将来の夢

大学卒業を控え、将来の夢が膨らんでくる。あるいはしぼんでくる。来年4月に何しているかという直近の未来じゃなくて、5年とか10年といった長い期間での未来の話だ。次のロンドン五輪のときは26歳、東京五輪(予定)のときは30歳だ。30歳だったら社会的にはまだ若いかもしれないけれど、今の自分からしたら想像もつかない世界だ。

30歳の自分は果たして何をしているのだろうか。結婚しているのか(していないのか)、希望の仕事(職場)に就けているのか(いないのか)、どこに住んでいるのか(まさかの実家暮らしか)・・・不安と期待が入り混じる。そしてそういうときには人間は不思議と良い方に良い方にと妄想が膨らんでいってしまうのだ。

職業は教師であるとして(これは譲れないから)、問題は学校がどこかと言うことだけれど、これは贅沢言っていられないし私立の制度を考えれば全然分からない。結婚はしているのか、この点も自分ひとりでは決められないので不明としておこう。では、どこに住んでいるのか、これだったらかなり自分の意思で動かせる未来だ。

場所は職場に近い方が良いけれど、住宅街に住みたい。ベッドタウンと称されるような街に。都会の再開発地区とかターミナルステーションだとかには住みたくない。何だか落ち着かない。まぁ落ち着いた街ならばどこでも良いのだけれど、その点では神奈川はなかなか優れていると思う。大型ショッピングセンター(?)や駅を中心に発展しているケースが多いから、暮らしていくのに便利だ。その点東京は困る。大型ショッピングセンターがないし、物価が高い。

それでも最寄り駅にあって欲しい施設や店はある。何よりも欲しいのはスターバックスコーヒー、これは欲しい。ドトールはコーヒーがまずいし店内喫煙を許可しているから嫌だ。上島珈琲店はコーヒーはとても良いと思うが、店内喫煙はあるし何よりも高い。タバコの煙を気にせずに、落ち着いて本を読める空間としてのスターバックスが欲しい。その点飯田橋のスタバは良かった。昼間など時々貸し切り状態だった。

次は無印良品。意識的に無印製品を使うようにしているので、これがあるとないのでは全然違う。何となく「欲しいな」と思った製品でも、大抵気に入る製品が手に入るのはありがたい。ファミマでも取り扱っているけれど、微妙に違う。日用品を買いに行くためにあったら嬉しい。

その後はユニクロ。これも下着だとか部屋着だとかを揃えるのに便利。まぁこれは無印でも代用がきくので無印があれば大して必要ないかもしれない。他には・・・off&onだとかがあると楽しいけれど、これは別に必要なわけではない。あとは店は何でも良いから品揃えの素晴らしい本屋が欲しい。歴史の本とかでも大抵は手に入るレベルの本屋。その点飯田橋はダメだった。早稲田は大学生協があるからその点問題なし。



しかし、何よりも重大なのは、大学が近くに存在しないということだ。スタバがあり、無印があり、ユニクロがあり、品揃えの良い本屋が全てあったとしても、大学のそばには住みたくない。夏休み中盤を実家で過ごしてみてそれが良くわかった。大学生といくのは実に厄介な存在だということに。

実家のそばには慶応大学がある。まぁ駅1つ離れているので、厳密には近くではない。しかし、綱島には何故かスタバが無いので(隣の大倉山にはあるのに!これは絶対におかしい)、定期で通える日吉のスタバで午前中は勉強することにしている。「勉強するんじゃない!」というのは今は放っておくことにしよう。

平日の9時から9時半くらいに日吉のスタバについて、勉強を始める。9時台だとあまり混んではいなくて、静かな環境で集中して勉強できる。ちょっと外に出る楽しみもあるし、コーヒーが飲めるのでとても良い(ただし、スタバは特定のコーヒーが無いので時々まずいのが出てくるから困る)。窓際の明るい席に座り、単語を覚えるなり本を読むなりする。理想的な時間の過ごし方だ。

