大学院で学んだこと。

このところ、虚無感というか、閉塞感に苛まされることが多い。最近は「やらなければならないこと」に追いかけられて、「やりたいこと」が何なのか考える余裕があまり無くなった。もちろん、社会人の同級生がいる手前、「忙しくて〜出来ない」などということは軽々しくいうことは出来ないが、人にはそれぞれのペースというものがあるので、自分の場合は目標を考えることにもっと時間を割きたいのだ。

大学院に進学したことについては、今では「最高の選択だった」と自画自賛したくなるくらいに良い選択をしたと思う。この前の木曜日に半期に一度の研究発表があったのだが、実に刺激的な場面であった。修士論文を書くにあたって、研究をそれぞれ進めていくのであるが、今回の発表は入学から1ヶ月程度のしか時間的余裕が無かったので、とりあえず史料収集などは後回しにして、先行研究の調査と研究の方向性を明らかにしたいと考えていた。

それでも、先行研究を調べていくうちに、自分のやりたいことや明らかにしたいことが何なのか、あるいは先行研究を克服するだけの独自性を打ち出すことが出来るのかということで悩んだ。また、2年間という短い時間で、ある程度の成果を挙げなければならないという課題にも頭を抱えた。そして結局、研究発表までに明確な問題意識や方向性を提示することは出来なかった。

「なぜその研究をするのか」という、論文を書くにあたって最も重要なポイントを突き詰めることが出来なかったというのは、目標も無く盲目的に、そして受動的に研究にあたっている気がして、ますます自信を失わせた。これは人生においても全く同じことが言えると思う。

現在の日本において「生きていく」ことは決して難しくはない。余程のことがない限りは、飢え死にすることはあるまい。「派遣切り」などが大々的に報道され、日本の「貧困化」が危惧されているが、それでも死ぬわけではない。そういった最低限のラインは確保されていると思う。それが憲法第25条で保障された「健康で文化的な最低限度の生活」をクリアしているかどうかは別問題だが。

「生きる」ことが保障されている以上、次の問題はその質の向上だ。何のために、何をして、どのように生きるのか。それを考えていかなければなるまい。そして、その中で最も重要なのは「何のために」ということだと思う。

4月からの研究発表は、修士課程の院生が連続して行った。1週間で1人の発表で、1時間の発表とそれに関する1時間の討論の時間が持ち時間だ。来月の最初まで修士課程の発表があり、そのあとに博士課程の先輩方の発表がある。春休み中の合宿で、博士課程の方の発表を一度だけ聞いたが、やはり学士や修士とはレベルが違った。これからレベルの高い発表を聞くことが出来るというのはとても楽しみだ。

話が少しずれた。修士の発表が続いたわけであるが、その中で自分を含めて指摘されることが多かったのが、やはり「何のためにその研究をするのか」という点であった。博士の方々の発表を聞いていないので、博士レベルの問題意識というのがどのようなものかということはまだよくわからないが、修士ではその点でかなり悩むようである。博士諸士からの鋭い質問が飛ぶ。

難しいのは、単なる個人的な興味関心ではなく、学問の中でその研究の意義をどう位置付けるかということだ。例えば、自分の場合は「明治維新当初の山口藩教育」をテーマとしているのであるが、何のためにそのテーマを選んだのか、それを明らかにすることで何の意味があるのかを考えなければならない。

自分がこのテーマを選んだのは、卒論のときであるが、このときは三段階を踏んでテーマ選択へと至った。

①ジャンル(教育史)…将来教員を目指しており、教育に関心があるから。
 ↓
②時期区分(維新期)…激動の時代であり、試行錯誤が繰り返されていたから。
 ↓
③研究対象(山口藩)…明治維新をリードする藩であったから。

という今考えればひどく曖昧なテーマ選択の仕方であった。全て個人的興味から導き出された結果である。もちろんそれは悪いことではない。興味を持てないことを研究することなどほとんど不可能だ。だから些細な興味関心からスタートすることは、別に悪いことではない。

しかし、肝心な「このテーマを研究し、明らかにすることでどのような意味があるのか」という点に関しては、何らの考察が為されていない。正直に言って、この問題に気付いてなかったわけではない。薄々感じながらも、どうしたら良いのかわからず、問題に正面から向き合ってこなかったのだ。これからはそうはいかない。

博士からの質問は当然ながらこの点に集中し、明瞭に答えることが出来ずひどく困った。何となく考えていたことをポツリポツリと答えていったのだが、その中に自分でも気付いてなかった内容が含まれていたことに驚いた。山口藩を選んだ理由についてはこれからだが、明治維新期の教育史を扱う理由として、「日本人の教育意識を明らかにすることができる」ということを答えた。

このことは、自分ひとりで考えているときには、言葉としてまとまっていなかった。コミュニケーションの中ではっきりとした(といってもまだ漠然としているが)形になってきたのである。自分の中にその種はまかれていたのだが、議論の中でそれが目を出したのであろう。少し道が開けた気がした。

ここで冒頭の話に戻るが、結局、今閉塞感に苛まれているというのは、この「研究の先に何があるのか」という問いに対して、明確な答えを持っていないからだろう。人生を論文として捉え、その問題意識がはっきりとしていないからだ。研究したいと思うことはある、だがその先が見えない。ゴールが見えないマラソンを続けられるほど強くない。

