晴耕雨読

今日は4年に一回しかないという貴重な一日だったことなど、すっかり忘れていた。よくよく考えてみれば、オリンピックがあるのだから閏年なのは自明のはずだったのだが、そんなことすら忘れてしまうようになってしまったらしい。最近はどうも体調が良くないし、花粉症の雰囲気もあるので、かなりテンションが落ち込み気味だ。目から上の頭部が重くて重くて・・・

今日の朝日新聞の生活面に、今年の春から中高一貫校の教職に就いた娘を心配する母親の記事が載っていた。記事といっても、投稿で、しかも200字くらいの非常に簡潔なものであったが、何だか気が重くなった。その学校はとても忙しいらしく、家を出るのが6時前、帰宅が24時前後という重労働だそうだ。授業が終わるのが15時前後とすれば、そんな時間まで何があるのだろうと不安になるが、きっと教師と言う仕事は生半可なものではないのだろう。彼女は体重が落ち、顔色が土気色になったというのだから、どれほど大変かというのは想像に難くない。

そんな生活を私は望んでいるのだろうか。決して望んではいない。教職を単なる労働だとは思ってはいないが、労働の一面を持ち合わせているとは思う。教職の誇りは一生モノで、命を掛けるに値するものだと思う一方で、労働に生涯を捧げたいとは思わない。家族の時間や自分の時間を大切にしながら仕事も充実させたい。この願いは限りなく贅沢なのだろうか。

物質的に贅沢をしたいとは思わない。もちろん贅沢できるというのなら、遠慮なく贅沢したい。しかし、その物質的充実が精神的充実との引き換えであったとしたら、迷うことは無いだろう。きっと自分が家庭を持ったとしたら子どもは物質的充実を大切にしたいと思うのだろうが、子どもは無為に時間を過ごす喜びを理解することは出来ないものだ。大人になって、子ども時代の生活を振り返ったときに、私の気持ちを理解できるようになってくれれば嬉しい限りだ。

都会から飛び出す勇気は無いけれども、田舎で静かに暮らしたいとは思う。庭付きの日本家屋に住んで、わずかばかりの農園で野菜を育てて食の足しにする。まさに『雨ニモマケズ』の世界を実現したい。小学生の頃は、『雨ニモマケズ』を頭で理解しながらも、心では決して望まなかった。もっと物質的に満たされていて、名誉にも恵まれていたい。世間的なものにまで考えが及んでいたとは思えないが、目に見える形でしか豊かさを感じることは出来ていなかった。

今でも目に見える豊かさを追い求めてはいる。仕事で言えば、進学校でやる気のある生徒に難しいことを教えてみたいと思う。正直に言って、生活指導に追い回されるような環境の職場は避けたい。そう感じることは、理想の教師としては正しくないのだろうが、それが自分の現実だ。物質的な豊かさから解脱したい。

教員が足りなくなるような地域で生きることも良いと思うが、やはり恐い。これは実際に働くまでは、決心できないだろう。多分教えることの意義や教育の意味というものを理解できていないのだ。もっと研鑽を積まなければ、現場に立つ資格が無い。いや、資格が無いというのは言い訳で、本当は現場に立つのが恐いのかもしれない。

どう生きることが出来れば後悔の無い人生になるのだろう。誰も分からない問題だと、そして一人ひとりそれは違うというのだということは分かってはいるのだが、どうしても答えを求めてしまう。誰かに背中を押されなければ決心も出来ない人間だ、情けないことこの上ない。モラトリアム人間の贅沢な悩みにすぎないのだけれど、現実に忙殺される前に、何かを見つけられれば良いと思う。