偏差値で計れないもの

この前mixiニュースで就職活動の採用側からの視点が紹介されていた。要するに面接官はどこを見ているかという話だったが、一番気になったのは「2・6・2」の割合の話だった。上から順に、上位2割、普通6割、下位2割に別れ、企業は当然ながら上位2割を欲しがる。そして、上位と下位のそれぞれ2割はエントリーシートなどでの文章の書き方で既にわかってしまうという。

エントリーシートを上手く書けるかどうかは別に大したことではない。もちろん就職活動するのであれば大事なのだが、今日の話には関係がない。問題は自分が現在どの位置に居るのかということだ。それが気になる。大学に居る間は、就職活動でもしなければ、自分が今社会的にどの位置にいるのかということが分からない。大学の成績などは出席と少しの勉強で間に合うので(その考え方は間違っていると思うが)、成績は正直宛にならない。成績よりも学歴の方が重視されることもそれを証明しているだろう。

高校までは、学校の成績や学力が自分の位置を測るバロメーターだった。あるいは部活での活躍ぶりか。唯一の公的な物差しが学力であったので、極端な話勉強さえしていれば社会的に問題はなかった。多くの進学校の高校生が大学への入学を志望している以上、学力は必要不可欠であるということもそれを補強している。幸いにして、自分は勉強がある程度好きだったので、特に問題もなく過ごすことが出来たと思う。

社会に出てしまえばあるいはまた単純な世界に戻るかもしれない。要は個人的な業績が良ければ優秀で、そうでなければ優秀でないということになる。仮に社会がそれほどに単純なものであると仮定するならば、一番自分の位置について悩むのは今かもしれない。また、自分の話でいえば、教職における「優秀」とは果たしてどのようなことなのかということを一言で表す、あるいは数字で表すことが出来ないので、そのときも悩むことになると思う。

自分としては、決して謙遜などではなく、自分が現在上位2割に入っているとは思えない。学歴などのわかりやすい点だけで見れば、「優秀」に分類されるかもしれないが(実際、個人を考えるときに学歴ほどあてにならないものはない)、個人の実力・能力は高くない。それはインターンの失敗というたった3日間の出来事からでも分かる。

かといって、下位2割に入るほどに出来ないわけでもないと思う。そもそも自分なりに向上心を持って何かに取り組んでいる人は下位に入るとは思えない。下位2割は能力的な問題もさることながら、向上心の問題があるのではないか。日常生活がルーティンワークになっているからこそ、ダメだと思われるのではないか。そういった意味で、自分はある程度向上心を持っていると思う。自分の将来を見越した努力と言う点では、自分を評価している。親バカならぬ自分バカかもしれないが。

ということは、自分は恐らく普通の6割に分類されているということだ。実際そうだろうと思う。特段に優秀なわけではないが、それほど出来ないわけでもない。そう願いたいというわけで、それを前提に話を進めていく。

中間層6割といっても、真ん中を挟んで6割なのだから、その中にも優秀なのとそうでないのがいることになる。上3割と下3割だ。頑張って上3割に入るしかない。なんか面倒だからここで終わり。日記を書くには論理性なんかよりも勢いの方が大事だな。