人生が論文だとすれば、テーマは職業に相当するだろう。少なくとも日本人は、社会で働く時間が一番長い。その時間を有意義に過ごすことが出来なければ、時間だけで見れば人生の半分くらいを無駄に過ごすことになる。職業を単に生活の手段とみなし、余暇に全てを注ぎ込むのも良いが、どうせなら仕事も楽しみたい。楽しみたいというのはちょっと違う気もする。目的意識・問題意識をもって臨みたいということか。

大学院を出て、一般企業で働いた後で教員になりたいという気持ちは今でも変わらない。これが就活で前面に出せるとは思えないが、ここで考えるべきなのは、教員の先に何があるのかということだ。なぜなりたいのか、なった先に何があるのか。

人は誰かに必要とされたいと思う。昔校長講話で、人間を三種類に分け、「必要とされる人」「必要とされない人(居ない方が良い人だったか?)」「そのどちらでもない人」があるといっていた。その中で誰もが「必要とされる人」となりたいという。この実感が伴うかどうかということは、人生の意味を大きく左右する。

積極的に「あなたが必要なんです!」といわれる必要は無い。その人が気付いていないところでもその人に影響を与えることが出来るかどうかということだと思う。「影響を与える」というのは清水が就活のときに、自らの希望・理想として話していたことであるが、自分は「必要とされる」ということなのだと思う。

中高の教員は、生徒に与える影響が決して小さくはない。小さい頃に遊んでいた場所や住んでいたところに行ってみると、印象の中ではとても大きかったものが、案外小さいことに気がつくことが多いと思う。今小学校に行ってみれば、下駄箱の低さに驚くだろう。しかし、学校にいるときは自分の背丈よりも高く、はるかに大きいものだった。先生の身長もそうだ。

社会に出てみて、あるいは上級学校に進学してみて、改めて卒業した場所を眺めると、その小ささに驚くだろう。それは具体的な物だけではなく、思考的なものであったり、知識かもしれない。古賀が就職が決まった後に高校を訪れ、当時学年主任だった先生に会ったとき、「視野の狭さに驚いた」といっていたが、それは自分が大きくなった(身長的な意味ではなく)ということなのだろう。しかし、当時の受けた影響は決して小さいものではなかったはずだ。

古賀の話で重要なのは、「視野の狭さ」を指摘していることだ。これは良くない。影響力が大きいならば、それに応じて視野が狭くならないように教員が努力することは義務である。その点で不足をきたしていたというのは見逃せない問題である。が、ここでは一旦置いておこう。

学校の教員が生徒に与える影響が大きいのは、生徒の過ごす時間の半分が学校でのものだからだろう。部活も入れれば70%近くが学校で過ごす時間になるかもしれない。この中には、学校が閉鎖的な性質を持っているという悪い面も存在するが、学校で学ぶことというものが大切なのは改めて言うまでもない。

大学は進路の全てではない。高校教員の進路指導の範囲は、大学から社会に出るときに比べれば小さいものかもしれない。しかし、何かの目的意識をもって大学には進んでもらいたい。それは勉強でなくても良い。ただ4年間をモラトリアムとだけ考えて過ごすのは勿体無い。結果論的になるが、自分はそれを強く反省している。反省することは時として、順調に道を進んでくることよりも良い結果を導くことになるが、無駄に時間を過ごすとしても「意味のある過ごし方もある」と知りながら過ごすのと、何も知らずに無駄に過ごすのでは意味が違う。

「世の中には色々な生き方がある」ということを生徒に示したい。それを具体的に提示できるのかといわれると自信はないが、常にアンテナを張って欲しいということは伝えられる。そして、色々な生き方を肯定する人間に育って欲しいと思っている。誰かの決めた一つの価値基準だけを妄信するような人間にはなって欲しくない。

簡単に言えば、自分が生徒に「影響を与える」、いや、「教えたい」と思うことはこの一言に尽きる。その上で後悔のない人生を送ってもらいたい。だから、「テーマ」は教員なのだ。

論文のテーマと問題意識ははっきりした。あとはその研究をどのようにして詰めていくのか、という手段の問題だ。生徒に色々な生き方があることを教えたいのならば、自分自身が広い視野を持たなければならない。理論だけではなく、実際の経験として積んでおきたい。例えば、地理で農業を教えるならば、農家の経験があった方が良いのは間違いない。

4年次の時に受けた教職の授業で、「日本の農業をどうするか」というテーマでディベートをした。そこで出てきた意見は全て、全国単位の政策的なもので、農家の気持ちや農業の楽しさといった個別的な視点が全ての班で欠けていた。理論や論理ばかりが先行し、そこで働く人々の気持ちを考えられないのは、学生の多くが農業経験がないからだろう。先生はその点を指摘した。

大学院の2年間は、そういった様々な経験を積む時間にしたい。研究だけでなく、出来るだけ「世界」を見て回りたい。そして、社会に出て、「社会」を知り、一定の経験を積んだ上で教員になる。これが自分の問題意識に合ったあり方、手段なのだと思う。

問題意識が曖昧なままでは良い論文にはならない。ましてや他人を読ませる気にさせられない。読んでもらえない論文に自己満足以上の価値はない。先日の研究発表で指摘されたことだ。「読んでもらう」、「他人を納得させる」という考えが、少なくとも研究生・修士としての自分には無かった視点だ。言われてみれば、その視点が欠けていたことがおかしいのだが、こういったモノの見方というのも、学ぶことが出来て本当に良かったと思っている。

死ぬまでの時間は長いようで短く、短いようで長い。良い論文になるように、最大限努力していこう。




久しぶりに長く書いたらとても疲れた。でも今日は考えがまとまって良かったと思う。