夏想い

明日で塾の夏期講習前半戦終了です。喜ばしいことこの上なし、ほとんど毎日10時から授業で、しかも低学年とかで苦労しました。まぁこの期間で「小学校の先生は絶対無理!」ということがわかり、それはそれで勉強になったかなと思います。6年生とかになると、少しは考え方が大人に近付き、まだ中二病にも至らないのでそれなりに楽しくやりますが、完全子どもの3年生以下、あるいはまさに中学2年生の取り扱いは注意です。

さて、長期休暇は読書の時期ということで、この休みも読書に励んでいますが、今読んでいるのが↓

堕落論 (新潮文庫)

堕落論 (新潮文庫)

大変有名な本ですね。生協に行けば大抵置いてあります。id:TeD918が前に読んだのを借りました。あまり借りるのは好きではないのですが、今の時期にわざわざ生協まで買いに行くのは面倒だし、本屋で買えば高くつくのでそこは我慢。とりあえず昨日で半分まで読み進めました。

最初の方は難しくて、「なんじゃこりゃ・・・」と思っていたのですが、途中から日本の文化論などに触れられ、そこは面白く読めました。日本の文化、日本人像、天皇制などに独自の方法で切り込んでいます。学校では決して教えてくれない、というよりも教えることの出来ないような書き方です。社会の授業で「法隆寺が燃えても何ら問題はない」なんて聞いたことがありません。でも小学生は「何で古い神社とか寺なんか残してるの?」と至極純粋な疑問をぶつけてくるので新鮮です。

考えるという行為は非常に崇高な行為だと思います。動物には望むべくも無い行為ですし(もしかしたら動物も高度な思考力を持っているかもしれないけれど)、自分なりの思考回路を持ってこその大人だと思います。しかし、その考えるという行為はえてして他のコピーとなりがちですから注意が必要です。自ら考えること、それが必要です。

自分に自信が無くなった時(自信に満ち溢れているときなど稀すぎますが)、自分の将来を悲観することがあります。自分で言うならば、こんな人間が他の人間に対して物事を教えて良いのだろうかと。中学校などは道徳の授業と言うものがあるのに自分はその道徳像からかけ離れている、それで中学生にどれだけのことを伝えることが出来るだろうかと自分を疑います。恐らく、計画通りに道徳を進めていたとすれば、それはきっと何も伝わっていないと思います。実際、小学校における道徳の授業は低学年においては高い効果を有しますが、高学年になるにつれて生徒への影響力を失う傾向にあるそうです。

それは、道徳があまりに理想像に近づこうとしており、説得力を失っていくからに違いないと思います。高学年になれば、例えばなぜ先生に敬語を使わなければならないのか、などという「反道徳」的な疑問を抱くもので、その手の疑問をある程度強圧的に押さえ込んでしまうことが悪いではないでしょうか。