続・学校歴史の意義

さて、感情が冷めないうちに続きを書いておかなければならない。確か、私立大学の日本史試験に意味を感じられないところまで書いた。今日はその続きを書けるところまで。

高校における勉強は、特に進学校に明らかに見られる傾向であるが、大学受験用へと特化している場合が多い。もちろん、学習指導要領に沿って大学入試も作られるのだから、お互いが歩み寄っていると言えるのであるが。ただ、何のために将来役に立たないと思われる学問(自分は今はそう思わないが、受験時代に「なんでこの教科をやる必要があるんだろう」と思ったことのある人もたくさんいると思う)をやらなければならないかと言えば、大学に入って立身出世を狙っていくためであろう。立身出世というと聞こえが悪いが、良く言えば将来への確実性を高めていくということである。

「立身出世」「将来への確実性を高める」とは、言ってみれば学歴の付与とも言える。学歴社会は崩壊したかのように言われるが、その半面で受験戦争が激化しているというのは、大学ブランドへの需要の高まり、つまり学歴への需要の高まりといえるだろう。