通貨供給量と稼ぎ

昔、金を湯水のごとく使い、一国中の金を使い果たした、あるいは金の相場を下げてしまったというアフリカの王がいたと世界史で習ったような気がしますが、本当だったのでしょうか。もし、本当だとしたら、是非ともその感覚を味わってみたいものです。

インフレもデフレも無関係なこの身が、突然日本の通貨価値に影響を与えるほどの資金力を蓄え、使用することが出来たとしたら・・・誰もが幼き頃に考える妄想を少し知識を加えて復活させたに過ぎないことに今気がつきました。

必死に働いたところで、人が一生に稼げるのは普通3億円程度。もちろん、人生の尺度は金で計れるものではなく、そして計るべきではない。幸せの尺度はあくまで主観的だから・・・なんていうのは余程の幸せ者か金持ちかのどちらかです。幸せでもない人が幸せの尺度を金ではないといったところで説得力0も甚だしい。

このところ貧しくてついつい日本の宗教である拝金教に入信しそうになっています。自分は無宗教ですとはっきりと言えないあたりが悲しいところです。そんなわけで先日は清水から1文字1円というレートでレポートを一件受注しました。それに飛びつく哀れな自分、恥の多い人生を送っています。

ここ数年、特に大学に入学してから精神面での進歩が何ら無いように思えてなりません。絶対的な進歩を自分で感じることは出来ないと思いますが、尊敬すべき人を見つけたりしたときにいつも進歩しない自分を感じて絶望的な気持ちになります。

ある人は「希望を持って良いのは中学生までです」と断言しました。確かに中学から高校にかけてはある程度の成長は放っておいても確認できました。でも高校卒業からは身体的成長も止まり、体力の絶頂もとうに通り過ぎたため、ジェットコースターの下り道気分。

自分と清水が理由が無いほどに同級生の山崎君を信奉しているのは間違いないのですが、それ以外にも人格的な面で、あるいは生き方の面で尊敬する人がたくさんいます。別にこれといった功績があるわけではないのだけれど、その人の考え方だとかを聞いているといかに自分が子どもじみていて変わる必要があるかを痛感させられます。

まぁまず20を超えてそろそろ1年が経とうとしているにもかかわらず、選挙に行けるようになったにもかかわらず、アメリカで飲酒が出来るようになったにもかかわらず、ニコニコ観てニコニコしている時点でダメなのです。そのネーミングセンスに脱帽です。

とりあえず、芯の通った生き方をするにはどうしたら良いのでしょう。それこそ自分探しだなぁと思います。自転車でどこまで行こうがその生き方が自然にわかってくるとは思いませんが、時間がほしい。ゆっくり考え事をする時間がほしい。考えているだけでは危険だと孔子は言いましたが、考えなければ始まらない。

このタームはそれなりに時間が空いているほうなので、本当なら余裕なのですが、ここのところいやに眠くて困ります。今日も自分のベッドが汚れていたので清水の部屋で昼寝したし・・・ベッドから保健室みたいな臭いがしてちょっと嫌だった。。。

西郷隆盛が一度日本は焦土になってそこから再生したほうが良いといったけれど、自分の部屋もまさにそんな感じです。前期の旧弊がいたるところに散乱し、全部捨てたいのだけれど、必要なものも混ざっていて、でもそれを分別するのも面倒で・・・