高齢人口率トップ5は伊達じゃない。

この前、塾で中3社会の日本地理の問題を教えていたら、そこに高齢人口率トップ5の都道府県が黒く塗りつぶされた地図が出ていた。その5県とは、秋田・鳥取・島根・○×(忘れた)・山口であった。その山口に今来ているわけである。

旅行ではない、断じて旅行ではない。あくまで卒業論文のための資料収集なんだ。それはわかっている。心の底からわかっている。しかし・・・それでも一人で山口というのは耐え難いものがある。文書館で資料を集め、ホテルで分析、論文に仕立て上げることが仕事だから、一人でも全然耐えられる。それは大いなる勘違いだった。

あまりにさみしすぎて、散々散歩した挙句、マックスバリューで3600円分も買い物してしまう始末。あまりに都会が恋しすぎて、山口に来て丸一日、そこで発見した都会的要素である無印良品でセンベイや人形焼、油取り紙を買ってしまう悲劇。

それほどまでに、都会的要素が何も無い町なのだ。文化的価値を持つ建物などはたくさんあって、これが旅行であったならば十分楽しむことが出来ただろう。あるいは、文化的価値を持たなくとも、地理学的予習から地方の生活を勉強することも出来ただろう。ただ、それは今は出来ない。

忘れてはならないのは、山口県の県庁所在地は山口であるということである。萩でも下関でもなく山口。毛利敬親が1867年に萩から藩庁を移したとのことだが、彼は一体何を考えていたのだろうか。よくわからない、というかさっぱりわからない。

まず、県庁所在地の駅前に、コンビニが一件も見当たらないというのはどういうことだろうか。そして銀行も発見できず、牛丼屋も見つけられない。それでも3つも高校があるようで(卒論のテーマである県立山口高校もある)、高校生の数だけやけに多い。

しばらく高校生の列に混ざって、重そうな荷物を抱えたオッサンが歩いていったわけだが、客観的に見たら相当変な風景だったに違いない。それでも高校生は早足で、あるいは自転車だったので、列に混ざっていたのはほんのちょっとの時間だった。

10分ほど歩くと、ようやくセブンイレブンを発見。ちょっと安心する。そこで道を尋ね、目的地である山口県立山口図書館の中の文書館へ。ええ、閉館日でしたとも。開いているって言ってたのに・・・仕方がないので6時間ほどそこで勉強することになったのです。

15時半ごろ図書館を出て、15時55分の電車で新山口に戻る。これを逃すと30分電車が来ない。まぁ3年前皆で四国に行ったときに、四国交通のバスが2時間に1本くらいしか出ていなかったことを考えればまだ良い方であるが、さすがに何も無い寒空の下で30分も過ごすのは辛い。

何とか電車に乗ることが出来たが、周りは朝と同じく高校生。男子高校生は試験が近いのか静かに勉強しているものが多かったが、女子高生はそうではない。まるで話すことが仕事であるかのように話し続ける。修学旅行のバスに間違って乗り込んでしまったかのようであった。方言はあるのかと疑問に思い、少し耳を傾ける。

あまり方言は無いようだった。ただ西日本であるから、関東の話し方とはちょっとベースが違う。マーサの喋り方と良く似ている。まぁ広島と山口は隣であるわけだし、方言が強く現れないならば(マーサも『わしゃ広島じゃけん、おどりゃ!』とか言わない、言えば良いのに)、似てくるのは当然かもしれない。それでも、何だか期待はずれな気がしてガッカリした。話の内容は忘れた。

新山口に戻る。ここは新幹線の駅がある。しかし、在来線の駅に自動改札は無い。百歩譲って、県庁所在地(ちょっと違うが)であり、新幹線停車駅であっても、自動改札は無いかもしれない。香川に行ったときも、自動改札はなかった。棚田によるとJR四国は自動改札を導入していないそうだが、そういうこともあるのだろう。

しかし、人力改札が2つしかないというのはどういうことなのだろう。高松ですら、結構な数の改札があった。これがかの長州の末裔なのか?日本を震撼させた山口なのか?藩閥といわれながらも偉人を輩出し続けた長州藩の末路なのか?!あまりに意外である。もう少し藩閥っぽさを見せて欲しかった。これでは確かに高齢人口率も高くなる。

もし、自分がここで育ったら、一定の愛郷心とともに、「おら、東京さ行くだ」と思ったことだろう。大学進学か何か適当な理由をつけて都会に出て行ったに違いない。あまり度胸はないので、きっと九大か広島大学を目指したことだろう。京大は無理だ。阪大は大阪だからやめておこう。

それほどまでに何も無い。田舎にパチンコ店とラブホが多い理由がよくわかった。それでいて夜は真っ暗で出かける気がしないのだから、それくらいしかやることはなくなってしまうだろう。はっきり言って、彼らがどこで服を買うのか甚だ疑問である。ショッピングモールもないし、紳士服の青木山口店は閉店セールをしていた。ユニクロもない。ライトオンだけ発見できた。

今、猛烈に毛利敬親を恨んでいる。あなたが萩から藩庁を移さなかったら、僕は今頃萩にいたかもしれない。萩なら(行ったことないけど)もう少し何かあるだろう。あるいはせめて下関。あそこは通商の要衝だったじゃありませんか、どうして下関にしなかったのです。海防に自信がなかったからですか?もう、こんなに何も無い町で一人で5日間も生きていくなんて辛いのです。

とりあえず、山口に行こうと思っている人がいたら忠告があります。ホテルは新山口なら新幹線口に取った方が良い。反対側は何もありません。去年棚田と山陰に旅行に行ったときに泊まったコンフォートホテル新山口に宿泊していますが、こちら側は何も無い上に駅を超えて反対側に行くのが大変。面倒です。

田舎の勉強としては良いところなんだけれども・・・刺激的なものは特に無さそうです。少なくとも車が無ければ何も出来ません。都会っ子は弱いですね。本当に、都会育ちで良かったです。また明日、新たな発見があったら書こう。でも、旅行はどんなでも非日常だから楽しい。それは間違いない。寝台列車も楽しかった。