はしかなどより余程深刻な病

どうやら今年もはしかが大流行の兆し。去年は大学が休みになって、大いに浮かれたのだが、今年はどうなることやら。とりあえず休みになってくれれば良いと思う。それにしても、全国でも群を抜いて神奈川県のはしか患者の多いのには驚いた。しかし、今の問題ははしかどころの騒ぎでもなければ、毒入りギョーザどころでもない。この鬱々とした気分なのだ。

元々根暗な性格なので、鬱々と過ごす日数は確かに多いのだが、最近はその内容が変化してきたような気がする。もしかしたら気のせいかもしれないのだが・・・

以前は全くの無気力に悩まされることが多かった。何故生きているのだろう、何のためにここにいるのだろう、どうして生まれてきたのだろう・・・答えなどあるはずも無いのに、そんなことばかり考えていた。別に積極的に死にたいなどとは思わないが、静かにこの世から去ってしまいたいとは思っていた。ある夜寝たら二度と起きることは無かった・・・などというように、静かに消えれば良いと思っていた。良くある話だ。たぶん。

しかし、今日はちょっと勝手が違う。無性にイライラするのだ。特に何が悪いわけでもないのだが、何だか落ち着かない。そわそわとイライラが混ざり合ったような感じだ。貧乏ゆすりを無意識にしてしまうのと近い気がする。火薬は十二分に詰まっているのに、導火線が湿ってしまって火が着かないといっても良い。さすがにそれで家族に当り散らすほどのバカではないが、あまり良い傾向ではない。

こういうときには、日常を離れるのが一番に思える。短く言えば旅行のことだ。どこでも良いから偶然そこに来た電車に飛び乗って、しばらく目的も無く電車に乗って、身近な目標を見つけてそこを目指す。そんな妄想を高校生の頃から何度したことだろう。あまりに新宿駅は魅力的過ぎた。しかし、その妄想は達成されることは無かったし、恐らくこれからも無いだろう。現実が妄想の実現を阻む。

その現実は現実で、高校生のときと現在とでは全然内容が違ってきている。高校生のときの現実の壁とは時間の壁であり、親の壁であった。翌日は絶対に行かなければならない(少なくとも形式上は行かなければならない)学校があったし、我が家はそんなことを許すような家ではなかった(当然ではあるが)。別に行けないことは無かったといえば無かった。要するに親が怖かったのだ。親に逆らうことが恐ろしかった。

今はそうではない。大学生になって、自由が比較にならないほどに拡大された。特に時間の自由だ。大学の時間割は高校と違ってゆるいものだし、図らずもサークル活動もしなかったので、基本ヒマである。しかも高校生までとは比べ物にならないくらいに長期休暇が長い。春夏あわせて4ヶ月とはたいそうなものだと今でも思う。では問題は何なのかといえば、そう、「金」である。

時間が自由になって、身体も自由になったのならば、後は金があれば万事解決である。隣の日吉から地球の裏側までどこへだって行けることになる。まぁ外国に行きたいとはそれほど思わないが、理論上は可能だ。恐らく、こんな機会は今を逃したら二度と来ない。若い人を見て、指をくわえるしかなくなってしまうだろう。今行動しなかったら、きっと一生後悔する。だから、行くんだ!

というのがよくある青春の一シーンなのだが(そして大概物事は上手く収まる、進研ゼミのように)、現実は小説よりも厳なり。資本主義の壁はあまりに高かった。先日給料日を迎えたばかりで、銀行には12万〜13万程度入っている。汗水たらして働いた冬期講習の給料だ。思っていたよりは少なかったのだが、まぁそこは良いとしよう。これを使えば、一週間程度は旅行に行ける。贅沢ではないが、精神的な落ち着きを取り戻すには充分すぎる時間だ。

だが、仮にこの金を全て旅行につぎ込んでしまったとしたら、今月どうやって生きていけばいいのか。はっきりいって、生きていけない。借りればどうにでもなる問題ではあるが、借りた金は返さなければならない。それから先長い間苦しみ続けるのだ。そんなことは出来ない、到底出来ない。きっと将来的に「あの頃は旅行に行ったせいで金が無くてさ〜」などと酒の肴に出来るくらいには、現実を生きていけるのだろうが、やはりダメだ。

