所詮夫婦は赤の他人 byわが母

自分の父は今、単身赴任で青森に行っている。それは今に始まったことではなく、自分が中3のときからそうだった。そして青森には父の母、つまり自分の父方の祖母がいる。祖母はもうすぐ傘寿という高齢であるが、父が青森に行くまでは一人暮らしをしていた。最近になって、叔父一家と一緒に暮らすようになったようだが、それまでは父が一緒に暮らしていた。

父が単身赴任に出ることになった理由はたくさんあった。

一つは単身赴任前に勤めていた会社に見切りをつけたこと。だから早期退職して、別の叔父からずっとオファーのあった親族の会社へ幹部クラスで移ることにしたのだ。その会社は青森県において、吉野家やKFCのフランチャイズをやっているそうだが(自分にはよくわからない)、そこで働くに置いて、努力家の父は何とKFCのバイトから始めた。いきなり通常社員を飛ばして幹部になれるような人が、わざわざ現場を知るために、高校生と同じ現場配属を望んだのだ。これは父の仕事に対する責任感と期待を顕しているのだろう。そういう点は、とても尊敬している。

二つ目の理由は、母を助けることだと思う。やはり80にもなる母をひとりで暮らさせるというのは、息子として心配だったのだろう。父の育った家庭は、とても厳しかったようだが(そのせいで育った息子4人はそれぞれ性格が変だ)、やはり育ててもらったのだ。それは大きい。

そして、三つ目。これが一番自分に関わってくる。父は家庭のために単身赴任を決意したのだろう。我が家は5人家族だ。父・母・自分・弟・妹。そして地方出身者にしては異様に教育熱があり、子ども達3人を全て中学から私立に通わせた。おかげで一生の仲間達に出会うことができ、とても感謝している。食費も教育だということで、一切けちけちすることはなかったし、それに文句も言わなかった。タダでさえ子どもが3人もいたらお金がかかるというのに、教育費が半端ではないのだ。そんな家庭状況で、勤めていた会社が倒産したらどうなるか。きっと父はそれを心配して会社を変えたのだろう。

もしかしたら、他にも理由があるかもしれない。自分は、単身赴任をしてまで私立中高大と通わせてくれた父に感謝しているから、美化しているだけかもしれない。だが、決して美化なんかじゃないと信じている。

単身赴任とは、考えてみると辛いことだ。自分の身に置き換えてみると、恐ろしいほどだ。愛する家族と離れて、ただ家族を養うために、働く。家に帰ると誰もいない。迎えてくれる子どももいなければ、夕飯を作ってくれる妻もいないのだ。一日中働いて誰もいない家に帰る。これほど心細く哀しくなることなどあるだろうか。いくら家族のためと言ったって、月に何度か本当の家に帰ることが出来ると言ったって、いくらなんでも辛い。

それなのに父は単身赴任をした。状況が許さなかったということもあるが、家族のため、母のために自分を犠牲にしてまで家を出たのだ。父はきっと、心の底から家族の幸せを願い、そのためだったら自分の犠牲などどうという事はないと考えていたのだと思う。

ただ、そんな家族思いの父でも、単身赴任となると、仕事しかやることがない。趣味があったって、家に帰って話す人がいなければ空しくなるだろう。メールや電話が出来たって、その場で会話するのに比べれば、慰め程度にしかならないだろう。少なくとも仕事以上に熱中できるとは思えない。仕事しかやることがないというのはそういう理由からだ。

そうなってしまうと、哀しいことに、本人は気付かないだろうが仕事が最も大切な存在になってしまう。本当の目的は家族のためとは言え、それを意識できるのはいつまでだろう。時間が経つにつれて仕事のために仕事をするようになり、生活の基準は仕事になる。大変な仕事であればあるほどその度合いは強くなっていくだろう。それが進めばワーカホリックと呼ばれる。

