これまでの4年とこれからの2年

今日は大学の卒業式だった。朝からだと思って6時に起きていたのに、実際は14時からだと知って、今更寝るわけにもいかず、読書したり運動したりして過ごしていた。そうしているうちに時間が過ぎて、気持ちも変わり、「卒業式は出なくても良いんじゃないか?」と思い始めた。そして「よし、卒業式は欠席だ!」と決め、学位授与式だけ出ることにした。

学位授与式は要するに卒業証書を授与する式典。学部の人数が多すぎるため(一文の人数は1000人程度)、専修ごとに集まって授与式が開催される。そして無事に学位授与。これで晴れて大学卒業となった。高校のときもそうだったが、いまいち卒業ということに対して感慨がなかった。まだ学生でいられるという安心感からだろうか。安心出来る状況ではないのに・・・

学位授与が終わり、教授からの送辞があった。安在先生が代表して話したのだが、相変わらず話が長くて、何を言っているのかよくわからなかった。最後の方のまとめはなかなか感動的な話であったと思うが、やはり話し方は重要だと思った。その後に卒業生代表の答辞的なものがあったのだが、こちらは話がまとめられており、考えさせられる部分も多かった。先程は感慨はなかったと書いたが、そうでもないかもしれない。

大学生活の4年は本当にあっという間であった。中高の6年間とたった2年しか変わらないのに、感覚的には半分以下に感じられる。中身の問題かもしれない。大学の4年間は決して濃いものではなかった。特に世間的な意味での「大学生活」とはかけ離れた生活をしていた。サークルに打ち込むわけでもなく、学問に熱中するわけでもない。何のために大学に通っていたの?と聞かれても不思議ではない。

頑張っていたことといえば、読書と人生を考えることだけだ。これは真剣にやっていたと思う。読書を量で計ることは愚かしいことではあるが、普通の大学生の2倍以上は読んだと思う。生協の宣伝文句に「大学生活のうちに100冊読もう」というのがあったが、1年の読書数がそれくらいだ。これはなかなか役に立った。特に、方向の定まらない生き方を考えるときの教訓としては大いに刺激となった。

今日は卒業ということで、大学生活を振り返ってみたい。あと数日もすれば、多くの同級生は社会人となり、自分は院生となる。その差は考えているよりもはるかに大きいものであろう。そうなるまえに、これまでの4年間をまとめておく必要があるはずだ。ちなみにこの日記は大学1年の入学式から初めているはずなので、大学生活のすべてが詰まっているはずだが、恥ずかしすぎて読めないので、今の自分が振り返ることにしよう。

2005年4月。希望で胸を膨らませ、桜舞い散る中で(この辺はイメージだ)大学の門を叩いた。事前に何も調べていなかった自分は、完全に大学の制度や雰囲気に慣れるために1年間を費やす。取得単位数は34程度で、悪くもないが良くもない感じ。この辺りから単位を落とすということに対して次第に何も感じなくなってくる。サークルに一時期所属したが、何となく先輩後輩関係が面倒になって辞める。

このころの自分は、大学生活に満足していなかったように思える。高校まで自分を支えていたほとんどの柱を失い、あまりある時間の中で何をしたら良いのかわかっていなかった。部活に一生懸命であったからこそ、大学でゆるりと運動することに耐えられなかった。受験勉強が終わったのに、英語を頑張ろうとも思えなかった。とにかく、自分は何もしていないで不満ばかりためていた。

そのころは、ちょうど清水が浪人していたころだ。京大を目指して猛勉強中で、たびたび新宿などで飲んだりした。そんな清水を、目標があるからといって、外から見ただけでうらやましがったりした。目標のない自分には、目標があるだけでもうらやましかったのだ。しかし、清水の話を聞き、自分でも反省してみると、自分が浪人の精神生活に耐えられたとは思えない。

何もわからないまま、大学一年が幕を閉じる。二年からは専修に入るために、専門的な勉強ができると心躍らせた。ここでもまだ、勉強は大学から与えられるべきものだと考えていた。高校までずっと誰かから目標を与えられて生きてきたため、自主的に何かに取り組むということが理解出来ていなかった。大学は自ら穫りにいかなければ何も与えられないところだと気づくのはもう少し経ってからである。

大学二年の6月からルームシェアを始めた。風呂無しテレビ無しが当たり前の生活環境に適応出来たのだから、今考えるとなかなか恐ろしい。しかし、ルームシェアが3年も続いていることこそ、真に恐るべきことかもしれない。この辺りから堕落が更に酷くなってくる。

時間的な面で、かなり大きな割合を占めるのがネットだ。もっと限定的にいえば、ニコニコである。今思えば、どうしてあんな下らないものにあれほどの時間を費やしてしまったのか理解出来ない。とにかく、空いた時間の埋め方がわからないままに、単純な「面白さ」や「笑い」に走ったのだと思う。後悔は大きい。

二年は卒業までまだ2年以上あったし、周りに就活生もいなかったため、危機感がなかった。危機感がない分、自分の状況のありがたみもわからなかった。バイト先で就活している人もいたが、あまり苦労しているようには思えなかったし、教職を明確に意識していた自分には就活は縁のないものだった。そうしているうちに二年が終わりになる。

三年になっても大きな変化はなかった。結局、危機感がない状況は学年が変わっても変わらなかったのである。三年は何があったかほとんど覚えていない。不思議なほどに記憶がない。せいぜい旅行に行ったことくらいか。しかし、その分というわけではないのだが、四年次はかなり影響の大きな年になった。

四年はいろいろなイベントがあった。時系列順だと教育実習、早稲田院試、介護体験だ。