離婚問題

夕方のニュースでは、離婚のニュースをよくやっている。大概が「勝手な夫に耐える妻」という構図で描かれているが、実際はどうなのかというのをいつも疑問に思う。そういうのが嫌になるので、夕方のニュースはNHK以外見ないようにしている。憤激レポートとかストレス以外何ものでもない。まぁテレビ局が悪いわけではないが。

勝手な夫、この前報道されていたのは、インテリアデザイナーの夫が勝手だという話だった。インテリアデザイナーの夫はその職業柄インテリアには非常にこだわるという。自分の「センス」に合わないものは徹底的にこき下ろす。妻に対してもそうであり、「信じられないそのセンス」「君はセンスがないからなぁ・・・」とよく言うらしい。

それに耐えかねた妻は熟年離婚を切り出す、というのがその内容だった。確かにこれだけ見れば妻は哀れまれるべき対象であり、離婚は当然ということになる。しかし、果たしてそうだろうか。少し疑問に思う。

離婚となると話は大きくなる。家族が切り離されるということを考えると、軽々しく決断できることではない。特に、専業主婦で(上記の妻は専業主婦だ)子どもが小さい頃に離婚を決断することは難しい。子どもへの愛情はあるが、収入が心許ないときは、子どものことを考えて離婚はやめようと思うかもしれない。そしてこのケースもそうだった。

ただ、「センスがないよね」というような悪態に対して、抵抗することは出来なかったのか。そういう夫の態度に対して、覆そうと努力したのか。そういった努力や抵抗を放棄しているにもかかわらず、「私は我慢してきた」というだけではないのか。

「我慢する」というのは「選択」の一つだということを、自分はつい忘れてしまいがちだ。「我慢する」ことは追い込まれてのことで、仕方がなかったと諦めてしまう。しかし、それは必ずしも正しくない。「我慢する」というのは「選択をしない」「相手の要求を受け入れる」という選択なのだ。清水もよくいっているが、自分の選択にはどのようなものであれ責任が伴うものなのだ。「そうするしかなかった」というのは大概が言い訳に過ぎない。

「我慢する」ことは、少なくとも対等な関係においては、選択肢として成立しうる。その結果が自分に対して不利なものであったとしても、それは受け入れなければならない。そこでの選択が単独で存在するということはありえない。数々の選択を重ねてきた上で、たまたまそのときは「我慢」という選択肢しかなかったとしても、それは自己責任になる。

人生は選択の連続だ。数ある選択の中で「我慢」は「現状維持」「問題先送り」の性質が強い。だから選んでいる実感がない。相手に「我慢」という選択を迫った人間は、それを反省してしかるべきだが、その反省を求める前に「我慢」を選択した自分自身に対して反省をしなければならない。そうした上で、初めて相手の問題を指摘すべきなのだ。選択の責任を負う。それは当たり前に過ぎる。





よく、一つの問題を総量的に捉え、それを自分と相手で比較して判断しようとする人がいる。前にもそのことを清水と話したが、その例を一つ挙げたいと思う。

山田さん(仮)がバイトに5分遅刻してきた。山田さんはバイト先の責任者を初めとして、迷惑をかけた人々に謝罪してまわり、その件を収めた。それから1時間して、山崎さん(仮)が1時間遅刻してバイトに現れた。彼は山田さん同様に謝罪にまわり、バイトに就いた。山田さんの遅刻は5分程度だったので大したことは無かったが、山崎さんの遅刻は1時間もあり、それなりに迷惑をかけた。

バイトからあがった後、山田さんは山崎さんに対して「遅刻しすぎだよ」と言った。冗談半分、本気半分だった。それに対して山崎さんは「山田さんも遅刻したじゃないですか、よくそんなことが言えますね」と返した。山崎さんはちょっと怒ったように帰ってしまった。

ここには問題が二つある。一つは「山田さんが山崎さんに対して遅刻を指摘する資格があるのか」ということ。山田さんもたった5分とはいえ、遅刻してきたのだから本質的には山崎さんと大差ない。もし仮に山田さんがバイトのチーフのような地位についていたとしても、それはもう少し配慮があっても良いはずである。

しかし、より問題なのは山崎さんの態度だ。「自分が遅刻した」という罪を認める前に、「同じ遅刻者に言われたくない」という心理が働き、「そんなことをいうなんておかしい」と山田さんを悪と判断している。これは確実に間違っている。山崎さんがまずするべきことは、自分が遅刻したということを反省することであって、それは誰に言われようとも認めなければならない事実である。同じ遅刻者の山田さんに指摘され、それが適切かどうかということは別の問題なのだ。

まずは自分の間違った点を探すこと。それが自分の選択に基づくものであったならばなおさらだ。確かに万引き犯に信号無視を咎められたくは無い。しかし、信号無視をしたことは反省しなければならない。それを誰に言われようともだ。そうすることによって、自分の間違った点を治すことが出来る。そうしなければ、いつまでたっても同じところに留まることになる。





最初の「我慢」の問題も同じことが言える。「我慢」を選択した自分に果たして問題は無かったのか。言い訳ではなくしっかりとした理由が見つかるのか、責任を持っているのか。まず考えることはそれである。それなくして、問題の本当の解決は難しい。