文学系の大学院の真相

今日は科目登録書類の配布日だった。4月以降の予定を立てるために、ずっと手に入れたいと思っていた。それが手に入ったので、入学式も出席せずに飯田橋のスタバに向かい、予定を立てた。しかし、科目登録書類の中に、なぜか単位数の説明がほとんどなく、何を履修すれば良いのか非常に迷った。

だったのだが、実際は選択できる余地などなく、必修だけでいっぱいになってしまったので、先輩の言う通りに木曜日が鬼の1日となり、金曜日が半地獄となった。あとは授業はない。文学研究科は32単位で修論を出せば卒業できるのだ。修論を書くために通っているといっても過言ではないので、正直言って教養科目などは必要ないのである。あるのは演習と単位にならない(にもかかわらす一番きつい)サブゼミだけだ。

スタートは良かった。先月末の大学院ゼミ合宿で卒論の発表を行ったのだが、厳しい意見が飛び交う中で「学部生にしてはとても良くできておりすばらしい」とほめてもらえた。正直うれしい。「学部生にしては」というのは自分自身よくわかっている。修士に比べれば、いや比べても比べ物にならないくらいの格差はある。あくまで「学部」レベルなのだ。ここを伸ばすためにわざわざ入学した。

大学院はさすがにレベルが高い。きっと高いのだろうとは予想していたものの、その遥か上にあった。学究的になりすぎているせいか、いちいち意見の言い方が厳しすぎるのだが、それをすんなりと許容できるほどに正確な意見を言い合っている。きっと日常生活で出会ったら、二度としゃべりたくないと思うだろうが、学問の世界では当たり前らしい。恐ろしい世界だ。

ただ、心配なのは大学院にこもることになるのではないかということだ。身体的にこもることになってもかまわないが、精神的に象牙の塔に立てこもるのは視野を狭くする。先輩方の学識には脱帽だが、どこか自分が目指すべき人間像とは違う。もちろん、人それぞれなので、一緒くたにするべきではないのだが、大半がそうだということだ。何となく、閉じこもっている気がする。そして自分もその資格は十分にある気がしてならない。。。

うまく事が進めば、4月中にインターンを始められそうだ。塾以外で外界とのまともな交渉点を見つけられれば良いと思っている。塾もそろそろ長くやりすぎたせいで、もはや「外」とは言いがたい。慣れてしまうと次第に「内」になってくる。特にアルバイトの多い職場だとそうだ。いわゆる「核」になることで、自分の意志を通しやすくなってくる。平等な関係ではなく、先輩後輩の上下関係に近づくのである。それは自分にとってプラスではあるまい。

大学院に入ったからには「外」を意識していきたい。今年修了した先輩方の話を聞くと、意外と時間はあるらしい。もちろんそれはどこかに研究の皺寄せがくるということになるのだが、それも仕方のないことだ。卒論の十倍くらい大変なのだろうが、それならば十倍がんばるだけだ。象牙の塔が高くなればなるほど、気をつけなければならない。まだ授業は始まっていないのだが。