レポートが追ってくる・・・

またまたレポートに追われています。夏休みは心が腐るほどあったというのに何も準備しなかったので、日本史学演習の発表がまさか後期2番目に来てしまうというサプライズにやられています。たった20分くらいの発表なので、何とかごまかすことは出来ると思うけど、寝たい。。。

でも、大抵の勉強というものは、余程理由がない限り、やっているとそのうち楽しくなってくるものだ。受験勉強の古文然り、英語然り。今は美濃部達吉憲法観について調べているけれども、それはそれで楽しい。自分が興味ある分やだから入り込むのが早いというのもあると思うけれど、美濃部達吉という人の魅力というのもかなりあると思う。

さすがに彼の代表的著書の「憲法撮要」を読みきるのは厳しいものがあるけれど、しかし憲法に関して理路整然と自分の意見を述べており、しかもそれが一貫した主張なので、一瞬で納得できてしまう。オススメは著書よりも、貴族院で行った演説の「一身上の弁明」がわかりやすくて良い。美濃部の天皇機関説を少しでもかじっているのならば、きっと理解できると思う。しかも短いので結構すぐに読める。そして教科書の歴史のイメージというものが必ずしも正しくないということがわかるだろう。

美濃部達吉天皇機関説は、高校教科書では大体以下のように説明がなされている。

「国家を一つの法人として捉え、天皇をその法人内の最高機関と位置付ける」

正直に言って説明が足りないと思う。国家を法人として捉えたから何なのか。天皇が機関だと何なのか。天皇機関説、あるいは国家法人説という言い方をしているので、それに合わせて説明が付け加えられたものだと思うが、美濃部達吉は自らそれ以上に簡単に天皇機関説を解説している。

天皇を機関と捉える」という言い方を、美濃部は上記の演説で、天皇を人間としての(当時は現人神であったが)天皇として捉えるか、それとも国家元首としての天皇という役職として捉えるか、という風に説明している。統治権天皇個人に与えられたものであるか、それとも国家を率いる責任を持つ天皇という役職に与えられたものなのかということである。これによって統治権の使用目的が大きく変化してくることがわかるだろうか。

ちなみに統治権とは、主権のことである。現行の日本国憲法においては三大原則の一つとして「国民主権」が存在しているが、戦前の大日本帝国憲法においては「天皇主権」であった。この「天皇主権」をどのように解釈するかによって統治権=主権の行使である政策の目的が大いに変わってくるのである。

もし、統治権天皇個人に所属するものであるとすれば、その使用目的はあくまで天皇個人を第一に考えることになる。つまり大日本帝国の名において徴収している税金は、天皇家のために使用されることになり、国家財政は天皇家の財布になることになってしまう。あるいは天皇が在位中に施行した法律は、理論的には天皇の退位と共にその効力を失うことになる。

しかし、実際はそうではない。国家が国家の名において徴税を行うのは、国民全体のためであり、それを国家のためと呼ぶ。つまり、国家とは国民全体を意味するのである。そうなると、大日本帝国憲法では、国家を統率していく役割は天皇であると規定されているため、統治権はその役割を含んだ天皇に、つまり役職としての天皇に所属することになる。このことを、「国家を法人とした場合の国家の最高の機関」と美濃部は呼んだのである。

これを一企業のレベルに落として考えると、さらにわかりやすくなる。「企業は社長個人のために存在しているのか」という質問を投げかけた場合、恐らく100%近い率で「それは違う」という回答が返ってくることだろう。この場合は、企業を国家になぞらえるために株主の存在は無視することにする。美濃部の天皇機関説とはこれと全く同じことなのである。

社長は基本的に企業の最高権力者であり、統治者であるが、その労働目的は企業全体の躍進である。企業全体の躍進とはつまり、社員の生活レベルの向上にある。それと同じことだ。

というわけで発表終わったー!後は出席して寝てるだけだ!