父はそうなってしまった。家族とのコミュニケーション不足と大変すぎる仕事内容と量(実際に哀れなほど大変すぎる・・・)が、父を変えてしまった。時々横浜の自宅に帰ると、妻や子どもにまるで部下に接するような物腰で当たるようになり、口が悪くなった。機嫌の移り変わりも激しい。はっきり言ってしまえば、人間性が悪くなってしまった。父は以前から独断的なところがあったが、その傾向が強くなったりした。

そして自分達はどうかというと、もう5年にもなるので、父のいない生活に慣れてしまった。それはきっと父も感じていることだろう。自分達が意識していなくとも、どこかしら父をお客様扱いしているところがある。父の変化とあいまって、父がいるときは腫れ物に触るような生活をすることになる。

弟妹がどう考えているかは知らないが、自分の場合はそれでも良い。今の自分が幸せな生活を送れているのは(そこには疑問を感じる人もいるでしょうが、まぁ気にせずに)、全て父と母のおかげだと思っているからだ。その恩義と言ってしまうと、何だか他人行儀な感じがしてしまうのだが、それだけに、自分は父がどのように変わってしまっても、それを受け入れたいと思うし、受け入れなければならない。しつこいようだが、今の自分があるのは、全て両親のおかげなのだから。

でも、母は違う。父は外で家族のためにお金を稼いでくる。だからまるで専業主婦である母も扶養家族のような感じがどうしてもしてしまう。実際に法律上はそうなるだろう。しかし、本当はそうではない。母だって、立派に家庭のために働いているのだ。父がまだこちらにいた頃は家族全員分の食事を作り、向こうに行ってからは子どもの食事を欠かさず作り、子ども達の弁当を作り、洗濯をし、掃除をし、子育てをした。母だって父と同じように家庭を守ってきたのだ。自分が今まで悲しい思いをせずに生きてこられたのは、母が家にいたからだと思う。父と同様に、面と向かっては言えないが、言葉では言い尽くせないほどに母に感謝している。

自分からすれば、父も母も、自分と弟妹を育てるために必死になってくれていた。だから、どちらが偉いということはなく、どちらも他に置き換えることの出来ないかけがえのない存在なのだ。父と母の二人でなくてはならなかった。

ただ、父と母からしてみたらどうだろうか。自分の場合は二人と血が繋がっているし、二人がいなければこの世にすら存在していないが、二人だけの場合は、お互いがお互いでなくとも、少なくとも生きていくことはできたのだ。そして二人がたまたま出会うことがなければ、それぞれ全く違った人生を送ることになっていたのだ。それが一体どんな人生なのか、今の生活よりも幸福か不幸かはわからないが、別の未来があったことは間違いない。

父は、自分が家庭を守ってきたという自負を抱いている。当然そうだろうし、そうである資格も十分にある。父がいなければ、自分達は生きていけないのだ。だから、家庭を守っている、もっと言えば一人で支えていると思っている。

母は、二人で家庭を守ってきたと思っている。専業主婦の母は、ほとんど現金収入を得ることはないが、家事に関しては裁縫以外はほぼ完璧にこなす。父の収入は目に見える形だからその存在の大切さは嫌でも理解できるし、自分は加持をこなして家庭を守っている意識がある。

問題はその意識の差にある。父は「自分一人で」、母は「二人で」。父からすれば、母も庇護の対象なのだ。これは柔らかい言い方であって、悪く言えば保護対象であるために、母には家族を守る権利がないし、今までもそうしてこなかった。だから家族は基本的に父の支配下にあると思っている。それはこれまでの行動を見ればわかるものだ。だが、母にとっての保護対象は子ども達だけであって、自分も闘ってきたと思っている。

すると父は母を支配的に扱うが、母からすればそれは今までの自分の行動を否定されたことになり、納得できない。単身赴任前も、こういった問題はあったのだろうが、父は家族がメインだったので、問題が表層化しなかっただけだ。それが、仕事メインになったことで表に出てきてしまった。





春になって、父は単身赴任先での大仕事がようやく峠を越えた。長い間苦しみ、苦労してきた仕事の目処がついたのだ。そしてようやく、ひと時の間ではあるが、仕事から解放される時間を得ることが出来た。今でも、基本的に青森で暮らしてはいるものの、頻繁に横浜に帰宅するようになった。父にも、仕事メインから再び家庭メインへと切り替える機会が訪れてきたのだ。

