たらどれほど面白いだろうと思うくらいに、面白いコメントが多い。彼の本は今のところ2冊出ているが、両方ともすぐに買った。例えば、こんなコメントが・・・

同じプレミアリーグの強豪(?)アーセナルの名監督ヴェンゲルに対して、

「ヴェンゲルは覗き魔だ。チェルシーの影をコソコソかぎまわっている」

と言って、裁判沙汰になりかけたり、また04-05シーズンのCL準決勝のリヴァプール戦セカンドレグ直前インタビューで、

リヴァプールファンの99%はチェルシーに勝てると思っているでしょうが、まぁ・・・無理でしょうね」

と言ったり、同じく04-05シーズンのCL決勝T初戦のバルサ戦直前インタビューで、記者に「バルサの攻撃陣はジョン・テリー(CB)にとって大きな試練になると思われますが、どう思いますか?」と聞かれ、

試練になるのは、ロナウジーニョのほうだろう?」

とコメントしたり・・・と相手からすれば非常に挑発的なコメントが多いのである。しかし、そこには感情に任せたようなおかしなコメントは少ない。最初のヴェンゲルに対するコメントは、確かに法的措置を講じられても仕方ないだろうし、ある程度何らかのイライラが噴出したものではあるだろう。それ以外のコメントは、同じ挑発的要素を含みながらも、意味のあるものになっている。

特に最後の「試練になるのはロナウジーニョの方だろう?」というコメントをジョン・テリーがマスコミを通じて聞いたら、どう思うだろうか。ロナウジーニョは世界トップクラスの攻撃的プレーヤーである。そのロナウジーニョですらテリーに苦戦するだろうとするモウリーニョ監督のテリーへの信頼は、言葉では表せないだろうし、それを目に見える形で受け取ったテリーの喜びと自信は途轍もなく大きなものだろう。

モウリーニョは、マスコミの前で、「選手のためを思って」あえて挑発的なコメントを残すのである。全ては選手のためであり、他の何ものでもない。監督とはチームの顔であるために、世間はその一言一言に注目するが、当然のことながら選手も注目する。監督が試合前に「勝てるようにがんばりたいと思います」というのと、「我々は当然勝つだけのトレーニングをしてきました」というのでは、選手のモチベーションが全然違う。日本人は、謙虚さを好むが、それは世間向けのことであって、選手にとっては攻撃的で自信を持った監督の方が良い。だから、マスコミの前であえて悪役を演じるのは目的があることならば、どれだけ反感を買おうとも(当然限度はあるが)、悪いことではない。

では、彼の父はどうなのだろうか。昨日の朝番組で、漫画家に挑発されてイライラしていたが、その論争の元は、選手の態度と父の態度及び教育姿勢であった。正直に言って、自分は彼のリング外での言動や格好が好きではない。それがスタイルであってマスコミの過剰演出であっても、嫌な気分になる。でも選手だから仕方ないと言えば仕方ない・・・のか?

でも、相手選手を執拗に挑発するような発言を繰り返す父はどうかと思う。確かに、父も息子を闘いやすいように、そして守る意味での発言であったかもしれないが、計量の時の行動などを見ると、モウリーニョのように諸手を挙げて歓迎と言う感じはしない。選手が挑発的であれば、それを抑えるのが監督の役目であり、それなのに相手選手に「直接」挑発的行為を行うのはどうなのだろう。

自分達視聴者は、マスコミを通じてしか彼らの言動を知ることは出来ない。ただ、自分が言うマスコミを通じた挑発的行為というのは、あくまでインタビュー会場での話であって、間違っても計量会場で直接的に挑発した結果をマスコミを通じて知るのとは違うのである。前者は選手のための行動であって、ある程度正当化される部分があるが、後者は受け入れがたい。感情に任せる部分が多すぎるからだ。

また、彼の父とモウリーニョとの監督者としての大きな違いは、親子か否かである。モウリーニョはプロをプロとして育てているのに対し、彼はまだ若干19歳である上に、監督が親なのだから人間的な教育を意識的に行わなくてはならない。モウリーニョも人間的な部分の練習も重視しているようだが、それ以上にやる必要がある。再び書くが、彼の態度は仮にマスコミの演出であるにしても好ましいものではない。もちろん、人それぞれの好みはあるだろうが、若い人間がインタビューと言う公共の場で、あの格好をし、あの喋り方をするのを好ましく思わないほうが多いだろう。

それがスタイルであるにしろ、父として監督としてそこは修正していくべきところだろう。選手はどのスポーツであれ、戦場で強くあるべきであって、場外で実力を誇示するべきではない。非常に品がない行動になってしまう。しかし、やはり年齢を考慮すると選手がそうあってしまうのは仕方ないのである。だからこそ、その監督者として、親としての役割が父には求められるのに、それに乗じてしまうのではどうしようもない。さらに「嫌なら見なければ良いんだ」などと子どもじみたことを言っているのであっては話にならないと言っても良い。

ただ、朝番組においては、やくみつるがあまりに品がなかったと言って良いだろう。あれでは父が怒るのも仕方ない。それに対してガッツ石松が終止冷静であったことは評価できる。

彼らがボクシング会場で何をやろうとも構わない。ただ公共の場で、主にインタビューの場で演出を行うのは、あるいはモラルに反するようなことをやるのは、選手の評価を落とすことに他ならない。彼らは公共の場においての行動をもっと振り返る必要があるだろう。