家族と自分

いじめに関してまだ全く書ききっていないのに、違うことを書くのは不吉な予感がしないでもないけれども、ちょっとイラッとしたので、今日は家族について考えます。

小学校に上がるまでは、家族というのは最も身近な存在であり、心の支えであることが大抵だと思う。それが小学校に入り、家族以外との深い人間関係を持つようになると、相対的に家族の重要性というものは下がってくる。絶対的にみてみれば家族というのは非常に重要ではあるが、友達などの関係もそれに負けず劣らず重要なのである。

小学校高学年くらいになると、特に理由もなく家族を嫌うようになる。正確に言えば、本気で嫌いなのではなく、「大人」をイメージした独立観などから来るパフォーマンスのようなものだろう。母親と一緒に出かけるのが恥ずかしい、友達に家族を合わせたくない、授業参観や運動会に来ないで欲しい。これらの経験は特に男子であれば、時期はずれても大抵は経験したと思う。しかし、まだ身体的に未成熟であり、その点において親に勝つことは出来ないので、家族内では親に従っているというケースも多いと思う。

しかし、それが中学生になると変わってくる。恥ずかしさから家族を避ける傾向に加え、身体的に発達してくるため、家族に合わせないことが多くなってくる。もちろん、部活を始めたり塾に通ったりすることで、必然的に家族と過ごす時間というものは減ってくるのであるが、それはまた別の話だ。

身体的な発達を迎えることで、親に負けなくなってくる。精神的にはまだまだ幼いが、それを認識することが出来ず、親のありがたさなどがわからない。執拗に親に反抗を繰り返したり、子どもによる家庭内暴力がこの時期に多いのはそのような理由からだと推測できる。身体の発達に精神の発達が追いついていないのである。

高校になると、精神の発達がある程度追いついてくるために、家族を必要以上に恥じることはなくなってくる。そして将来を意識することで、親の偉大さに気付くこともあるだろう。そのようなことを考えられるようになり、改めて自分を見直すことが出来るようになって、再び家族を受け入れられるようになる。そして、親は親で、子どもの発達を見てきたために、ある程度の自由を子どもに与えるようになる。子どもは過干渉には反発するが、それ以外には理由なく反発することはないだろう。

大学生になると、更に自由度が増してくる。外で夕飯を済ませるのは当たり前。一人暮らしを始める人も多い。バイトもするので、授業料以外に親から経済的な援助がなくても大丈夫になってくる。すると、自立を意識し始め、親は親で「もう大学生だから」という理由で基本的に生活に介入してこない。法律に触れないというのが前提だが。

しかし、大学生になったからと言って、決して家族との絆がなくなったわけではない。経済的な契約で結ばれた関係ではなく、血縁関係があるからだ。そこまで考えなくとも、家族と他の人では位置付けが違うのは当たり前だ。

だから、大学生になって、経済的に自由になったとしても、家族との関係は最低限は持たなくてはならないし、自らそれを望むのが理想だと思う。なるべく家族と食事をするようにしたり、団欒の時間を持ったりする。それによって親孝行をするといっても良いだろう。親は子どもの成長を喜ぶものであり、大学生から就職・独立までというのはその最終段階と言っても良い。成人した子どもと酒を酌み交わすのを心待ちにしている親も多いだろう。

もちろん、以上のような親や家族の像というのは、自分の考える理想像に過ぎない。現実にはそれ以上に無関心な(というと語弊があるが)親も居るし、逆に過干渉の親もいるだろう。理想というのは達成できないから理想なのであって、現実には少数派だ。

我が家の親はどちらかというと、過干渉のタイプである。「大学の授業料を払っているのだから、干渉は干渉ではなく、当然の権利だ」という理論であり、これは自分も当たり前として受け入れている。大学を出ないことには希望の職種にはつけず、その資金を出してもらっているのだから、親の言うことには耳を傾けなくてはならない。旅行に行くときはどこに行くのかを必ず聞いてくるし、毎週予定表に予定を書き込ませる。「家族」の意識が強いからかもしれない。

