人間失格堕落論

今日で前期の発表系の授業が全部終わった。だから自分の研究に専念出来る。というか専念しなければならない。しかし、このところ毎週木曜日はブルーだ。それはサブゼミの発表がドクターの人々によって担われるようになったからなのです。大学院に入って浮かれてた頃が懐かしい!何に浮かれてたんだ!勉強しろ!

ドクターの先輩方の発表を聞いていると、知識の広さと鋭い視点に愕然とさせられる。同じ史料を見ているはずなのに、着目点が全然違う。先輩方が何年研究を続けてこられたのかはよくわからない。働いている方が大半だというが、大学などで職を得ている人が多いようだ。働きながら研究するなんて、どれだけ忙しい生活なのだろうか。

正直、レベルの違う方々に囲まれて勉強出来るのは、刺激的だ。学部時代の勉強が、底の浅い大学受験のときの勉強に思うようになった。きっとドクターから見たら、マスターの勉強なんて基礎中の基礎でしかないはずだ。大学の教授になろうかという人なのだから当たり前か。

しかし、仮に自分がドクターまで進むとして、あれほどになれるだろうか。なれない気がする。サブゼミではいつも発言出来ていない。それは決してさぼっているのではなく、レベルが違いすぎて理解出来ていないからだ。活発な議論が行われているのに、自分はそれに参加するどころかついていくことすら出来ない。これで勉強していて追いつけるのか・・・いつも不安になる。

まだ修士1年だから、と言い訳もしたくなる。しかし自分はドクターには進まない。だから修士が最後の課程だ。このうちに高い学力を身につけておきたい。いや、身につけなければならない。もう二度とまとまった時間を確保して勉強する機会など来ないのだから。

もし仮に、大学院入学からの進歩を感じられずに卒業してしまったら、きっと劣等感に苛まれながら生きていくことになる。教授はまだ良い。教授になるまでに激烈な椅子取りゲームがあるのだろうから、教授が優秀なのは当然だとして諦めもつく。ただ、ドクターまでなら(というと大変失礼にあたるが)、自分がそれを望み、一生懸命学問に励めば、進める範囲の気がする。そして、修士を出たあとにすぐ博士というなら、修士を出る時点で博士に入れる学力、つまりサブゼミで発言出来る実力がついていなければならない。

それが出来るか不安だ。本当に不安だ。いつまでも歴史の表面をなぞるばかりで、本質に切り込んでいけていない気がする。本当ならば、もっと専門的な研究を進めるべきなのだろうが、その基礎が確立されていないのでそれも出来ない。結局、学部時代の不勉強のつけが今になって回ってきている。

やってみなければわからない。それはそうだ。2年後には、サブゼミでどんどん発言出来ているかもしれない。ただ、そんな自分を全く想像出来ないのが悔しい。もっと高いレベルを知りながら、そこに到達すること無く卒業することだけはしたくない。せめてドクターの仲間に、しっぽの先だけでも良いから入りたい。今日もまた、そう思った。