WHITEBAND陽明学を!

王陽明にはじまる陽明学、これのモットーは「知行合一」だ。つまり知っていても(考えていても)、それを行動に移さなければ意味がないということだ。もっともな意見だと思う。頭の中で考えるだけで良いのなら、今頃自分は天才だし、世界中から戦争も飢餓も無くなっているだろう。だが現実はそう上手くはいかない。「勉強するぞ!」と思うだけでは賢くならないし、「戦争なんてなければ良いのに」と思っているだけでは戦争はなくならない。考えるまでもないことだ。さて、では最近流行のホワイトバンドはどうだろうか。多くの人が勘違いしていたようだが(もちろん自分もだ)、ホワイトバンドは「世界中から貧困を撲滅しよう」という意思の表明に過ぎず、ホワイトバンドによって得られた収益は実際に貧困撲滅に投資されるわけではない。極端に言ってしまえば、ホワイトバンドを買ったところで、世界の貧困問題は全く前進しないのである。仮に意思を持つことで何かが変わるとしても、その前進の速度は究めて緩慢であり、貧困の進む速度の方が余程速い。ホワイトバンドの製造者は、ホワイトバンドによって得られた利益が貧困撲滅に使用されないことを知って怒っている多くの人々に対して、CMにおいて「大切なのはお金ではなく、気持ちです」と訴えている。確かに気持ちは大事だろう。世界の人々が貧困を撲滅するという気持ちでまとまれば、解決も不可能ではないかもしれない。けれど、実際にそんなことは不可能である。人間は誰しも自分の生活が大事であり、それを投げ打ってまで他の困っている人々を救おうと心の底から思う人はほとんどいない。地球にある財産を全て平等に分配すれば、貧困は無くなるかも知れないが、その富を喜んで離す人がどれだけいるかということだ。そんな状況なのに、「私は貧困には反対です」と意思を表明することにどれだけの意味があるのだろう。自分にはそれが不思議に思えて仕方ない。もちろん、基本的に誰もが貧困には反対だろう。それはわざわざホワイトバンドという形を取らずともわかることだ。だったら、ホワイトバンドにかける300円を、NHKの歳末海外助け合いにでも募金したらどうか。あるいはドラえもん募金に協力したらどうだろうか。問題は貧困が深刻な現地で何が求められているかということだ。現地の人々が求めるのは、気持ち以上に実際の物資だ。気持ちを受け取ったところで空腹感はなくならないし、病気は治らない。気持ちはホワイトバンドほど篭ってなくとも、ホワイトバンドに払うお金で脱水症状を防ぐ薬を買ったとしたら、どれだけの子ども達が助かることだろうか。貧困に反対する気持ちを表明することも大いに結構なことだ。だが、表明したら、それを実行しなくては意味がない。買って終わりではないのである。ホワイトバンドを購入する際には、貧困に反対する人間として行動する責任が伴うことを忘れてはならない。