何のために働き、何をして生きるのか?

この前、富士通インターンのESを出した。富士通のサマーインターンは就業体験というよりは自己分析や働く意義を考えさせるタイプで、ESの締め切りも結構遅い。なので、だらだらと日々を過ごしていたら結局ギリギリになってしまって焦ったわけだが、正直このインターンには結構行ってみたいと思う。他の就業体験型のインターンは行かなくて済むならば行きたくない。

その富士通のESでは自己紹介、志望理由、働く意義がそれぞれ200、400、400でまとめるように指示があり、字数の少なさに悩みながら頑張って書いた。一番書きやすかったのは働く意義で、一番難しかったのは自己紹介だ。自己紹介は何を書いたら良いのかわからなかった。学歴や保有免許などの資格のことなのか、学問のことなのか、はたまた趣味や性格を書くのか。わからなかったので、適当に資格と研究テーマを書いた。

自分は、働く意義とは、社会の中に存在する自分を確認することにあると思う。もちろん、生活のための手段として仕事をしないわけにはいかないし、もっと積極的に捉えれば自己実現の手段でもある。そういった要素も欠かすことは出来ないのだが、自分にとって最も根本にあるのが、社会的な自分の存在確認だと思う。

出来ることならば働きたくない。多くの人が一度や二度でなく思ったことだと思う。私も例に漏れず、あと1〜2年で社会に放り出されることを考えると、なるべくそれを先延ばしにしてしまいたいと思ってしまう。しかし、一方で、早く働かなければと焦る気持ちもある。

去年の夏、院試の勉強をするために、バイトを大幅に削り、実家に戻って大学受験並みに勉強していた。久々の一日10時間勉強だ。それ自体は苦痛ではなかった。英語の勉強はあまりしなかったし、日本史はどんどん新しい知識が入ってきて、毎日自分の頭の地図が書き換えられていった。むしろ、自己の成長を確認出来て、少なくとも専門をやっているときは楽しくて仕方なかった。

ただ、他方で社会に一人取り残され、置いてきぼりにされる恐ろしさは常につきまとった。実家に帰ったので、当然家には弟や妹がいる。彼らは朝から昼にかけて学校や遊びに出かけていき、夕方から夜にかけて帰宅する。それを横目で見ながら自分は机に向かった。誰とも会うことなく。

当然、勉強は他の誰のためでもなく、自分自身のためにするものだということはわかっていたし、将来のために必要なことであることも理解していた。それでも、一人で自分のためだけに生きているというのは、どこか人を不安にさせるものだ。つまり、自分の存在が自己完結してしまっていて、そこに精神的な意味で他者の存在を必要としないし、逆に他者から必要とされることもない。これは建前であって、人間は普通はそれでは生きていけない。しかし、だからこそ、自分は誰かを必要としているにも関わらず、それと接触する機会すら存在しないという状況になる。

社会で必要とされるということに関しては、なおさらそうだ。たかがバイトではあるけれど、そこでは確実に自分には役割が与えられていた。他の誰でも取って代わることの出来るポジションであったとしても、少なくとも働いている間は必要とされている。バイトがないことで、社会の中に自分の座る椅子がないように感じた。誰にも必要とされず、社会にも居場所がないような感覚に襲われた。

どのような仕事であれ、社会に貢献するようなことをしているならば、積極的ではないかもしれないが自分の居場所あるいはその所有権を自らに対して主張することが出来るはずだ。税金を払っている人間が誰にも気後れすることなくその国でしっかりと主張していくことが出来るように、働くことで社会で生きていく権利を獲得することが出来るのではないか。そう思った。

だから、自分は働かなければならない。自己実現などを求めるには、その土壌として安定した居場所がなければならない。それは意識の上での話だ。自分はやることをやっている、だから自分のやりたいことをやっても良いはずだ、となる。給食のメニューを改善して欲しいと主張したいのならば、まずは給食費を払わなければならない。その給食費こそが仕事の一面だと思う。

就職したことのない自分には、それくらいしかわからない。就職したら、きっと毎日のように「辞めたい!」と思うだろう。そして実際に3年と経たずに退職したとして、しばらくは解放感に満たされるだろうが、その後に襲ってくる社会の中で生きる自分の存在の無さに苦しめられるだろう。何かを為すには人生は短すぎると誰かが言った。そして同じ人が何も為さないには人生は長すぎるとも言った。何もせずに生きていくことは苦痛だ。

それが、自分を就職へと駆り立てる消極的な理由だ。積極的な理由ももちろんあるが、今のこの不安感は理想を追求するにはふさわしくない。もっとしっかりしよう。そして願わくば、取り替えのきく消耗品としてではなく、自分の能力に依拠した居場所というものを見つけるか作り出していきたいと思う。