先週の休日は、妹の誕生会があった。妹も来年からは高校生だ。全く女の子らしくないのが兄として心配ではあるが、それはまた違う話だ。とにかく、重要なのは誕生会が開かれたということである。我が家では家族のイベントを非常に重要視している。誰かの誕生会は必ず開かれるし、クリスマスも正月も祝う。両親の結婚記念日に、雛祭り、こどもの日、敬老の日、果てや飼い犬の誕生日までだ。

少しやりすぎだとは思うが、父は単身赴任中だから、きっとそういうイベントに敏感になっているのだろう。イベントがあれば、家族は余程のことがなければイベントに参加するので、普段家にいない父は家族との時間を過ごすことができる。そこは自分も父を思いやって、イベントにはなるべく参加するようにしているし、父が帰宅しているときは実家に帰っている。

しかし、必ずしもそれが出来ないときもあるのは当然だろう。バイトは責任を持たなくてはならないし、授業で遅くなることもある。私的な用事であれば断れば済む話であるが、責任のあるものに関してはそんなに簡単に済むことではない。

特に今年は、土曜日にバイトが入ってしまったため、父が帰宅しているときに一緒に夕食を取れないことが多かった。父には大変申し訳なく思っているが、しかし、理由なく土曜日にバイトを入れたわけではないので、「じゃあ土曜日のシフトやめれば良いじゃないか」ということにはならない。

自分はバイトで塾講師をしているが、それは将来を見据えてのことであり、単純に給料が良いからとかいった理由ではない。大学で教職課程をとっている人ならばわかると思うが、教職課程では実際に人に物事を教えるという経験はほとんど出来ない。多くが理論であって、経験ではないのだ。その点、塾講師をしていると、物事を教えるという点に限られてはしまうが、少なくともその点に関しては貴重な経験をすることが出来る。実際に、教職課程で行われる模擬授業で、上手く授業が出来るのは教育実習に行った人か塾講師をしている人が多い。経験なくして上手く授業をすることはほとんど不可能なのだ。特に黒板の使い方などにおいて、その経験の差は顕著になる。

つまり、何が言いたいのかというと、自分の場合はバイトはバイトでありながらも、勉強だということである。単なる小遣い稼ぎではなく、将来に向けた準備なのである。土曜日にシフトを入れたのも、中学3年生の授業があるからであり、この時間を教えることは有益だと考えたからだ。

そのため、土曜日にはどんなに頑張って早く帰っても、帰宅は23時半くらいになり、その時間には父はもう寝てしまっている。日曜日には父は赴任先に帰ってしまうので、夕食を共にすることは出来ないし、なかなか酒を一緒に飲むことも出来ない。自分に言わせればそれはどうしようもないことなのだ。

しかし、それを父は認めなかった。父にとってはたかがバイトであって、それくらいのことで家族の時間を作れないというのは理由になっていないというのだ。そしてそれを自分の勝手であり、もっと家族のことを考えろと言う。

確かに、父の単身赴任によって今衣食住が保障され、大学に通うことも出来ている。単身赴任とは、ある意味家族のための犠牲であって、その犠牲の上に今の生活があるといえる。父だって、家族と一緒にいられるのであれば、そうしたいのだから。それを考えると、無下に「理解不足だ」ということは出来ない。お互いの譲歩は必要だ。

しかし、どうしても納得できない。遊んでいるわけではなく、必要だと考えるからこそやっているのだ。確かにそれは自分のためだけにしかならないかもしれない。家族のためではない。それは良くわかっている。だが、家族のためだけにやっているわけでもない。

そのような点で、家族というのは必ずしも良い面だけではない。家族の恩と言ってしまうのは、あまりに他人行儀であるが、それと自分の進むべき道が相反する場合には、そのバランスというものを良く考える必要がある。自分勝手な行動は極力避けるべきであるが、親は親で、あまり「家族」で縛り過ぎないように心くばりをした方が良いだろう。

家族とは最も近い関係であるからこそ、一番難しい関係なのだろうか。