それにやらなければならないことはたくさんあるし、何よりバイト先に申し訳が立たない。来年も受験学年担当なのだから、そうそう休んでいられない。自分はただのバイトだが、何度もいっているように受験生は必死だ。まぁ研修制度もないのにバイト講師が多くを占める塾に疑いもせず我が子を通わせる(しかも本気で成績向上を狙って!)親も如何なものかと思うが、それはまた別の話だ。仮にバイトでも真剣にやらないなどということは許されない。

でも、やはりそんなことに縛られているのだなぁ・・・と思って悲しくなってくる。バイトのためにこの貴重な若き時間を割いて良いものだろうか。労働経験を積むことは、社会人としての滑り出しを順調なものにしてくれるだろう。その効果を侮ることは出来ない。しかし、そんなのは所詮経験の問題で、時間の問題だ。黒板の書き方だって、教室の管理の方法だって、5年もすれば最低レベルは見えてくるはずだ。そしてバイトの責任範囲で先取りできる社会経験など良くて3ヶ月程度の問題だろう。その3ヶ月のために、その後40年以上存在しない時間的自由を犠牲にすることは勿体無い。

とはいえ、バイトが無かったら自分がダメになってしまうであろうことも重々承知している。今の自分が自尊心を保っていられるのは、多分にバイトのお陰なのだ。人間は誰かに頼りにされないと強く生きられない。そこを満たしてくれるのが、嬉しくも悲しくもバイトなのだ。だから、一概にバイトが将来のためだけのわずかな蓄積ということも出来ない。自尊心の無い人間は、ダメになってしまう。そして、根拠の無い自尊心には価値が無い。恐らく、バイトをやめても自尊心をわずかながらも保ち続けるだろうが、そんなものは自分だけがあると信じているに過ぎない虚像になってしまう。

そういう意味でも、やはり現実の壁は高かったようだ。金の問題だけじゃないじゃないか!ということに今更ながら気がついたが、やっぱりダメだ。でも金が無いことは深刻だ。金があったなら、一週間くらいならバイトを休むだろう。いや、絶対に休む!だから目下の問題は金だ。こんなに金、金、金といっている自分は惨めなこと極まりないが、金が汚いと考えるのは江戸時代の発想だ。現実をあるがままに受け入れなければ。となれば、やはり金である。

金は扱いが難しいものだ。無さ過ぎれば当然生命も関わるほどに不自由になることは言うまでも無いが、逆にありすぎると金銭感覚が麻痺するなどという問題以上に人格に悪影響を及ぼすだろう。世の金持ちが腐っているなどといっているわけではなくて(もちろん腐っている金持ちもたくさんいるのだろう・・・)、元々中流階級の自分が莫大な金額を手にしたら、使い方をわきまえずに腐ってしまうだろうということだ。金の力は確かに絶大だから、それを意識しないで生きていくことは難しいと思う。

話が大分それた。元々何の話をしていたのかも確かではないが、とりあえずこんな現実を打破できない自分自身にイライラして仕方なかった。当然のことながら、旅行などのほかにもこの鬱蒼とした現実を打ち破る方法はあるのだが(恋人を作るとか)、それらの手段は実現が難しく、旅行が一番手軽な手段だということだ。自分で書いていてこの現実がより一層暗いものに思えてきた。この状況下で、アフリカでは子どもたちが上に苦しんでいるが、それはそれで全然別の話。幸不幸を他人と比較することには何の意味も無い。サボる理由にすることはいけないが。

あぁ、横断歩道で奇跡的に助けた(奇跡的に気分が向いて、奇跡的に対象が自分のそばにいたとして)老人が大富豪だったという黄金パターンにでも出会わないものだろうか。あるいは将来の自分から資金を前借できないだろうか、それは理想的だが将来的に後悔するかもしれない。

やはり、今を一生懸命生きるしかなさそうだ。こうして暗い気分を日記としてつけていると、気持ちの整理が出来る。やる気が出てきた。今日はゆっくりと前向きに暮らしてみることとしよう。そうしたら、いつか良いことを引きつけることが出来るに違いない。世の中は基本的に、あくまで基本的にではあるが、そうなっているに違いない。

ところでどうでも良い話ついでに、どうでも良い発見をひとつ。今まで「≧」が出せなくて困っていたのだが、今日ついにその出し方を発見した!これで少しは文章の幅が広がった。今日一番良い出来事かもしれない。