本年の目標

今年は差が開く年になる。それはもちろん、自分は大学院に進学することとなり(卒業できれば)、周りは就職するからだ。少なくとも2年先に社会に出ることになる周りの友人と、学校世界に閉じこもる自分とでは社会経験上詰め難い差が出ることだろう。

しかし、見方を変えれば、まだ学生で居られるということでもある。大学院進学の理由の半分を占めるのがこれであるが、社会人に比べてはるかに時間的に余裕のある生活を送ることが出来るはずだ。この間に一体何をするのか、それによって社会人たちとの差自体、あるいは差の質が変わってくる。

恐らく、一度くらいは社会人の友達と飲みに行くことなどになって、自分は「社会人ってどうなの?」と聞くだろう。そして向こうは「文系の大学院ってどうなの?」と聞く。そこで出てくるのは、(学生に比べて)圧倒的に忙しい新社会人(しかし金はたまる)と比較的自由な自分の生活の差だ。そして「やっぱり学生は良いよな〜」となるはずだ。きっと。

別にサボっているわけではないし、留年したわけではないので、新社会人に対しても院生はそれを恥じる必要は無い。勉強したいからこそ大学院に進んだのであって(これが進学理由の残りの半分)、早く社会に出たほうが有利だから就職したのと比べて遜色はない。ただ、時間の面で圧倒的に恵まれているために、一件豊かで楽な生活をしているように見えるのだ。

自分の周りに「文系の院生なんてぬるま湯に浸かっているんだから楽で良いよね」などと抜かす連中はいないと信じているが、もし仮に(よく知らない奴とかから)そういわれたとしよう。確かに、学者になるわけではないので気楽な身分といえばその通りである。それが全く負い目ではないといえば嘘になる。

別に、苦しい人のために生きているわけではないので、負い目を感じる必要はないのだが、豊かな人間には豊かな人間なりの義務がある。それはその豊かな環境を精一杯使い切ることだ。時間があるのならば、それを有効に活用し、お金があるのならばためになることに使う。一番の罪は、豊かな資源を時間の流れで磨耗させてしまうことだ。例えば、大学院に進んだのに勉強せずにダラダラと過ごしているなど・・・

精一杯資源を有効活用している人間は、胸を張って生きて良い。一人一人境遇は違うのだから、相手がどれほどの富者でも、どれほどの貧者でも、自分のやることをしている人間は堂々と対峙できる。自分自身に負い目があるからこそ、状況の違う相手を前にしたときに怖気づいてしまうのだ。

気をつけなければならないのは、逆の立場に立ったとき、即ち自分のほうが苦しい境遇にあるときに「お前は楽で良いよな」といってしまうことだ。これは苦しければ苦しいほど口にしやすい言葉だ。しかし、その状況に自分を追い込んだのは他でもない自分自身である。その責任は他人にあるわけではなく、責任者たる自分が一人で処理しなければならない問題だ。それを豊かな他人を見て嘆くなど言語道断である。そこまで強く生きるのは難しいが・・・

誰かの目を気にして生きていても仕方が無い。問題は自分の中にある。自分に対して誇れる生活をしているのか、問題はそれだけだ。ふとすると他人の目ばかり気にしてしまう自分が居ることに気がつく。そのときごとに「誰を意識すべきか」と自分に問い直す。自分の人生は自分のものだからこそ、自分のために管理する。

大学院では本当に「自分のため」に生きてみようと思う。