しかし、自分はもう大学二年生。不足の息子ではあるが、社会的にはそれなりに大人と認められる時期になってきた。弟は高校三年生になり、妹は中学三年生になった。子ども達全員が、もう子育ての時期を抜けたのだ。まだ妹は手がかかるとは言え、もう「家庭」が旅立っても不思議ではない頃合だ。あと3年もすれば自分は独立するだろう。弟もどこかに一人暮らしをするかもしれない。心理的にはずっと家庭でも、だんだんと物理的には家庭が解体に向かっている。

そのような時期に、家庭へのシフトは最適ではない。これからは、父と母の二人が生活の中心になってくるのだ。変わるべきなのは、家庭シフトではなく、長い間失われていた夫婦へのシフトだ。これからずっと父と母が仲良くやっていくためには、お互いが再び夫婦として適切に変化しなくてはならない。いつまでも家庭シフトでは、いつか夫婦が崩壊してしまってもおかしくはないのだ。これからは自分達のために生きて欲しいし、そうしなくてはならない。

だが、それが中々上手くいかない。長い間の習慣を改めるのは容易ではないし、まだ仕事から解放されて1ヶ月だ。上手くいかなくても仕方がないのかもしれない。

子どもが手がかからなくなり、二人の時間をつくることができるせっかくのチャンスなので、父と母は、母の念願であったイタリアに旅行に行くことになった。それを自分は非常に嬉しく思っている。いつまでも父と母には仲良くいてもらいたいものだ。あと2ヶ月もあるのに、母はもう嬉しそうだ。と言っても、それは父と旅行できるからではなく、初の海外旅行だからというのが大きな理由なのだが・・・

母は、自分から願っただけあって、旅行には積極的だ。父にも積極的に旅行について相談を持ちかけるし、準備だって怠らない。でも、残念ながら父は違う。

父は、燃え尽きてしまった。大きな仕事をほとんど一人で纏め上げ、その達成感を得ながらも、必ずしも望んだ結果を手に入れられたわけではない。今でも「あの時こうしていれば…」と後悔しているだろう。自分ですら、些細なことで過去を変えられたらと思うのに、人生単位のことであれば尚更だ。

だから、旅行にもあまり積極的ではない。表面上は楽しそうに見えるのだが、どこか上の空な感じが否めない。そして母もそれに気付いている。




果たして、この二人は夫婦として幸せなのだろうか。最近よく疑問に思う。社会的に見ればどうだとかはどうでも良い。相対評価なんかではなく、本人達がどう感じているか、絶対評価が大切なのだ。結果から見れば、必ずしも幸せではないと思う。

そう、親子と違って、夫婦は結局赤の他人なのだ。それがたまたま縁あって出会った。自分はそういう縁は大切にすべきだと思うが、やはり親子とは違うのだ。母もそれをよく言っている。まだ結婚していない自分には皆目検討がつかない領域ではあるのだが…

今までは、子どもを3人を育てるのに大慌てだった。だから家庭がまとまっていた。でも親としてはまとまっていても、夫婦としてまとまっていたのだろうか。もしかして、実は全然合わない二人だったのかもしれない。そう考えると、とても恐ろしく感じる。

もし、自分と弟と妹がそれぞれ家庭を持ち、独立してしまったら、一体どうなってしまうのだろう。家庭という一つの綱を失ってしまった二人が、もし合わないことに気がついてしまったら、どうするだろうか。最近は、熟年離婚が何かと話題を呼ぶ時代だ。




人間を完全に理解することなど出来はしない。自分のことですら完全に理解することができないのに、どうして他人を完全に理解できるだろうか。そんな厳しい状況の中、自分達はパートナーを見つけ、家庭を築いていく。家庭を築き上げ、守っていくことは出来るかもしれない。だが夫婦を守っていくことは、それよりも余程難しいことなのではないだろうかと、ふと考えるようになってきた。