しかし、これが10時台に入ると一変する。大学生様の登場だ。私学の雄、天下の慶應様のご登場である。奴らは群れでやってくる。5人だとか多いときには10人くらいで・・・2人くらいで来ている場合はそれほどの問題ではない、それほど大声ではしゃべらないからだ。これが大人数になると、まるで自分の家かサークルの部室にいるかのように話し始めるから始末に終えない。

時々、2人でも我慢できないほどにストレスが溜まることがある。それはもうストレスで自分を殺そうとしているのではないかというくらいに。静かに集中して勉強していると、隣にダルビッシュに似た男と実に軽そうな女のカップルが座った。向かい合って座る席はまだ空いているにも関わらずだ。そして当然話し始めるわけである。

話している内容も聞きたくも無いのに耳に入ってくる。「アメリカではさ〜、スタバは庶民がこんな風に使うわけじゃないんだよ〜こんなの日本だけだよね〜☆」とか「だったらアメリカ人にでもなってろこのイエローモンキーが!」と思わず叫びたくなるような会話が展開される。ただし、それは良い。誰が何を話そうとそれを批判するなど大きなお世話以外の何者でもない。あとは男がダルビッシュに似ているというのも嫌だったけれど、これも彼の罪ではない。ダルビッシュの罪だ。

しかし、男は会話をほぼ聞いていない。女が一方的に話して、「ふ〜ん」だとか「ほえ〜」だとかけだるそうに(そう、まるで喫煙する高校生ダルビッシュのように!)答える。「さすがにそれは女が可哀想だろう・・・」と思っていたら、何とその男、口笛を吹き始めた!しかも微妙に遠慮をしているのか、小さなかすれそうな声(?)で。寝ようとしているときに普段は気にならない時計の音が気になるように、小さな音量での口笛はこれ異常なく集中を妨害するのだ・・・

すると相変わらず続いている中味の無い会話も余計に聞こえてくる。

「もうauはダメだよね〜あたしディズニーケータイにしようかな〜ソフトバンクただだし☆」
「う〜ん」

「この間あたしの友達がね〜旅行に行ってね〜」
「ほ〜ん」

「あ〜、超お腹減ったし!☆」
「スイーツ(笑)」

(一部記憶違いがあるかもしれません)

もうストレスで胃潰瘍になりそうだった。「この(バ)カップルが帰り道たまたま仕掛けてあった対人地雷でも踏まないかなー」「いや、むしろ今履いているその靴自体が地雷になれば良いんじゃないの?」とかいうことを結構真面目に考えていた。

極めつけはこの一言(一節?)

「早稲田〜早稲田〜早稲田〜早稲田〜早稲田〜早稲田〜わっせだ〜♪」(校歌)

「お前早大生じゃないだろこのセレビッチがあああ!!!!」と普段は全く無い愛校心をくすぐってくれるという始末。ここまで大学愛が目覚めたことは入学以来初めてだ・・・表出ろこの福沢野郎!脱亜論とか抜かしてんじゃねぇ!!!という気分だったが、もちろんそんなことを言えるはずも無く、ただただ震えながら机に向かうのみでした。デスノートがあったら、今なら死神の目を取引しても良いと思った。

ちなみに、福沢諭吉の失敗として脱亜論をあげる人がいるけれども、あれは時代背景を考えれば当然の主張のうちの1つであったと思います。現代の感覚で歴史を語るなどというのは、一夫多妻の動物に「それは倫理的に反している!」と諭すくらいに意味の無いことだと思います。話が逸れました。

そういうわけで、大学のそばには絶対に住みたくない。中学生や高校生が騒いでしまうのはまだ「あぁガキ子どもだからなぁ・・・」と大学生からの視点で許すことが出来るけれども、大学生が公共の場で騒ぐのは許せない。立場が同じだからこそ許せない。決して自分がたまたま大学生活をモデルケースの通りにエンジョイしていないことを逆恨みしているというわけではなくて。ええ、断じて違います。

大学生・・・あれは何なのだろうか。外から見たときに自分もああいった風に映ってしまうのだろうか。そう考えると悲しくなると同時に、慶應に対する敵愾心が熱く燃え盛ってきます。とりあえず日吉キャンパスは竹島にでも移設してほしいと切に願うばかりです。