ちょっと甘えすぎかも

最近よく思う。自分は忙しさにかまけて甘えてるんじゃないかと。忙しいのは誰もが一緒だ。教職取ってる人たちは、人よりも単位を取らなくてはならないのも当たり前だ。

それなのに、自分は無意識のうちに(まぁ教職あるから仕方ないよ)と思っている気がする。意識すれば「それじゃダメだ」と思えるのだけれど、ちょっとでも時間が経つとまた忙しさを理由にサボっている。

糸井重里さんが「多忙は怠惰の隠れ蓑」みたいな事を言っていたけれど、まさにその通りだと思う。前にもそう考えたはずだ。そのときもわかっていたはずなのに、それが全然改善できていない。それでは考える意味がない。

人間は、意識できる部分と、無意識で生きている部分に分かれて生きていると思う。言うなれば、誰もが二重人格の様態を呈しているのではないかということだ。二重人格というと大げさに聞こえるが、要はその二人の人格が互いに異なることが少なく、問題が表面化しないだけだと考えれば良い。更に言うと、無意識の活動を意識が肯定的に捉えているから、単に問題が起きないだけではないだろうか。

「何を言っているんだこいつは」と思った人もいるだろう。だけれども、最近自分がよく読んでいるNLPという心理学(?)の考えでは、無意識の部分(パートと言う)の存在が認識され、無意識を別人格として扱うという方法まである。もちろん、その考えが正しいのかどうかは自分にはわからないことだが。

無意識というのは、言い換えれば本能のような存在だと思う。「休みたい」「食べたい」「寝たい」「遊びたい」「話したい」などなど、基本的な欲求を出してくるのが、無意識、つまり本能であり、それを意識の部分が考えてから結論を下す。それとは逆の場合もある。意識が「授業に出ないといけない」「バイトに行かないといけない」「勉強しないといけない」などの提案を行い、無意識との協議を経て意思を決定する。

あぁ、眠い。無意識が勝ったようだ。。。続きは明日。意思が勝ったら書こう。