拝啓、井上先生

日本史学特別研究で感動した授業内容を説明しようシリーズ第三回完結編。久々の日記更新です。早いところネット環境を整備したいのですが、正直自分にはさっぱりわからないのが困ります。そういうのも勉強しないとなぁ。。。

さて、本題に入りましょう。テーマは「情報技術の発達に伴う組織構造の変化」です。それでは、行きます。

漢代からの古代中国においては、木簡や冊書を利用した情報伝達が基本であった。当時は紙が存在しなかったために、板に字を書いたり、1cm×15cmくらいの板をヒモでつないでノートのようにして使っていた。それが木簡であり、冊書である。木簡では、大量印刷をすることは出来ず、知識や情報というものは非常に限定されたものであった。この状況は、印刷術が普及するまでは紙が発明された以後も基本的には変わらないのであるが、木簡を使用するとかさばってしまうために、紙よりも更に情報は限定されてしまう状況になる。

しかし、問題は「紙か木簡か」ということではない。情報が非常に限定されたという状況において、広大な領土をどのようにして中央政府が管理していくかということである。そして更に、日本においては識字率がほぼ100%であるが、当時の識字率は今では考えられないほどに低いということも重要である。そのような環境も情報伝達を阻害していた。

広大な領土を限られた情報量で、中央集権的に管理するためには、ピラミッド構造の組織である必要がある。もし、地方分権的な支配を進めるのであれば、それぞれの郡県でそれぞれの政治を行えば良いので、情報伝達範囲も狭く、(地方における)中央の意思を浸透させるのは難しくはないだろう。だが、それでは国家全体としての発展は望めず、また叛乱の危険性も十分にあるために、国家として安定しなかった。中央集権国家の構築には、中央から周縁までの全ての地域を網羅する大規模な官僚制度・支配構造が必要となる。

これを戦前の日本の構造で考えてみるとわかりやすく、その中でも明治維新直後の日本がまさにそれに当てはまるだろう。強大な国民国家を構築するためには、必ず中央集権制でなくてはならなかったという点でも、古代中国と変わらない。また、電信技術なども未発達であり、鉄道などによって情報伝達速度がある程度向上したといっても、本質的にはそれほど変化はない。ただ、印刷技術の導入によってマスメディアが誕生したという点では大きく異なるだろう。

情報伝達の順序は、以下のようである。

中央→道府県→市→町→村→各家庭

このような道を経て、中央の意思は国民の一人一人にまで行き渡るのである。これは至極当然のことだろう。しかし、このような順序で情報を伝達するということは、つまりピラミッド構造の組織における情報伝達は、非常に危険なものであると言わざるを得ない。

それは、伝言ゲームというゲームが存在することが証明している。つまり、情報伝達で段階を踏めば踏むほど、最終目的地に着いたときに情報の内容が変質してしまう可能性がある。そこに政治的な意図がないとも言い切れない。国民の教育水準が高く、個人個人が国家のために働くような国であればそれほど問題はないのだが(それでも大問題だが…)、国民が感化されていない場合は、間違った情報で間違った方向へと進んでいってしまうこともあり得る。

中央集権制を維持しながら、情報を正確に末端まで伝達させるということは、一見簡単に見えて、実は難しいことなのである。では、どうしたら良いのか。テレビがあれば、中央から国民一人一人まで最高権力者が考えを直接(間接だが…)伝えることが出来るが、そうはいかない。

そこで、古代中国においては、情報伝達は複写転送が基本であった。一字一句異ならずに、そのまま伝達するのだ。その途中に段階ごとに責任者のサインが加わる以外は、一切内容を変更することは出来なかった。要約することも禁止である。

上の情報伝達段階にして考えてみると、

中央政府が伝達内容を考案し、各道府県に伝達する。

②各道府県庁は、伝わってきた情報を他のモノにそのまま書き写し、送られてきた伝達物はそのまま保管する。

③各市庁では、各道府県庁から伝わってきた中央の情報のコピーをそのまま書き写し、送られてきた伝達物はそのまま保存する。

 ・

 ・

 ・

というわけである。送られてきたものはそのまま保管。そして一字一句異ならずに下部機関に伝達することで、情報に誰の意図を加えるわけには行かなくなる。上下の機関に正確に伝達したかどうか確認されればすぐに発覚してしまうからである。この複写転送制度によって、古代中国は広大な領土を中央集権的に統治することが出来たのである。

しかし、このピラミッド構造の組織にも大きな欠点があった。それは、最近よく叫ばれている思考停止・判断停止の危険性である。どういうことか。

ピラミッド構造において、中間組織はただ単に情報を伝達、ただ純粋に伝達するストローの役割しか果たさないことになる。ピラミッド構造では、当然のことながらトップが少数であり、大部分がトップの指示を受けて動く下部になる。人体で言えば、トップが頭脳であり、中間組織が神経であり、下部組織が身体ということになるのだろうか。この考え方は、プロイセン軍の基礎を築いたモルトケと同じである。

そうすると、組織はトップに盲目的に従うことが求められ、どれほど大規模な組織になろうとも、その全力を生かしきることは出来ないし、むしろ教育されていない場合はそれは危険ですらある。各人の判断をトップに任せてこそ、トップの理想とする活動が出来るのだから、個人の思考停止はある程度止むを得ないといえばそうなのだ。



その組織構造が、情報技術の発達によって大きく変化してきた。ここからは長くなるので今度にしよう。